池袋で映画の仲間と恒例の飲み会。今回は時節柄、今年のベストワン映画の話題などで盛り上がった。
『セッション』
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
『ジュラシック・ワールド』
『さらば、愛の言葉よ』…。
各々が自分の好きな映画のことを勝手に話すのだが、ちゃんとそれに答えてくれる人がいて、会話のキャッチボールができるのがうれしい。ただし、映画の好みとは甚だパーソナルなものなのだとつくづく思う。
後半は、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の公開が近いことから、“初代”『スター・ウォーズ』の話になった。
ここでちょっと振り返ってみよう。
ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』が製作されたのは1977年。あの頃は全米公開から半年ほど遅れて公開されることが普通だったので、日本では翌78年の夏に公開された。
当時は、ルーカスの監督デビュー作のSF『THX 1138』(70)はまだ未公開だったので、『アメリカン・グラフィティ』(73)の監督がスペースオペラを撮ると聞いた時は、あまり結びつかない気がしたものだった。
ところが、公開前にマスコミが全米での評判を盛んに喧伝し、いつの間にか関連グッズやポスターが街にあふれ、気がついた時には、『スター・ウォーズ』の公開は一大イベントの様相を呈していた。
また、同年の春にはスティーブン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』が公開されており、“SF映画の新たな夜明け”などとも言われた。
ところで、『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』は、片や壮大なスペースオペラ、こなたある種哲学的なファンタジーと、タイプが異なるにもかかわらず、どちらも若手監督が撮ったSF大作であり、製作と公開の時期も近かったため、何かと比較され、ファンが二派に分かれてどちらが好みかを語ることも多かった。
高校生だった自分が、ちょっと背伸びをして『未知との遭遇』を推していたのも今となっては懐かしい思い出だ。
とはいえ、2作には共通点もある。どちらも東京でのメイン上映館は、今はなきテアトル東京。
両作とも音楽はジョン・ウィリアムズが担当。マーチを中心とした軽快な『スター・ウォーズ』、五音階を印象的に使った交響楽のような『未知との遭遇』という対照的な音楽を作曲し、これを機に“映画音楽の巨匠”へと上り詰めていった。
また『スター・ウォーズ』の特撮を担当したジョン・ダイクストラは『未知との遭遇』のダグラス・トランブルの門下生だった。二人をはじめとする特撮マンに注目が集まるようになったのも、両作の公開以降のことになる。
この後、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81)では、製作ルーカス、監督スピルバーグという黄金コンビが生まれたが、ルーカスはプロデューサー業に専念。
監督としては『~ファントム・メナス』(99)までおよそ20年間沈黙し、その後の監督作も『~クローンの攻撃』(02)『~シスの復讐』(05)にとどまっている。
対するスピルバーグは、『E.T.』(82)『カラーパープル』(85)『ジュラシック・パーク』『シンドラーのリスト』(93)『プライベート・ライアン』(98)『戦火の馬(11)『リンカーン』(12)…など、『レイダース~』以降、20本以上の監督作がある。
『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』の公開から37年。
ルーカスの手を離れ、新たにディズニーが製作した『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』に続き、ディズニー大好きのスピルバーグが撮ったシリアス劇『ブリッジ・オブ・スパイ』も公開される。
今さらながら、ルーカスとスピルバーグの不思議な因縁を感じずにはいられない。
『夜の大捜査線』(67)
みんな俺のことをミスター・ティップスと呼ぶぜ!
ノーマン・ジュイソンが監督したこの映画は、米南部の田舎町で起こった殺人事件を軸に、都会のエリート黒人刑事ティップス(シドニー・ポワチエ)と、地元の白人警察署長(ロッド・スタイガー)の対立する姿から人種差別の根深さをあぶり出していきます。とにかく二人の演技合戦がすごいのです。
駅で列車を待っていたティップスは、黒人だという理由だけで殺人事件の容疑者にされて連行されます。ところが、身分が分かると無理矢理捜査に協力させられる…。なんともめちゃくちゃな話です。
その時、署長は「随分偉そうだが、おまえさん街では何て呼ばれてるんだい」などと言って侮辱します。するとティップスは「みんな俺のことをミスター・ティップスと呼ぶぜ!」と怒りを込めて言い返します。二人の憎悪が火花を散らす名場面です。
やがて二人は対立しながらも事件の核心へと迫り、意外な真犯人を割り出します。この映画は推理ドラマとしての面白さもさることながら、二人の対立から理解へと変化していく姿が好ましく映るのですが、結局署長が「ミスター・ティップス」と言えないまま二人は別れていきます。
音楽はクインシー・ジョーンズで主題歌をレイ・チャールズが歌っています。アカデミー賞では作品賞のほか、スタイガーが主演男優賞を受賞しましたが、この場合、ポワチエと二人一緒に上げたかった気がしますね。
最後に後日談を一つ。ポワチエのアメリカ映画協会名誉賞の受賞式に、パーティ嫌いのスタイガーが珍しく出席しました。そしてポワチエに向かって「今日は映画の中ではどうしても言えなかったセリフを言いに来たよ。“ミスター・ティッブス”」とスピーチしたのです。この映画を知る者にとっては、たまらない一幕でした。
法廷ミステリー西部劇
この映画は、ジョン・フォード監督十八番の騎兵隊ものの西部劇ですが、軍法会議を中心に回想形式で事件の真相に迫るという一種の法廷ミステリーになっています。
西部劇でミステリー? と思われる方もいるかもしれませんが、例えば、日本の時代劇に「大岡越前」や「遠山の金さん」といった“奉行もの”があることを考えれば、西部劇に“法廷もの”があっても決しておかしくはないわけです。そもそも西部劇は、ただ銃を撃ち合うだけのものではありませんし…。
1880年、合衆国第9騎兵隊のカントレル中尉(ジェフリー・ハンター)は、白人少女殺害の罪で軍法会議にかけられた部下の黒人兵ラトレッジ軍曹(ウッディ・ストロード)の無実を信じ、彼の弁護を志願します。
この時代に白人が黒人の弁護をするという設定自体極めて珍しいものです。そこがこの映画の最もユニークなところ。原題も「ラトレッジ軍曹」で黒人の名前がタイトルになるのも希なことでした。その点では、公民権運動など60年代に起きた人種的な変革を先取りした映画ともいえます。
ハンターとストロードが演じた真摯なキャラクターが心に残ります。製作当時は「ジョン・フォードがアルフレッド・ヒッチコックを意識した」 などといわれたそうですが、昔の監督は職人気質なので、その気になればどんな題材の映画でも撮れたということでしょう。
法廷劇とはいえ、フォード映画のトレードマークであるモニュメントバレーの風景もふんだんに登場しますから、そちらもご堪能ください。
パンフレット(60・日本映画出版社)の主な内容
解説/騎兵隊/巨匠ジョン・フォードの横顔/ジェフリー・ハンター、コンスタンス・タワーズ、ウッディ・ストロード
『25時』(67)
国籍不詳のアンソニー・クインを象徴する映画
この映画の舞台は、第二次世界大戦前後のヨーロッパ。戦争によって運命を翻弄されるルーマニアの平凡な農夫を名優アンソニー・クインが演じています。
主人公は、自分の意志とは全く無関係に、ある時はユダヤ人、そしてハンガリー人、またある時はドイツ人にされたりしながら、10年以上も各国の収容所での生活を余儀なくされます。
戦後、やっと家族との再会を果たしますが、そこにはある秘密が…という皮肉な人間喜劇になっていて、ラストのクインの泣き笑いの表情がとても印象に残ります。国籍って一体何だろうと考えずにはいられません。
アンソニー・クインという人は、いろいろな人種を演じ分けられる、ある意味、国籍を感じさせない俳優です。それも凝ったメイクや扮装で演じ分けるのではなく、どれも地のままで違和感なくやってしまうところがすごいんですね。
例えば『道』(54)はイタリア人、『アラビアのロレンス』(62)はアラビア人、『その男ゾルバ』(64)はギリシャ人、売れない頃はネイティブ・アメリカンの役もやっていたし…。
で、実は何人かといえば、いろいろな血が混ざっているらしいのですが、メキシコ生まれのアメリカ人だそうです。この映画は国籍不詳を売り物にした彼を象徴する名作だと思います。
また、この映画は仏、伊、ユーゴの合作で、原作はルーマニア生れの小説家C・ビルジル・ゲオルギュ、監督はトルコからフランスに亡命したアルメニア人のアンリ・ベルヌイユ、共演はイタリアの美人女優ビルナ・リージと、こちらも国際色豊かです。ぜひ一度ご覧になって国籍について考えてみてください。
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
“日本のシンドラー”とは何者だったのか
『杉原千畝 スギハラチウネ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/c8/76dc5602f1549e5bffd37b2c554dd3fc.jpg)
詳細はこちら↓
http://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1027312
『砲艦サンパブロ』(66)
アクションを封印したマックィーン
この映画は「もしハドソン川に中国の軍艦が浮かんでいたら…」というスーパーが出てから始まります。映画の舞台となるのは1920年代の植民地支配下の中国ですが、実はベトナム戦争への厭戦感を象徴する反戦映画なのだということを冒頭で示しているのです。
当時、列強国は揚子江沿岸の権益と人命財産を守るという名目で艦艇を出動させていました。そんな中、アメリカの砲艦サンパブロ号に1等機関兵のホルマン(スティーブ・マックィーン)が赴任します。ロバート・ワイズ監督は、ホルマンの目を通して、列強国が中国で行った植民地政策の汚点を告発していきます。
この映画でマックィーンは、得意のアクションを封印し、他人との調和がうまく取れず、機械(船のエンジン)にしか愛情が注げない孤高の男を見事に演じて、生涯唯一のアカデミー賞主演賞の候補になりました。その姿はどこか現実の彼の生きざまとオーバーラップするものがあります。
ちなみに彼の助手となる中国人に扮したマコこと岩松信もアカデミー賞の助演賞候補になっています。彼はこの後、名脇役としてハリウッドで活躍しました。
他にもホルマンと恋に落ちる宣教師役のキャンディス・バーゲン、リチャード・クレンナ、リチャード・アッテンボロー、サイモン・オークランドらが出演しています。彼らの名演を見ながら、激動の近代史に思いをはせてみてください。
『五月の七日間』(63)
60年代のハリウッド映画人の気概を示した映画
1960年代は米ソ冷戦の真っただ中ということもあり、『博士の異常な愛情…』(64)『未知への飛行』(64)『駆逐艦ベッドフォード作戦』(65)といった核戦争の恐怖を描いた傑作が何本も生まれました。この映画もその一本です。
舞台は近未来。米大統領(フレドリック・マーチ)が進めるソ連との軍縮条約に反対するタカ派の将軍(バート・ランカスター)が軍事クーデターを計画。それを知った大佐(カーク・ダグラス)は何とか阻止しようとするのですが…というポリティカル・フィクション(政治ドラマ)の傑作です。
フィクションとはいえ、この映画の設定は62年に起きたキューバ危機の恐怖をよみがえらせ、公開年に奇しくもケネディ大統領が暗殺されたことで先見の明があったことも示しました。
それもそのはず。この映画の脚本は、テレビシリーズ「ミステリーゾーン=トワイライトゾーン」のクリエーターであり、後に『猿の惑星』(68)の脚本も手掛けたロッド・サーリングが書いたもの。近未来ドラマの形を借りて、現在にも通じる問題提起をするのは彼の得意技なのです。
また、この映画の製作者には、監督のジョン・フランケンハイマーや出演者のカーク・ダグラスが名を連ねています。ダグラスとランカスターは、それぞれ早くから独立プロを起こし、フランケンハイマーやスタンリー・キューブリックといった気鋭の新進監督を起用して映画界に新風を吹き込みました。
というわけで、この映画のストーリーや製作状況は、60年代当時のハリウッド映画人たちの気概を示すものでもあるのです。
『底抜け大学教授』(63)
変身前後のギャップが見どころ
冴えない風貌の大学教授ケルプは、飲むと筋骨隆々の二枚目に変身する薬を発明。“バディ・ラブ”となって夜な夜な街へと繰り出します。
監督・主演のジェリー・ルイスはディーン・マーティンとコンビを組んで売り出しました。日本ではこのコンビを「底抜け」と呼んだので、コンビ解散後もルイス主演の映画のタイトルには底抜け~が付きます。
「ジキルとハイド」を基にしたこの映画の見どころは、もちろんルイスが演じる二役です。変身前後のギャップの大きさが笑えます。
ルイスはチャップリン(体技)とウディ・アレン(話芸)の間にいたコメディアンなので体技と話芸の両方を繰り出します。
彼の芸は後進にも大きな影響を与えました。エディ・マーフィはこの映画を『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合(96)としてリメイクしましたし、百面相や大げさな動きはジム・キャリーが踏襲していますね。日本ではザ・ぼんちのおさむちゃんがルイスの影響を強く受けています。
ケルプが心を寄せる女子学生を演じているのがステラ・スティーブンス。彼の妄想の中で、60年代のおしゃれなファッションに身を包みながら、時にはかわいく、時にはセクシーに、何度も変身する彼女の姿も見ものです。
コメディには妄想も大事な要素の一つなのです。日本語版の近石真介の吹き替えも絶品です。
ひねりの利いた脚本がお見事
この映画は、『アパートの鍵貸します』(60)に続いて、ジャック・レモンとシャーリー・マクレーン、そしてビリー・ワイルダー監督という名トリオがアッと驚く展開で楽しませてくれる艶笑コメディです。
ワイルダーとI.A.L.ダイアモンドによるひねりの利いた脚本が見事で、脚本家兼映画監督の三谷幸喜も「大好きな映画の一本」に挙げています。
舞台はパリ。気のいい娼婦のイルマは、実直な巡査バートにほだされて彼をヒモに採用します。ところが巡査を辞めたバートは、イルマが客と交渉を続けることに耐え切れず、借金をして変装し、富豪の英国紳士X卿に成りすまして、客として彼女の独占を図ります。
アメリカ映画には“黄金の心を持った娼婦”がよく登場しますが、この映画のシャーリーはまさにその典型。ちなみにこの映画の原題は「優しいイルマ」です。
バートがX卿(つまり自分自身)に嫉妬するところなどはまさに落語の世界ですが、そう思わせるシャーリーのかわいらしさが、この荒唐無稽な話に説得力を持たせているのです。『アパート~』と対で見てみることをお勧めします。
睡魔との闘いなり
劇作家・平田オリザの戯曲を映画化。原発の爆発で放射能に汚染された近未来の日本を舞台に、アンドロイドのレオナと暮らす外国人の難民ターニヤの“最期の日々”を描く。
人間とアンドロイドを共演させた一種のSFであり、実験映画でもある本作は、小松左京原作が『日本沈没』で描いた“日本人も難民になり得る”というテーマも扱っている。
ただ、良く言えば静謐だが、悪く言えば思わせぶりで冗漫で“動き”も少ない。これならば演劇のままでも良いのではないか、わざわざ映画として描く意味はあったのかという気もする。睡魔との闘いなり。