硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

「となりのトトロ その後 五月物語。」 35

2014-01-27 09:20:55 | 日記
「ねぇ、母さんが亡くなった時、本当に父さんが迎えに来てくれたと思う? 」

「また、唐突ね。」

「私、ずっと気になってたんだ。亡くなる前にあんなこと言ってたでしょ。だから本当なのかなって。」

「さあ、どうなのかしらね。実際の所は亡くなってみなければわからないじゃない。」

「まあ、そうだけれど・・・。」

「あの世と呼ばれる次元が本当に存在すると仮定するなら、魂の存在もしかりと捉えた方が自然で、時頼観測される科学では証明できない現象がこの次元で認められている以上、霊的な事象を否定する事は出来ないし、それを否定する事は神への冒涜と言えるかもしれないわ。だからこそ、摂理とは人類の英知では計り知れない力であると言えるんじゃないかなぁ。」

「なんだか難しくて分からないわ。」

「簡潔に言うと、あると言えばある。無いと言えばない。信じる、信じないはその人の心のもちようでしょうね。」

「なるほどねぇ。上手い事言うね。で、姉さんはどう思ってるの?」

姉はまた腕を組んでしばらく考えた。

「う~ん。どうなんだろうね。でも、トトロの事もそうだけれど、誰かには見えて誰かには見えない。誰かには感じる事が出来て、誰かには感じる事が出来ないという事象は、観測者が複数存在するということだから、個人の脳細胞が見せる幻影とは言いきれないでしょう。」

「う~ん。」

「霊性に関して考える時、日本人の多くは日本と言う国土で育まれてきた独自の文化、宗教観というものは迂回できないものであるし、宗教は死生感を言葉に表したことで人々の心の問題をとりあえず安定させる事が出来たから、その思想を定着させることができたのだと思う。それでも、時間の流れは容赦なく価値観をも変容させてゆくもので、私達の世代以降は個人的でかなりドライな宗教観をもつようになった。それは科学の進歩と経済成長が普遍性のある死生観の源泉を知る機会を減らしていったからだと思うのよ。でも、松之郷での暮らしを思い出して御覧なさい。自然と密接し共生した暮らしは、その生活の中に死生観を育んでいたでしょう。だから母さんの世代だと父さんが迎えに来るっていう考え方は今よりももっと自然だったと思うのよ。」

「うん。」

「父さんがどこかの発掘調査を終えた後に言っていた事があるんだけれどね、古代は今と違って人の死は日常の中にあって、弔い方も地域によってさまざまな様式があるけれど、共通して言える事は、共に生きてきた者を居住区の近くに安置し手厚く弔う事で、亡くなった後でも生活の延長線上に存在し、目に見えなくとも、残された者を見守り続け、厄災を遠ざけ、様々な恩恵をもたらすと信じていたから、死者を手厚く弔っていたのではないだろうか。と言っていたわ。まさにそれで、信仰の形はどうであれ、その頃に安らかな死にあずかる恩恵も、身近な死者によって導かれるという普遍性を帯びた思想の萌芽があったと考えられるんじゃないかなと思う。死は生存する者にとって恐怖であるけれど、そう言う考え方によって死の恐怖を和らげる叡智が古代から脈々と受け継がれてきたのは、思想と共に魂が魂を送りに来るという事象がわずかながらに観測され、観測者によってよりドラマテックに口伝された結果だと思うわ。」

「ううん。よくわからない。」

「こういってはなんだけれど、本当のところ私もよく解らないわ。」

そう言って、姉はお茶目にちょっぴり舌を出した。