モンクから久しぶりにメールがあった。Tokyoは忙しくて仕事は超ハードってかいてあった。Extremelyって表現にぶったまげた。普段から使うのかな。あんまりみたことないから新鮮と言うかなんというかこの言葉が心に引っかかった。Extremely なんて自分の中ではRimbauの「地獄の季節」に感じたくらいだから。この状況で使われるのは違和感があった。でも、ネイティブが使うんだから間違ってはないんでしょうね。それほど凄い言葉ではないのかも。日本人の想像とは違うのだ。それでも僕は、想像を大事にして気軽にこの言葉は使わないで置こう。英語が十分判るわけではないけどなんとなくそう思うんだ。昼間英語のニュースを聞いたけど早くて大体のとこしか判らなかった。あとで「日本語ってどうしてわかるんだろう」ってバジルとよく言うんだけど。別に仕事とか交渉で使うわけではないんだから仲良く出来るくらいでいいんだよ俺たちの英語はということでいつも落ち着く。また上達しないなこれだから。でも、まぁいいか。
犬のカラオケやって知ってますか。ワン、キャン、ウーの3拍子、調子が出たらアウアウォー。さぁさ、どんな犬でもはいれるよ。汚れた犬にはシャワーつき。老いぼれ犬には介護つきだよ。みんなで寄ってみんなで歌いみんなで心ゆくまで楽しもう。月の夜には遅くまで雨が降っても屋根の下。一度はいればもうやみつきだよ。何曲歌っても240円、240円ぽっきりだよ。ってにぎやかな「犬のからおけや」ありそうで、なさそうなそんな店に出会ったのはもう何十年ぶりかな。本当は、もっと暗いんだ。朝早くまだ暗いうちに犬を連れて散歩してたら突然暗い感じの店に出会ったんだ。店の前の黒板に「犬のカラオケや 240円」って書いてあった。入ろうかと思ってポケットを探ると小銭がない。1万円では釣りがないと言う。どこかでくずそうと周りを見たら自動販売機が1個だけ。不思議と1万円札を受け付ける販売機だったけど大人のオモチャのようなものを売ってる販売機で1個3940円もするの。嫌だなと思いつつも仕方がないから一個出したらグレーの半ズボンに赤と白の運動着のようなものが出てきてそれを着ると何故か良く似合うんだ。250円で10円のお釣りをもらってカラオケやにはいるとみんな赤と白のあの服を着ていた。・・・という夢を何十年ぶりかで見たんだ。おかしな夢。なんなのだろうね。
このごろ店の看板にやたらとフランス語が使われている。日本人の感性に合うのかなフランス語がしゃべれる人は、英語がしゃべれる人より少ないのに可笑しいね。でもどこかしゃれてるところがいいんだろうか。動詞の変化なんか気が遠くなるようなのに。ほんのちょっと使って加工してというのが日本流なのかな。でも土佐のモネの庭に来た仏蘭西の役人が「フランス人と日本人は、感性が似ている」と言っていた。最近自分も感じるところはあるけどそれは文化人であったり作家であったりだから一般の人とおしなべてそうなのかというとぎもんだな。ガリア人だったっけ?文化人類学的には共通点はないんでしょうね。明治政府が仏蘭西のまねをしていた時のトンネルの形なんかアメリカ式よりもちょっと狭いけど見た目はいいよ。そういえば、フレンチカジュアル、日本人に一番似合ってたな。
いつも行く露天のパン屋さんに新メニューが出ていた。ナンだ。だと思っていた。「ナンも焼いたの」「真ん中から切ると中が空いてるから具材をつめて」と説明してくれてるんだけどナンだと思い込んでいる頭には、新種のナンかとしか映らない。「ピザのシートにもなるし」とも。それでも「ナンも買おうか」なんて。
次の週に行ったらあのナンの袋の上に青いマジックで「ピタパン」と書いてあった。
次の週に行ったらあのナンの袋の上に青いマジックで「ピタパン」と書いてあった。
朝からそわそわ、どきどきしていた。1Q84 the Book 3の発売日だからだ。別に本を買うわけではないのだけれど気になって何と言おうかウキウキしてる。あの青豆にまた逢えるからだ。何故だか分からないけど青豆を守ってやると決めていたからかな。図書館で予約して7van目。早い方かな。それまでの楽しみとしよう。でも気になるから本屋に出かけた。全国で予約購入が25000というからさぞ賑やかなんだろうと売り場を見渡したら静か。パラレルワールドに来たかと思った。土佐は、中央の動きと関係ない独特の動きをするところだから中央の騒ぎも関係ないのか、それにしてもつれないね。本を読むやついないのか。県民所得は、全国で2番目くらいに低いのに公務員の数は多い。それなのに少年犯罪率は日本一。昔は、単純動機殺人率も日本一だった。なんちゅう県なんや。好きだけどね。この馬鹿クササ。まぁ、自分が本屋に行った時間が早かったからということにしとこう。でも、うれしいんだ青豆に逢えると思えば。
小野小町の有名な和歌
「花の色は移りにけりな徒にわが身世にふるながめせしまに」
これは、古今集の春の歌に入っているんだね。知らなかった。ずっと小町というだけで恋の歌かと思っていた。容色の衰えの歌だと思っていたから。でもちょっと違ってたんだなこれが。「ボーっとしてるうちに花の色が移って行くように春が往ってしまう」という大意だとそうなるのかな。それにしてもこの寒さはなんなんだろう。また冬に逆戻りだよ。毛糸のセーターを引っ張り出してチタニウムのパンツを穿き猫にストーブを点けてやる。これじゃぁボーっとしてる間に春は行かず往ったり来たりを繰り返すからあのランボーの「永遠」と重なって「とうとう見つかったよ なにがさ 永遠というもの」「また見つかったよ なにがさ 永遠」「もう一度探し出したよ 何を 永遠を」こんなに訳のニュアンスが違う。逆に小町の歌も仏蘭西で訳されているんだ「Pendant que revant Pleine de melencolie」なんてね。これによると人生の春の移ろいのほうだね。小町は花の歌が多いけど水の歌もあるんだ。終の花、水のうら、人生の何たるかを知った哲学者だったのかもしれないね。移ろうことで歌の受け取り方も変わるのか・・・・。
「花の色は移りにけりな徒にわが身世にふるながめせしまに」
これは、古今集の春の歌に入っているんだね。知らなかった。ずっと小町というだけで恋の歌かと思っていた。容色の衰えの歌だと思っていたから。でもちょっと違ってたんだなこれが。「ボーっとしてるうちに花の色が移って行くように春が往ってしまう」という大意だとそうなるのかな。それにしてもこの寒さはなんなんだろう。また冬に逆戻りだよ。毛糸のセーターを引っ張り出してチタニウムのパンツを穿き猫にストーブを点けてやる。これじゃぁボーっとしてる間に春は行かず往ったり来たりを繰り返すからあのランボーの「永遠」と重なって「とうとう見つかったよ なにがさ 永遠というもの」「また見つかったよ なにがさ 永遠」「もう一度探し出したよ 何を 永遠を」こんなに訳のニュアンスが違う。逆に小町の歌も仏蘭西で訳されているんだ「Pendant que revant Pleine de melencolie」なんてね。これによると人生の春の移ろいのほうだね。小町は花の歌が多いけど水の歌もあるんだ。終の花、水のうら、人生の何たるかを知った哲学者だったのかもしれないね。移ろうことで歌の受け取り方も変わるのか・・・・。
Ecoute au fond des bois
Murmure une voix:
Rappele-toi
おきき、森の奥で一つの声が
ささやくのを
「おもいだして」と。
還暦のお友達と話すときは別に問題ないんだけどはや少し若い人たちと話すときは要注意だ。一度話したこと覚えているから。何度も同じ話をする人になってしまう。自分は、すっかり忘れていたんだけど思い出しえなかったのかもしれない。これから、思い出すというのは、キーワードかもしれないね。
Murmure une voix:
Rappele-toi
おきき、森の奥で一つの声が
ささやくのを
「おもいだして」と。
還暦のお友達と話すときは別に問題ないんだけどはや少し若い人たちと話すときは要注意だ。一度話したこと覚えているから。何度も同じ話をする人になってしまう。自分は、すっかり忘れていたんだけど思い出しえなかったのかもしれない。これから、思い出すというのは、キーワードかもしれないね。
「永遠」A.ランボー
とうとう見つかったよ
なにがさ?永遠というもの
没陽といっしょに
去(い)ってしまった海のことだ。
ランボーの詩の冒頭が目に飛び込んできた。釘付けになった。なんて素敵なんでしょう。やはり、詩は、ランボーにしたもんかとこの数行を反芻する。
雨上がりの景色に永遠が沈んでいくようだ。
春は、よく人が死ぬね。毎日、新聞に有名人が死んだと出ている。幽玄界も花散らしが吹き荒れているのかな。
学校へ行く途中の小学生が「晴れてもいい。雨でもいい。風でも嵐でもいい。今から始まる私の今日」と大きな声で暗誦して行った。その詩に永遠があった。
「雨にもマケズ風にもマケズ・・・」に匹敵するなと一人感じ入った。
とうとう見つかったよ
なにがさ?永遠というもの
没陽といっしょに
去(い)ってしまった海のことだ。
ランボーの詩の冒頭が目に飛び込んできた。釘付けになった。なんて素敵なんでしょう。やはり、詩は、ランボーにしたもんかとこの数行を反芻する。
雨上がりの景色に永遠が沈んでいくようだ。
春は、よく人が死ぬね。毎日、新聞に有名人が死んだと出ている。幽玄界も花散らしが吹き荒れているのかな。
学校へ行く途中の小学生が「晴れてもいい。雨でもいい。風でも嵐でもいい。今から始まる私の今日」と大きな声で暗誦して行った。その詩に永遠があった。
「雨にもマケズ風にもマケズ・・・」に匹敵するなと一人感じ入った。
さすが リズ、面目躍如
新聞でリズの婚約を知ったから。29歳年下の彼らしい。リズといえばもう78~80でしょうそれに脳腫瘍を患って車椅子の生活と聞いていたけどリズに関してはそんなの関係ない。さすがの僕も驚きました。この年で「恋が語れる」なんて素敵。もはや心の時代なのか。はじめに言葉ありきだよね。どんなこと語るのか聞いてみたいよね。80といえば、体のあちこちが痛いとかお迎えが来るとか言いながらためいきのひとつでもだしてすっかり自分からおばぁあさんや爺さんを間違いなくするお年頃だよね。いやぁ、これからの人生に希望が持てますね。快挙ですね。リズが教えてくれたこと「何歳でも恋はできる」。結果なんて顧みる年齢じゃないから見返りなんていらないからただ僕は、あなたが、ささやく愛の言葉がほしい・なんて素敵な世界が広がりそうだ。別れは、永遠の別れを背負っての恋愛。老いらくの恋ではなくリズのように堂々の恋に生きる新しい人生の一つのあり方を示してくれたと思う。でも僕は、リズのように何人もとっかえひっかえのタイプじゃなくて一途に一人のタイプだからこういうのは、どうすれば、素敵な人生になるんでしょうね。リズに聞いてもわからないだろうな。それはさておき、リズはリズで立派だと思いました。女は死ぬまで恋だね。
新聞でリズの婚約を知ったから。29歳年下の彼らしい。リズといえばもう78~80でしょうそれに脳腫瘍を患って車椅子の生活と聞いていたけどリズに関してはそんなの関係ない。さすがの僕も驚きました。この年で「恋が語れる」なんて素敵。もはや心の時代なのか。はじめに言葉ありきだよね。どんなこと語るのか聞いてみたいよね。80といえば、体のあちこちが痛いとかお迎えが来るとか言いながらためいきのひとつでもだしてすっかり自分からおばぁあさんや爺さんを間違いなくするお年頃だよね。いやぁ、これからの人生に希望が持てますね。快挙ですね。リズが教えてくれたこと「何歳でも恋はできる」。結果なんて顧みる年齢じゃないから見返りなんていらないからただ僕は、あなたが、ささやく愛の言葉がほしい・なんて素敵な世界が広がりそうだ。別れは、永遠の別れを背負っての恋愛。老いらくの恋ではなくリズのように堂々の恋に生きる新しい人生の一つのあり方を示してくれたと思う。でも僕は、リズのように何人もとっかえひっかえのタイプじゃなくて一途に一人のタイプだからこういうのは、どうすれば、素敵な人生になるんでしょうね。リズに聞いてもわからないだろうな。それはさておき、リズはリズで立派だと思いました。女は死ぬまで恋だね。