昨日のBS日テレで久しぶりに78年版の『ナイル殺人事件』を見た。やはりケネス・ブラナー版よりも、こちらの方がいい。
『ナイル殺人事件』(78)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/aee0aa3e6a11c6a73a06ba1b052da8f6
『ナイル殺人事件』(22)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/ffed11b64c52a0594a05d2ccb4ae1988
昨日のBS日テレで久しぶりに78年版の『ナイル殺人事件』を見た。やはりケネス・ブラナー版よりも、こちらの方がいい。
『ナイル殺人事件』(78)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/aee0aa3e6a11c6a73a06ba1b052da8f6
『ナイル殺人事件』(22)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/ffed11b64c52a0594a05d2ccb4ae1988
『心の旅』(91)(1991.12.18.みゆき座)
エリート弁護士のヘンリー(ハリソン・フォード)は仕事のためなら冷酷な手段もいとわない傲慢な男。ある日、強盗に襲われた彼は、言語と記憶を失ってしまう。献身的に看病する妻(アネット・ベニング)や娘(ミッキー・アレン)のことも思い出せないまま退院したヘンリーは、家族や周囲の人々とのふれあいを通して、少しずつ立ち直っていく。原題は「Regarding Henry=ヘンリーのこと」。
「ハリソン・フォードの演じ分けのコツはヘアスタイルの変化にある」と書いていた人がいたが、この映画などは、まさしくその通りだった。
冒頭の敏腕弁護士の時は、珍しくオールバックにして、この男の持つ嫌らしさや思い上がりを強調しておいて、一転、事件後に記憶を失い、生まれ変わった際は、ソフトな真ん中分けにして、いつもの“好漢ハリソン・フォード”に戻る、という具合。
もちろん、ヘアスタイルの変化だけで事が済めば、演技力の有無などが問われることはないわけだから、それが全てではないのだが、『推定無罪』(90)あたりから、彼のそうした思惑?に気付いたこちらとしては、この映画を見ながら、一理あるなどと感心させられたのだ。
ところで、本題の映画の中身の方だが、大甘なメロドラマに落ち込む一歩手前で踏みとどまって、最近のアメリカ映画お得意の心の回復劇として、あるいは家族の再生劇として見せたところが、ずるいけれどもうまいと思った。
特に、フォードに加えて、先の『真実の瞬間』(91)に続いて、またも魅力的な妻を演じたベニング(自分の好みが入っているとは思いつつ…)と、娘役のアレンの好演による、事件前後の家族の変化の様子がほほ笑ましく映った。
ただ、出てきた瞬間に善人だと思わせた黒人看護師(ビル・ナン)、表向きはよく見えるが、実は嫌な奴らだと思わせた仕事仲間の弁護士たちのどちらもが、あまりにもイメージ通りだったので、先の『訴訟』(91)同様、ちょっと物足りなさを感じたところもあった。
ところで、こうしたアメリカ映画お得意の裁判劇を見るにつけ、陪審員という制度の違いはあれ、所詮、裁判なんて達者な弁護士がどちらに付くかで評決が決まってしまうのかもしれないという、不確かさを感じることになる。もっとも、映画として見れば、そうしたやり取りが面白いのだから、大いに矛盾しているのだが…。
ラストは、マイク・ニコルズ監督自らが、“皮肉のない『卒業』(67)の親子版”で締めくくってくれたので、いい気分で見終わることができた。
【今の一言】この映画のオリジナル脚本は『スター・ウォーズ』の新シリーズを監督したJ・J・エイブラムスだ。
『パワー・ゲーム』『心の旅』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/638f88c48ade696e32334287c16dc3bb
『記憶にございません!』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/5c1674dbf616c59a77f5a6d5032edb57