田中雄二の「映画の王様」

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『虹を掴んだ男―サミュエル・ゴールドウィン』(A.スコット バーグ、 吉田利子訳)

2018-12-14 12:35:57 | ブックレビュー
 本書は、アメリカ映画を代表する独立プロデューサーの功罪を描いた一代記。ポーランド系ユダヤ人の貧しい家庭に生まれ、アメリカに渡って手袋のセールスで成功し、当時の新興産業だった映画製作に乗り出したサミュエル・ゴールドフィッシュ。

 彼はゴールドウィンと改名後、『この3人』(36)『孔雀夫人』(36)『デッド・エンド』(37)『ハリケーン』(37)『嵐ヶ丘』(39)『西部の男』(40)『教授と美女』(41)『偽りの花園』(41)『打撃王』(42)『ダニー・ケイの天国と地獄』(45)『我等の生涯の最良の年』(46)『虹を掴む男』(47)『気まぐれ天使』(47)…など、数々の名作を製作した。



 本の帯に「映画は監督のものでも、スターのものでもなく、私(ゴールドウィン)のものだ」とあるように、昔も今も、アメリカではプロデューサーの力は絶大だ。実際、アカデミー賞などで作品賞を受けるのは監督でも俳優でもなくプロデューサーではないか。

 本書を読むと、ウィリアム・ワイラー監督作として認知されている名作の数々が、実は“ゴールドウィンの意向を反映させたもの”だったことが分かり(例えば『嵐ヶ丘』のラスト)、映画における監督の役割とは一体何なのかを考えさせられるところがある。そういえば、ジョン・フォードは、自らの監督としての立場を「交通整理のお巡りさん」に例えていたなあ。

 そんなゴールドウィンが、ジーン・ネグレスコにプロデューサーとしての成功の秘訣を聞かれると、「いいストーリーを見つける。それから使える中で最高の(シナリオ)ライターを押さえる。次に最高の監督をつかまえ、第一級のぴったりした配役を決め、優秀なカメラマンを使う…。成功するにはこれしかない」と真面目な顔で答えたというのだから、愉快ではないか。

 今の日本では、このゴールドウィンについて、ほとんど語られることもないが、例えば、『気まぐれ天使』での淀川長治先生の「サミュエル・ゴールドウィンと云うプロデューサーは、こんな男」など、ゴールドウィン作品の日本公開当時のパンフレットには、彼に関する記述の多さが目を引く。

 先達はちゃんと分かっていたということか。
コメント
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