田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『拳銃の報酬』

2019-03-01 12:11:57 | 1950年代小型パンフレット
『拳銃の報酬』(59)(1979.9.21.)



 刑務所から出所した元警官バーグ(エド・ベグリー)は銀行強盗を計画し、前科者のスレイター(ロバート・ライアン)と黒人歌手のジョニー(ハリー・ベラフォンテ)を仲間に選ぶ。だが、人種差別による対立が生じ、決行の日に悲劇が起こる。

 「ロバート・ライアン、ハリー・ベラフォンテ、エド・ベグリーの3人組と、情婦役のシェリー・ウィンタースが好演を見せる。ロケを多用した犯罪映画の中で、人種差別を鋭く描いたロバート・ワイズはさすが」と、今から40年前に自分が書いたメモにある。ジャズを音楽に使った渋い映画だった記憶はあるが、細部はうろ覚えなのでもう一度見てみたい。

 この映画は、ベラフォンテ自らが製作したもの。またライアンは人種差別者をよく演じたが、実際はそれとは全く無縁の人格者だったという。

ロバート・ライアンのプロフィール↓


シェリー・ウィンタースのプロフィール↓


ロバート・ワイズのプロフィール↓
 
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『野のユリ』

2019-03-01 10:09:45 | 1950年代小型パンフレット
『野のユリ』(63)(1989.6.1.)



 アリゾナを旅する黒人青年ホーマー(シドニー・ポワチエ)は、東ドイツから亡命したマザー・マリア(リリア・スカラ)ら5人の修道女と出会い、言葉も通じないまま、荒地に教会を建てるための手伝いをする羽目になるが…。

 前回見た時からかなりの月日がたっていた。この手の映画は、改めて見直すと「昔は何であんなに感動したのだろう」と思うことが多いのだが、この映画は前回よりもさらに面白く見ることができた。

 “黒いキリスト”ともいえる役で、黒人として初めてアカデミー主演賞を受賞したポワチエが素晴らしいのは当然として、修道女のリーダーをしたたかに演じたリリア・スカラとの対照の妙が、ポワチエの演技をさらに引き立てた感もある。

 ラルフ・ネルソン監督の『ソルジャー・ブルー』(70)は嫌いだが、この映画や『まごころを君に』(68)などの秀作を残したことは忘れ難い。

 そして「エーメン」はやはり名曲だった。ポワチエのAFI授賞式でハリー・ベラフォンテが「本当は僕がこの役をやるはずだったのに…。仕方ないから君に歌い方を教えてあげたよね」と語りながら、「エーメン」を歌い出す場面は感動的だった。
https://www.youtube.com/watch?v=rYHKNs4eG2M
https://www.youtube.com/watch?v=rBc0pV2Ipj8

【今の一言】立場や主義主張の違いはあるのかもしれないが、スパイク・リーがポワチエの功績をあまり評価していないのは少し悲しい気がする。

シドニー・ポワチエのプロフィール↓



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『ブラック・クランズマン』

2019-03-01 06:11:42 | 新作映画を見てみた


 舞台は、1970年代半ばの米コロラド州コロラドスプリングス。この町で黒人として初めて刑事になったロン・ストールワース(ジョン・デビッド・ワシントン)が、白人至上主義を掲げる過激派団体KKK(クー・クラックス・クラン)に入団し、彼らの悪事を暴く。ロンいわく「俺は電話担当。代わりに白人刑事(アダム・ドライバー)が彼らと会う」という、実際にあった嘘のような潜入捜査の様子を、コミカル味を交えながら描く。

 オープニングで『風と共に去りぬ』(39)のアトランタ陥落のシーンが映る。あるいはDW・グリフィスの『國民の創生』(15)のKKK団の襲撃シーンや、ポーリガード博士(アレック・ボールドウィン)の白人優位主義の演説も流れる。これらは、映画や映像がいかに黒人のイメージを決定づけたかを示すものとして印象的に映る。

 ただし、スパイク・リーは変化した。以前のように、主張や過激さを前面に出すのではなく、ファンキーな音楽やユーモアを交えながら、映画として面白く見せることに腐心している。そしてそれを成立させるために脚本チームが果たした役割は大きかったであろうと思われる。

 KKKの親玉デビッド・デュークを演じたトファー・グレイスが「ロンとデュークの間にある敵意をユーモアに変える脚本が素晴らしい。ユーモアが人を引き付ける」と述べたように、この優れた脚本チームがアカデミー賞で脚色賞を受賞したのも当然という感じがした。

 ところで、ロンを演じたワシントンが「コロラドスプリングスの警察署で、ロンの目的達成のために、黒人以外の職員が協力していたことを知って、安心したような、驚いたような、うれしい気持ちになった。1970年代のコロラドスプリングスでできたのだから、今でもきっとできるはずだ」と語るように、この映画にはかすかな希望も感じさせるところもある。

 また、白人が憧れた黒人として、劇中に『黒いジャガー』(71)などのブラックムービー、黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンの挿話、ウィリー・メイズの「ザ・キャッチ」、あるいは、あのOJ・シンプソンの話が出てくるのも面白かったが、語り部役でハリー・ベラフォンテが出てきたのには驚いた。

 ただ、ラストで、現代の実際にあった事件の映像を挿入し、この映画が描いた出来事が今のトランプ政権下にも通じていることを示すのは、最近のこの手の実録映画のパターンだが、ちよっとくどい気がした。わさわざこうしたものを出さなくとも、観客は現代とのつながりにはちゃんと気付くはずだし、本物の映像が入ると、一気にそれまで見てきた“劇映画”とは別物になってしまう気がするのだ。
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