「ごめんなさい・・・。言い方が悪かった。」
「別にいいわよ。それで、母さんは大丈夫なの。」
「今のところ大丈夫よ。だから、今日の午前中に来て頂戴。」
「分かったわ。今から行くわ。それで、病院は何処なの・・・。」
私は病院名と道程を伝えメイが来るのを母の病室で待つことにした。1階のロビーから母のいる病棟へ向かう途中に椅子に腰かけた寝間着姿のうつろな目をした人々に出会った。自身の身体もままならぬ事への喪失感が目の輝きを奪ってしまうものなのかと思っていると、看護師さんが忙しそう小走りにかけぬけてゆく。すれ違いざまに残る消毒液とフローラルの香水と煙草の入り混じった臭いが残像のようにその場に留まり、白い壁と薄暗い蛍光灯の明かりが視野を一層狭め、なぜか呼吸しづらくなる。
エレベーターの扉が開いているのが見え、足早に乗り込むと、キャスターに点滴をぶら下げたやせ細った背の高い男性がボタンの前にいて「何階ですか?」と尋ねてきた。「あっ、すいません。5階で。」と言うと、その人はボタンを押し扉が閉まった。その男性は点滴中であることがわかったがそれ以上詮索しないように意識して、上昇してゆくエレベーターの数字に目をやった。
エレベーターが3階で止まると、男性は私に軽く会釈し、左右に分かれている通路の右側の方へとスリッパを引きずりながら歩いて行った。
一人になった私はボタンを押し扉を閉めた。エレベーターは静かに動き5階で止まり扉が開いた。私は自らすべての思考を停止し母のいる病室へと向かった。
五階の病室から見える風景は灰色の街と灰色の空が広がっていて私の気持ちを一層憂鬱にさせた。病床に臥せる母の姿はかすかな命を留めているように感じ、そしていつもより体も小さく腕や足も細くなっている事に気づいた。すると、母と目が合う。弱々しくにこりと笑う。目じりのしわの深さに驚きながら、「どうしたの母さん。」と、声をかけてみると、
「ねぇ。どうしてあなたたちは仲が悪くなっちゃったの? 」
と、か細い声でたずねてきた。母には仲が悪い事を悟られまいと私達は振舞っていたつもりだったが、やはり母には隠せなかったようだった。
「・・・気づいていたの。母さん。」
「そりゃわかるわよ。貴方達の親だもの。」
返す言葉がない。言葉に詰まる。胸が痛む。軽く唇をかむ。どうしようもない空虚な気持ち。そこから絞り出された言葉は、
「ごめんなさい。」
そう言うと、母は私の方へ手を差し伸べ、私の手の甲の上に痩せた冷たい手を乗せた。
「あやまらなくていいのよ。サツキ。謝らなくてはならないのは私の方だわ。」
「ううん。そんなことない。私がもっと寛容であったら・・・。」
「・・・おバカさんねぇ。サツキは十分寛容だわ。だから自分を責めては駄目よ。」
「うん。」
そう返事すると、自分の生きてきた時間や今の立場をすべて忘れ、少女のころへと戻って行く気がした。目頭が熱くなる。でも我慢をした。ここで泣いてはいけないと思ったが、年のせいか涙もろくなっていた。
「ほらほら、涙がこぼれてるわよ。これで拭きなさい。」
母さんは、そう言ってベッドサイドに置いてあるティッシュペーパーを取って私に差し出した。その優しさに私は我慢できなくて、細くなった母さんの手を握りうつむいて静かに泣いた。もう、何も言葉が出てこない。母さんは優しく微笑んでいる。私はただただ泣き続けた。
「別にいいわよ。それで、母さんは大丈夫なの。」
「今のところ大丈夫よ。だから、今日の午前中に来て頂戴。」
「分かったわ。今から行くわ。それで、病院は何処なの・・・。」
私は病院名と道程を伝えメイが来るのを母の病室で待つことにした。1階のロビーから母のいる病棟へ向かう途中に椅子に腰かけた寝間着姿のうつろな目をした人々に出会った。自身の身体もままならぬ事への喪失感が目の輝きを奪ってしまうものなのかと思っていると、看護師さんが忙しそう小走りにかけぬけてゆく。すれ違いざまに残る消毒液とフローラルの香水と煙草の入り混じった臭いが残像のようにその場に留まり、白い壁と薄暗い蛍光灯の明かりが視野を一層狭め、なぜか呼吸しづらくなる。
エレベーターの扉が開いているのが見え、足早に乗り込むと、キャスターに点滴をぶら下げたやせ細った背の高い男性がボタンの前にいて「何階ですか?」と尋ねてきた。「あっ、すいません。5階で。」と言うと、その人はボタンを押し扉が閉まった。その男性は点滴中であることがわかったがそれ以上詮索しないように意識して、上昇してゆくエレベーターの数字に目をやった。
エレベーターが3階で止まると、男性は私に軽く会釈し、左右に分かれている通路の右側の方へとスリッパを引きずりながら歩いて行った。
一人になった私はボタンを押し扉を閉めた。エレベーターは静かに動き5階で止まり扉が開いた。私は自らすべての思考を停止し母のいる病室へと向かった。
五階の病室から見える風景は灰色の街と灰色の空が広がっていて私の気持ちを一層憂鬱にさせた。病床に臥せる母の姿はかすかな命を留めているように感じ、そしていつもより体も小さく腕や足も細くなっている事に気づいた。すると、母と目が合う。弱々しくにこりと笑う。目じりのしわの深さに驚きながら、「どうしたの母さん。」と、声をかけてみると、
「ねぇ。どうしてあなたたちは仲が悪くなっちゃったの? 」
と、か細い声でたずねてきた。母には仲が悪い事を悟られまいと私達は振舞っていたつもりだったが、やはり母には隠せなかったようだった。
「・・・気づいていたの。母さん。」
「そりゃわかるわよ。貴方達の親だもの。」
返す言葉がない。言葉に詰まる。胸が痛む。軽く唇をかむ。どうしようもない空虚な気持ち。そこから絞り出された言葉は、
「ごめんなさい。」
そう言うと、母は私の方へ手を差し伸べ、私の手の甲の上に痩せた冷たい手を乗せた。
「あやまらなくていいのよ。サツキ。謝らなくてはならないのは私の方だわ。」
「ううん。そんなことない。私がもっと寛容であったら・・・。」
「・・・おバカさんねぇ。サツキは十分寛容だわ。だから自分を責めては駄目よ。」
「うん。」
そう返事すると、自分の生きてきた時間や今の立場をすべて忘れ、少女のころへと戻って行く気がした。目頭が熱くなる。でも我慢をした。ここで泣いてはいけないと思ったが、年のせいか涙もろくなっていた。
「ほらほら、涙がこぼれてるわよ。これで拭きなさい。」
母さんは、そう言ってベッドサイドに置いてあるティッシュペーパーを取って私に差し出した。その優しさに私は我慢できなくて、細くなった母さんの手を握りうつむいて静かに泣いた。もう、何も言葉が出てこない。母さんは優しく微笑んでいる。私はただただ泣き続けた。