沢木耕太郎さんの見た映画によると「使われなかった人生」というものがあるらしい。「あったかもしれない人生」と微妙に違っていて実現可能な範囲の人生らしい。例えば、絵が好きな人が、絵では食えないと会社勤めをするとかした場合、絵のほうが使われなかった人生になるらしい。最近、知っている映画スターの訃報を聞くにつけ彼らの映画って、もしかして、僕らに使われなかった人生を疑似体験させてくれていたんではないだろうかと思った。僕らは、映画の主人公になりきりながら映画を見てしまう最後の世代だからかもしれないが。僕らの使われなかった人生がスクリーンにあると思えばそれだけで豊な気分になれるね。必然、自分の使われなかった人生だから楽しい映画がいいね。なんか、ひとり納得して緒形拳、峰岸徹 なくなった両氏に思いをはせた。これからも、知ってるスターが亡くなっていくのは必然だけど自分も同じように歳をとっていくから寂しいけどわりとそうだろうなと思うところがあって、よく生きてきたねと健闘をたたえあう気持がうまれてきた。こういうのを年っていうのかな?
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