こういうのも撮っていた。
『ホット・ショット』(91)(1992.2.18.日比谷映画.)
アメリカが誇る?パロディ野郎ジム・エイブラハムズお得意の一本。今回はお仲間のザッカー・ブラザースは抜き。こちらも彼らの映画にだいぶ慣れてきたこともあり、大いに笑えるかと期待したのだが、残念ながらそれほどでもなかった。
思うに、こうしたエイブラハムズ単独の映画を見ると、ザッカー・ブラザースの方が一枚上なのかと思う。同種の映画でありながら『裸の銃を持つ男』(88)方が、もっと突き抜けていて大いに笑わせてくれたからだ。
ただ、こうした映画を見るたびに感じる言葉の壁の大きさは今回も同様だった。字幕を読んでから笑うのでは明らかに笑いのテンポがずれるのである。だからアメリカではもっとストレートに受けたのかもしれないとも思った。とはいえ、近々公開の『裸の銃を持つ男 PART2 1/2』(91)に期待しているのだけれど…。
この映画の大元は『トップガン』(86)にほかならないのだが、敵がもはやソ連ではなく、もろにフセイン=イラクだったところが、こんなおバカ映画にさえも、国際関係の急激な変化が強く影響するのだと改めて知らされて、ちょっと怖くなったところもあった。
『ホット・ショット2』(93)(1993.8.20.日劇プラザ.)
先に同種のBOMB映画『ローデッド・ウェポン』(93)を見た際に、ジム・エイブラハムズは一味違うはずと半分は期待したものの、残りの半分、つまり「『ホット・ショット』(91)がいまいちだったから…」という不安の方が当たってしまった。
その最たる理由は、本来脇役であるはずのロイド・ブリッジス演じる大統領の方がおかしさを出し過ぎて、主役であるべきチャーリー・シーンを完全に食ってしまったからだという気がする。
どうも、ザッカー・ブラザースと別れてからのエイブラハムズは、こうしたバランス・ミスを起こして失敗しているようだ。これだけ外れが続くと、「これからはこの手の映画はビデオでいいや」ということになってしまう。
こうなると期待はザッカー・ブラザースの『裸の銃を持つ男 PART33 1/3 最後の侮辱』(94)か。でも、アメリカ人らしき観客には結構受けていたから、やはり言葉の壁やコメディセンスの違いは大きいのかもしれないなあ。