田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『私は告白する』

2019-03-12 21:00:07 | 1950年代小型パンフレット
『私は告白する』(53)(1983.7.21.)



 ローガン神父(モンゴメリー・クリフト)は、教会で働く者から強盗殺人を犯したとの告解を聞く。その後、警部(カール・マルデン)はローガンに疑いを掛けるが、ローガンは戒律から告解を他言することができず…。

 キリスト教の社会ではない日本では、モンティ扮する神父が告解に悩む姿が理解し切れないといううらみは残るものの、ヒッチコック映画の中では上出来とは言えないものだろう。宗教に縛られてのサスペンスというのがヒッチコックらしくないし、ヒッチコック映画としてはなじみが薄いモンティとアン・バクスターがキャスティングされたことも、敗因の大きな原因だったのでないかと思われる。

モンゴメリー・クリフト


アン・バクスター


カール・マルデン

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『失われた週末』

2019-03-12 12:15:58 | 1950年代小型パンフレット
『失われた週末』(45)(1983.9.13.)



 今年は『フロント・ページ』(74)『あなただけ今晩は』(63)『悲愁』(78)と、改めてテレビでビリー・ワイルダー映画の魅力を知らされているのだが、この映画も、思わず「さすがはワイルダー!」と叫びたくなるような出来栄えだった。

 この映画のテーマは、恋人(ジェーン・ワイマン)に励まされ、断酒を誓ったアルコール中毒の男(レイ・ミランド)の週末の苦悩を描くというもの。ワイルダーは盟友チャールズ・ブラケットと共に巧みなシナリオワークを展開させ、暗く沈みがちなドラマにサスペンスにも似た緊張感を与えることに成功している。

 下戸の自分には身につまされる題材ではないが、酒好きの者が見たら、悪夢のような幻覚のシーンや、酒が切れて部屋中を荒らし回る主人公の姿に自分を見るような思いがして恐ろしくなったりするのだろうか。そんな主人公をミランドがいかにもそれらしく演じてアカデミー賞を受賞したが、実際の彼は大丈夫だったのか…などといらぬ心配をしてしまった。

 ところで、ワイルダーの映画を見るたびに、脇役の生かし方に感心させられるのだが、この映画も酒場のマスター(ハワード・ダ・シルバ)の描き方がとても粋で、後年の『あなただけ今晩は』の酒場のマスター(ルー・ジャコビ)と重なって見えた。



レイ・ミランド


ビリー・ワイルダー




ジェーン・ワイマン
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『靴みがき』

2019-03-12 06:13:19 | 1950年代小型パンフレット
『靴みがき』(46)(1983.6.19.)



 終戦直後のイタリアで、ネオリアリスモと呼ばれた映画群の中の一本。随分前に同じビットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』(48)を見た時にも知らされたことだが、戦争が終わっても、庶民には新たに生きていくための苦悩が始まり、中には犯罪に走ってしまう者も少なくない。そこには、同時代を描いた黒澤明の『酔いどれ天使』(48)『野良犬』(49)にも通じるやるせなさを感じさせられる。人間は何と悲しい生き物なのだろうと…。

 この映画に至っては、その悲しさの中心に子供たちがいる。大人が勝手に起こした戦争で、最も悲劇をこうむるのは何の罪もない子供たちであるに違いない。彼らは生き残るために仕方なく悪事に手を染める。しかも、それを先導したのも、彼らを刑務所に放り込んでしまうのもまた大人たちなのである。

 デ・シーカは子供たちの側に立って、戦争が及ぼす罪の大きさや、大人たちのずるさを描いているが、先に見たロベルト・ロッセリーニの『戦火のかなた』(46)と大きく違うのは、映画の端々にリリシズムが感じられるところだろう。また『自転車泥棒』の自転車同様、この映画では子供たちが愛する馬が効果的に使われている。ここにもデ・シーカの作劇のうまさがうかがえるのだ。



【今の一言】今見たら現実的な『靴みがき』はつら過ぎる。今はファンタジーとして描かれた『ミラノの奇蹟』(51)の方が好きになってしまった。
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