共同通信エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
笑いの中にジェンダーの問題を鋭く描き込んだ
『MISS ミス・フランスになりたい!』と『ステージ・マザー』
やっとNetflixに加入した。こうしたNetflix製作の映画を見るためにである。コロナ禍の影響もあり、もはや配信映画は無視できない存在となったからだ。
南北戦争終結から5年。元南軍の退役軍人ジェファソン・カイル・キッド(トム・ハンクス)は、各地を転々としながら、民衆に新聞を読み伝える仕事をしていた。
ある日、キッドは、6年前にネイティブアメリカンのカイオワ族に連れ去られ、育てられた10歳の少女ジョハンナ(ヘレナ・ゼンゲル)と出会う。キッドは、彼女を親族のもとへ送り届ける役目を引き受けるが…。
西部劇初出演となったハンクスとドイツ出身の新星ゼンゲルによる、中年男と少女のバディ&ロードムービー。ジョン・フォードの『捜索者』(56)を連想させるような設定だが、キッドとジョハンナの関係は、『レオン』(95)のレオンとマチルダのようでもある。
ネイティブアメリカンの言葉しか話さないジョハンナと、身振り手振りでコミュニケーションを取るキッド。ジョハンナが最初に話す言葉が「Story=物語」であり、原題の「News of the World」が示す通り、この映画のキーワードは物語とニュースだ。
監督のポール・グリーングラスは、「ボーン」シリーズなど、アクション系の監督のイメージが強いが、実はジャーナリスト出身。その点、彼が新聞語りという主人公の職業に共感したであろうことは、想像に難くない。そして新聞を見事に読み上げるハンクスの口跡の良さも素晴らしい。
そんなこの映画は、最近にしては珍しい正統派の西部劇だが、同時に新しさも感じさせる。特にラストシーンがとてもよかった。風景の良さもあり、ぜひ映画館でもう一度見直したいと思った。Netflix製作映画侮り難し。
ポール・グリーングラス&トム・ハンクス『キャプテン・フィリップス』
https://tvfan.kyodo.co.jp/news/topics/57042
性別を超えた共同体を描く
テキサスの田舎町に住む主婦メイベリン(ジャッキー・ウィーバー)は、長い間疎遠だった息子のリッキーの訃報を受け、サンフランシスコへ。そこで彼女は、息子がドラァグクイーンでゲイバーを経営していたことを知る。メイベリンは、息子が遺した経営難のゲイバーを再建するために立ち上がる。
保守的な初老の女性が、息子を理解しないままに亡くした後悔から、自らを見つめ直し、やがて偏見や差別を乗り越えて、みんなの母になっていく様子が描かれる。
そして、それを見ているこちらも、メイベリン同様、最初は、正直なところ、偏見の目で見ていた彼らの一人一人が、段々といとおしく思えてくるようになる。
つまり、このカナダ映画も、フランス映画の『MISS ミス・フランスになりたい!』同様、性別を超えた共同体を描いているのだ。この2本の映画が、日本で同時に公開されることに、不思議な縁のようなものを感じた。
ラストを飾る、ボニー・タイラーの「Total Eclipse Of The Heart / 愛のかげり」が素晴らしかった。
男でも女でもないこと
この映画で、男性であることを隠しながらミスコンに挑むアレックスを演じるのは、ジェンダーを超えた美しさを誇るフランスの美男モデル、アレクサンドル・ヴェテール。そもそも彼の存在なくしてこの映画は成立しない。
加えて、この映画がユニークなのは、アレックスと同じ下宿に住む、ドラァグクイーン、移民、黒人、孤独な老人といったマイノリティを、彼の周りに配したところだろう。
特に、皆が集まってアレックスを応援する最後のコンテストのシーンは、あたかも『ロッキー』(76)などのスポーツ映画の盛り上がりを連想させる。この場合、アレックスは彼らの代表であり、代弁者なのだ。
そして、この映画のテーマである。男でも女でもないこと、性別を超えて、には、ミスコンへのアンチテーゼや皮肉が込められ、理屈っぽいセリフ、議論や主張の場面もあるところが、いかにもフランス映画らしくて面白かった。
毒気に当てられたような嫌な気分になる
1920年代、禁酒法時代のシカゴで、イタリア系のギャングの親分として名をはせたアル・カポネ(トム・ハーディ)の最晩年を描く。マット・ディロン、カイル・マクラクランが助演。
梅毒で脳を病んだカポネ(特殊メークで醜悪な姿となったハーディ)の幻覚や悪夢をひたすら暗い画面で見せるこの映画は、まるでスリラーかホラーのようだ。スタンリー・キューブリックの『シャイニング』(80)をほうふつとさせるシーンすらある。
『クロニクル』(13)や『ファンタスティック・フォー』(15)のジョシュ・トランク監督が脚本も書き、「果たしてカポネは本当に壊れていたのか」という視点から、自らのイメージを表現した映画だけに、質(たち)が悪い。見終わって、毒気に当てられたような嫌な気分になった。『クロニクル』の頃は期待の監督だっただけに、残念な気がしてならない。
ところで、カポネはよく映画に登場する。例えば、彼をモデルにしたものでは『犯罪王リコ』(31)『民衆の敵』(31)『暗黒街の顔役』(32)などがあり、『暗黒の大統領カポネ』(59)でロッド・スタイガー、『聖バレンタインの虐殺/マシンガン・シティ』(67)でジェイソン・ロバーズ、テレビシリーズ「アンタッチャブル」でネビル・ブランド、そして『アンタッチャブル』(87)でロバート・デ・ニーロが、それぞれカポネを演じている。
大悪党のギャングが幾度も題材になる理由(時にはヒーローの如く描かれる)は一体どこにあるのかとも思うが、それこそが、アメリカのダブルスタンダードや矛盾、複雑さを象徴しているとも言えるのではないか。
『ファンタスティック・フォー』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/49ffe42c35f96652d16d44d4c0c3ba94
『クロニクル』
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/56321