田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『媚薬』

2019-01-18 20:08:02 | 1950年代小型パンフレット
『媚薬』(58)(1999.2.6.)



 現代のニューヨークに住む魔女(キム・ノバク)が、出版社の社員(ジェームズ・スチュワート)に惚れたことから起こる珍騒動を描く。監督はリチャード・クワイン。

 高校時代、よく一緒に映画を見たNが、ある日「この前テレビで『媚薬』って映画を見たんだけど、キム・ノバクにまいっちゃったぜ」と言い、「実はオレもそうだった」と同意したのは、もう20年以上も前になる。

 今回は、それ以来の再見。しかもノーカット、字幕スーパー、ワイド版である。もちろんディテールの記憶はおぼろげだったが、後年見たヒッチコックの『めまい』(58)(どちらも彼女の虜になるのが真面目なジェームズ・スチュワートというのも面白い)も含めて、やはりこの時期のノバクの妖艶さはすさまじいばかり。

 特に、あの男を惑わすようなまなざしは、まさにこの映画で演じた魔女やネコのようでもあり、われわれ男たちのハートを射るのである。この映画はそんな彼女の魅力が十二分に発揮されている。

 もっとも、今回見直してみて、せっかくジャック・レモンとエルサ・ランチェスターをコメディリリーフとして使っているのに、彼らの個性があまり生かされていないことに気付いた。その代わり、アーニー・コバックスがとぼけたいい味を出していたのだが、これは同じくクワインが監督した『女房の殺し方教えます』(64)のテリー・トーマスとも重なる。

キム・ノバクのプロフィール↓


名画投球術 No.11 いい女シリーズ1「妖艶な美女が観てみたい」キム・ノバク
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/754f3c9be228401cdcee37d2ef9add6c

ジェームズ・スチュワートのプロフィール↓


ジャック・レモンのプロフィール↓

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「江戸あばんぎゃるど」『ひろしま 石内都・遺されたものたち』

2019-01-18 08:51:10 | BIG ISSUE ビッグイシュー

 日本の古美術品のコレクターである6人のアメリカ人の姿を通して、日本美術の魅力に迫るNHKドキュメンタリー「江戸あばんぎゃるど」を見た。

 監督のリンダ・ホーグランドさんには、原爆遺品について描いた『ひろしま 石内都・遺されたものたち』というドキュメンタリー映画の公開に際してインタビューをした。日本映画の字幕翻訳家でもある彼女が撮る日本の姿はいつもユニークだ。

『ビッグイシュー日本版』219号から↓

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『アクアマン』

2019-01-18 08:18:18 | 新作映画を見てみた


 DCコミックス映画の新作で、主人公は人間と海底人のハーフのアクアマン=アーサー・カリー(ジェイソン・モモア)。彼がアトラン王の遺品である伝説の槍(トライデント)を手にし、海底王になるまでを描く。

 主人公の名前が示す通り、アーサー王のエクスカリバー(剣)伝説と、『モアナと伝説の海』(16)で描かれたハワイやポリネシアに伝わる海の神の伝説をほうふつとさせる展開。史劇やシェークスピア劇的な要素もある。

 オーストラリア出身のジェームズ・ワン監督は、ビジュアルやアクションは、『スター・ウォーズ』シリーズや『アビス』(89)の線を狙い、アーサーと王女メラ(アンバー・ハード)の関係は、『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』(84)のインディ(ハリソン・フォード)とウィリー(ケート・キャプショー)を参考にしたのだという。ただ、個人的にはアクアマンのビジュアルになじめないところがある。

 アーサーの母親役のニコール・キッドマンをはじめ、ウィレム・デフォー、ドルフ・ラングレンといったベテランが脇を固めて頑張っているが、いろいろと詰め込み過ぎて散漫になり、いきおい上映時間も長くなったのが弱点か。キッドマンが壊すテレビに、懐かしの特撮人形劇「海底大戦争 スティングレイ」が映ってたのはご愛嬌。
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『幽霊紐育を歩く』

2019-01-16 13:08:16 | 1950年代小型パンフレット
『幽霊紐育を歩く』(41)(2007.1.29.)

 飛行機事故により、誤って天国に召されてしまったボクサーのジョー(ロバート・モンゴメリー)。天国の係官ジョーダン(クロード・レインズ)は、何とかジョーの魂を現世に戻そうとするが、ジョーの肉体はすでに火葬にされていた。仕方なくジョーは、妻と愛人に殺された大富豪を身代わりの肉体として現世に復活するが…。



 大好きなこの映画を再見。何度見ても、原案ハリー・シーガルのアイデアの素晴らしさと、それを一本の映画として仕上げたスタッフ、キャストに拍手を送りたくなる。特に天国の係官ジョーダン役のレインズ、その相棒のエドワード・エバレット・ホートン、ジョーのトレーナー役のジェームズ・グリーソンなど、脇役のうまさが光る。原題は『Here Comes Mr.Jordan』だから、真の主役は実はジョーダンなのかもしれない。ジョー役のモンゴメリーは、テレビドラマ「奥さまは魔女」のサマンサ=エリザベス・モンゴメリーのお父さんだ。

 ところで、この映画の弱点は、ジョーが別の人物に乗り移っても外見が変わらない、つまりモンゴメリーが一人で何役もこなす点にあると思っていたのだが、あえてそうしたのは、魂の不滅を訴えたかったからなのだと気づいた。『Leonard Maltin's Movie Guide』によれば、「主人公のモデルは、飛行機事故で亡くなった名優ウィル・ロジャースで、この映画には、彼が生き帰ってくれたら…という思いが込められている」とのこと。ウォーレン・ベイティが監督、主演したリメーク版の『天国から来たチャンピオン』(78)の主人公の職業はアメフトの選手に変わったが、この精神は引き継がれていた。



 【今の一言】他に“天国物”としては、死後の世界にやってきた男(ドン・アメチー)が、閻魔大王を相手に自らが歩んできた人生を語る、エルンスト・ルビッチ監督の『天国は待ってくれる』(43)や、第二次世界大戦中の天国と地上を舞台に、天国側のミスで生き残った一人の英国軍パイロット(デビッド・ニーブン)をめぐる騒動を描いた、マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督の『天国への階段』(46)もある。フランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生!』(46)も、この範疇に入るか。どれもいい映画だ。

ロバート・モンゴメリーのプロフィール↓


クロード・レインズのプロフィール↓

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『風と共に去りぬ』

2019-01-16 09:27:08 | 1950年代小型パンフレット

『風と共に去りぬ』(39)(2006.3.13.)(1975.10.1.渋谷東急)



 中学時代に、最初に見たときは、圧倒的なスケールの大きさに打ちのめされたのだが、その後、何度か見るうちに「この映画は、結局わがまま勝手な女(スカーレット・オハラ)の一代記に過ぎないのではないか」と反発を覚えたり、「いやいや、そうは言ってもやっぱりいい映画だ」と思ったりと、自分の中でも評価が定まらなくなった。とはいえ、マックス・スタイナー作曲のあのテーマ曲「タラのテーマ」がかかると、訳も分からず感動させられてしまうのは確かだ。

 今回、NHK BSの放送で久しぶりに見たのだが、改めて、古典映画での俳優の存在感、あるいは人物描写の極端さや、濃さについて考えさせられた。思えば最近はやりの“韓流ドラマ”のルーツはこういう映画にあるのかもしれない。

 また、この映画は南軍、つまり敗者の側から見た南北戦争が描かれるから、アメリカというか、アイリッシュ移民のトラウマや、土地への執着が露わになる。また、アシュレイ(レスリー・ハワード)は戦場で受けた心の傷が癒えないし(今で言うPTSDか)、レット・バトラー(クラーク・ゲイブル)は成金の自分をどこかで恥じている。にもかかわらずスカーレット(ビビアン・リー)はたくましい、と言ったら、それは男の勝手な言い分か。

 今回は、意外や、天使のようだと表現され、何かとスカーレットと対比されるメラニー(オリビア・デ・ハビランド)の方が、実はずるくてくせ者なのかもしれないと思わされた。

 【今の一言】NHK Eテレの「100分de名著」で、この映画の原作であるマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』について解説していた。「スカーレットは金と土を手にした時に我に返る」「実はメラニーの方がエキセントリック」など、興味深い考察が語られていた。

ビビアン・リーのプロフィール↓


クラーク・ゲイブルのプロフィール↓


オリビア・デ・ハビランドのプロフィール↓

パンフレット(52・東宝事業課(有楽座 No52-17.))の主な内容
この映画のスタッフに就て/映画を織りなす人々/オリヴィア・デ・ハヴイランド/ヒロインの決定と九つのオスカア/ミッチェル女史のこと(大久保康雄)/極付レット役者クラーク・ゲイブルのこと(大井眞太)/天下一品名女優ヴィヴィアン・リイのこと(淀川長治)/スカーレットと暮す四時間”風と共に去りぬ”に就て(飯島正)/強い女性スカーレット・オハラのこと(村岡花子)/南北戦争映画風の背景について(春山行夫)/「風と共に去りぬ」劇的事件のあらまし

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『私は殺される』

2019-01-15 10:54:57 | 1950年代小型パンフレット

『私は殺される』(49)(1986.7.6)



 心臓病でベッドから離れられないレオナ(バーバラ・スタンウィック)。夫のヘンリー(バート・ランカスター)が出勤すると、家には彼女一人となり、外部との接触は一台の電話だけになる。ある日、レオナは交換手のミスによる電話の混線で、図らずも女性殺害の打ち合わせを耳にするが、やがてそれは自分を狙ったものだと知る。

 レオナが電話で聞く話がカットバックされていく形でストーリーが進行していく。原題は「Sorry,Wrong Number=悪いな、番号違いだ」で、この一言がラストで大きな意味を持つ。製作ハル・B・ウォレス、監督はアナトール・リトバク。

 【今の一言】先日、『THE GUILTY ギルティ』を見た際に、基はラジオドラマ、外に出られない主人公、電話を使ったサスペンス劇という点で、この映画のことを思い出した。また、実話を基に、自殺防止協会への電話を題材にしたドニー・ポラック監督の『いのちの紐』(65)という映画もあった。
 
バーバラ・スタンウィックのプロフィール↓


バート・ランカスターのプロフィール↓

パンフレット(50・アメリカ映画宣伝社(American Picture News))の主な内容
解説/物語/アメリカの批評抜粋/この映画の面白さ

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『メリー・ポピンズ』

2019-01-15 06:14:15 | 映画いろいろ
『メリー・ポピンズ』(64)(1981.5.6.新宿ロマン)



 子供のころに見逃し、高校の頃にも見逃して、今頃やっとお目にかかった。それ故、もはや自分は、この映画の子供たちの純粋さからは遠く離れ、父親のジョージ・バンクス(デビッド・トムリンソン)の頑固さや寂しさも何となく分かってしまうという、甚だ中途半端な立場の観客だった。

 『サウンド・オブ・ミュージック』(65)と並ぶ、ジュリー・アンドリュースの素晴らしくも美しい歌声と存在感、ディック・バン・ダイクの見事な大道芸(特にファーストシーンはすごい)、トムリンソンほかの達者な脇役たち、2人の子役のかわいらしさ、「お砂糖ひとさじで」「2ペンスを鳩に」「楽しい休日」「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」「チム・チム・チェリー」「凧をあげよう」などシャーマン兄弟の名曲の数々、圧巻のダンスシーン、アニメと実写の融合…。これはまさしくディズニー映画の最高作であろう。

 監督のロバート・スティーブンソンは、この映画のほかにも『うっかり博士の大発明/フラバァ』(61)『シャム猫FBI/ニャンタッチャブル』(65)『黒ひげ大旋風』(68)『ラブ・バック』(69)『ベッドかざりとほうき』(71)など、ディズニーの実写映画の傑作を生んだ人。もっと評価されてもいいと思う。

 ところで、この映画は夢物語である。そんなことは分かっているが、現実の味気ない生活の中で生きている今の自分が、一時でもそこから離れて、温かいものに触れたいという欲求を見事にかなえてくれた。そして忘れていた“何か”を思い出させてもくれた。それはスピルバーグが『未知との遭遇』(77)で伝えた“何か”とも似ている気がする。その漠然とした何かとは、大人になるにつれて見失ってしまう希望、純粋さ、連帯感、温かい心といったものだ。それらは、最近読んだサン=テグジュペリの『星の王子さま』のテーマにも通じるものだ。

 【今の一言】約40年前に書いた、何とも青臭い一文だが、当時の心境はこんな感じだったのだから仕方ない。それよりも、いつの間にか、自分がこの映画のジョージ・バンクスの年齢を越えてしまったことに気づいて愕然とした。
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北原白秋ゆかりの地を散歩

2019-01-14 11:13:26 | 雄二旅日記
 『この道』公開記念というわけではなく、最近妻が北原白秋に興味を持っているので、江戸川沿いにある白秋ゆかりの地を散歩。



 ルートは、京成金町→(京成)国府台→(徒歩)里見公園→(徒歩)矢切→(北総線)新柴又→(徒歩)八幡神社→白秋住居跡→(徒歩)金町。どうやら8キロぐらい歩いたようだ。いい運動になった。

 白秋が柴烟草舎と名付けた住居を小岩から移築した里見公園には「華やかに さびしき秋や 千町田の ほなみがすゑを 群雀立つ」と記された看板があり、八幡神社には「いつしかに 夏のあはれと なりにけり 乾草小屋の 桃色の月」の歌碑があった。

【インタビュー】『この道』大森南朋
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/6a0357d45424357d96e2762f539ce774

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『地獄の英雄』

2019-01-14 07:18:09 | 1950年代小型パンフレット

『地獄の英雄』(51)(1989.10.8.)



 酒に溺れ、一流新聞社をクビになったチャールズ(カーク・ダグラス)は、洞穴に生き埋めになった男の事件を特ダネにして元の職場への復帰を図るが…。

 この映画、「ワイルダー唯一の失敗作」という評論をどこかで読んだ覚えがあるが、この映画が描いた、事件のでっち上げや過大報道、野次馬の嫌らしさといったテーマは、今でも十分に通じるものがある。言い換えれば、ワイルダーが先を読み過ぎ、公開当時は早過ぎた映画だったのではないかとも思える。

 ところで、ワイルダーのフィルモグラフィを見ると、この映画と『サンセット大通り』(50)が、極端に暗い映画として目立つのだが、どうやらこの時期のワイルダーはウィリアム・ワイラーを意識していたらしい。後にワイルダーは、その意識から脱して、艶笑喜劇の傑作を連作するのだが、そう考えると、盟友チャールズ・ブラレットと袂を分かったこの映画は、ワイルダーにとっては、色々な意味で過渡期に当たるものだったのだろう。

 さて、たまたま昨日『ブラックレイン』(89)でマイケル・ダグラスを見たせいか、この映画の若き日のカーク・ダグラスを見ながら、よく似ているなあ、つくづく親子だなあと思わされた。

【今の一言】タイの洞窟事故と『地獄の英雄』(2018.7.3.)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b8a413353813c11fb1b569b2fff55a77

カーク・ダグラスのプロフィール↓


ビリー・ワイルダーのプロフィール↓

パンフレット(52・新世界出版社(AMERICAN MOVIE WEEKLY))の主な内容
解説/梗概/監督ビリー・ウイルダー/スターメモ ジャン・スターリング、カーク・ダグラス、ロバート・アーサー

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『メリー・ポピンズ リターンズ』

2019-01-13 16:16:58 | 新作映画を見てみた
 『メリー・ポピンズ』(64)の続編で、前作から25年後の設定。監督は『シカゴ』(02)のロブ・マーシャル。



 大人になったジェーンとマイケルのバンクス姉弟(エミリー・モーティマー、ベン・ウィショー)のもとに、魔女のメリー・ポピンズ(エミリー・ブラント)が再び現れ、前作に引き続き、親子3代にわたるバンクス家のピンチを救う。

 妻を失い、3人の子供たちの世話に悩み、おまけに借金の抵当として家まで奪われる羽目になったマイケル。そんな中、彼は純粋な子供心(遊び心)を失うが、ポピンズや子供たちのおかげで立ち直るという話は、『プーと大人になった僕』(18)のクリストファー・ロビン(ユアン・マクレガー)にも通じるものがある。こうした流れは今の流行なのかな。

 さて、凧=カイト、スノードーム、隣の海軍大将(デビッド・ワーナー)、群舞シーン、実写とアニメーションとの融合、そしてディック・バン・ダイクの登場など、前作へのオマージュが随所に見られるし、前作のジュリー・アンドリュースの“母性”とは違い、ちょっと上から目線でクールなポピンズ像を構築したブラントも頑張ってはいる。

 しかし、前作に比して人物描写に哀愁が感じられないのが最大の弱点。前作の父親ジョージ(デビッド・トムリンソン)同様に、今回は息子のマイケルがいろいろと悩むのだが、心理の明暗がきちんと描かれていないから、人物像に深みが感じられない。また、前作の大道芸人のバート(バン・ダイク)やポピンズにしても、どこかに悲しみや寂しさをたたえていたからこそ、楽しい場面とのメリハリが際立ったのだ。

 何より肝心の歌(音楽)が記憶に残らない。前作の「お砂糖ひとさじで」「2ペンスを鳩に」「楽しい休日」「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」「チム・チム・チェリー」「凧をあげよう」といった、一度聴いたら忘れられないような名曲群と比べると、今回の歌が見劣りするのは否めない。過去の名曲を使わずにオリジナル曲で通したのは今回のスタッフの意地だったのかもしれないが、そんなに無理をする必要はなかったのではないかと思う。

 ところで、『メリー・ポピンズ』とこの映画の間に、『メリー・ポピンズ』製作の舞台裏を描いた『ウォルト・ディズニーの約束』(14)があったことを思い出した。

【ほぼ週刊映画コラム】ディズニー創立90周年記念『アナと雪の女王』と『ウォルト・ディズニーの約束』
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/532791/2
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