みちしるべの伝説

音楽と希望は刑務所でも奪えない。

カッチーニ「アヴェ・マリア」再び♪

2005年12月25日 | 芸事全般
ゆきゆかば青衣荘厳(せいいしょうごん)の国を見む
マリヤ歎きの眼を伏せ祈る
(杉本清子)

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聖歌隊の歌声でカッチーニ「アヴェ・マリア」♪を奏でてみる。楽譜はこちらの記事で。

絵はカルロ・ドルチの「悲しみの聖母」。東京上野の国立西洋美術館所蔵。

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世にも美しい数学入門~音~人類の至宝

2005年12月23日 | 芸事全般
今まで知らなかった世界が、急に目の前に開けてくるのは、なかなか愉快。
自分の場合、この秋にたまたま手にした一冊の本がきっかけでした。ブログにも書いたけれど小川洋子著「博士の愛した数式」。数学の世界の面白さに目から鱗だったのです。

そして、その「博士の愛した数式」に気を良くして、もう一冊読んだのが「世にも美しい数学入門」
数学者、藤原正彦さんと小川洋子さんの対談をまとめたもの。新書で薄くて「博士の愛した数式」同様、読みやすい(難しい数式は飛ばしたけど)。数学にまつわるあれこれ、数学と文化・国民性、数学者のロマン、数学の美しさ、などなど、いろんな話が展開します。数学が文学や芸術と、たいへん近い位置にある学問だということが、実感としてよく分かってきます。
例えば、数学と俳句。世の中の、もやもやとした現象を、一気通貫で解決するシンプルな公式や定理は、五七五で世界を表現する俳句と感覚的にたいへん近いという話、なるほどと思う。
いろいろ興味深い話の中で、極めつけに印象深く、美しいと思ったのは、「博士の愛した数式」にも出ていたオイラーの公式。



eとπとi、自然対数の底と円周率と虚数、大抵の人が数学嫌いになるだろう怪しげで不可解な3つの数、これらがこんなに簡単な式で関連付けられて調和するということ。これを神秘と言わずして、何と言おうか!
この数式は「人類の至宝」と呼ばれてるんですね。なるほど、深く頷ける。思い知らされたは人類の叡智の凄さ。素直に脱帽。

あとピアノ的な感想も少し。音楽との共通点を感じたのは、いろんな数学の定理や公式が発見される様子です。
天才数学者たち、フェルマー、ガウス、オイラー・・・(音楽で言うところの、ベートーヴェン、モーツァルト級でしょうか?)彼等は、いろいろな数学の美しい定理を発見するのですが、それらは難しい数式をこねくり回して発見したのではなくて、直感で見つけ出しているということ。ちょうどモーツァルトの頭に名旋律が、沸き上がるのと同じように!

数年前に、音階と数学を結びつけたピタゴラスの話を知り、音楽と数学の意外な親密さにびっくりしたのですが、改めて音楽と数学は表裏一体なんだろうなと感じる。美しい音楽の素晴らしさは誰もが認めると思うけど、同じように、数学も美しい世界が広がっている。

自分の勝手な想像ですが、いつかモーツァルトの名旋律から、数学上の偉大な発見がなされる日がやってくるんじゃないだろうか?
πやeといった数は、音楽の中で位置付けるとしたら、どうなるんでしょうね・・・。

ちなみに、音楽について、最大の謎だと感じているのは、1オクターブが12の音から出来ていること。更に12の音を組み合わせることで、美しい音楽が生まれるということ。11でも13でもなくて、どうして12なのか?
やや脱線ですが、12繋がりで、1年が12ヶ月というのも謎ですね。人間の手は10本なのに、あえて12の月にしたのか?12進数は今を遡ること5000年前の古代メソポタミア文明が起源のはずですが、音楽と暦の不思議な繋がり、これも大いなる謎です。
普段、当たり前に思っていることに、神の摂理とも言いたくなる不思議な謎が潜んでいて、面白い。謎が好きなそらみみでした。

「博士の愛した数式」→「世にも美しい数学入門」の順番が無理なく、数学の美しさに目覚める順路でしょうか。
どちらも大抵の図書館に置いてありそう。新たな美の世界をお探しの方には、たいへんお薦めです。

(完全に余談だけれど、著者の藤原正彦さんは、山岳小説の新田次郎のご子息とのこと。山好きで氏の小説を愛読していた自分としては、大いに親近感を感じたのでした。音楽やら俳句やら山登りやら、関心のあるテーマが繋がって愉快。)
(長文すみませんでした。)
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ウナ・コルダ~聖セシリア~ドルチ

2005年12月15日 | 芸事全般
unaさんという方が遊びに来てくれたので、unaについて調べた。

ピアノでunaと言えば、そう、「ウナ・コルダ」。ピアノに3本ついているペダルの一番左のペダル。恥ずかしながら、今まで「ウナ・コルダ」と呼ばれる理由を知らなかったのだ。

音楽用語辞典によれば
una corda【伊ウナ・コルダ】一弦で。[略 u.c.]ピアノ演奏で、シフティング・ペダル(左のペダル)を踏んで。アップライト・ピアノはソフト・ペダル。・・・・。

イタリア語で1はuno(ウノ)ですね。(余談、昔、カードゲームであったなぁ・・・)。ちなみに2弦は due corda(ドゥエ・コルダ)なんだそうです。左のペダル、自分は「ソフト・ペダル」と呼んでましたが、「ソフト・ペダル」は正確にはアップライト・ピアノ限定の言葉のようです。

あと、unaさんのブログを読んでいて勉強になったのは、聖セシリアというキリスト教の聖人が音楽の守護聖人だということ。西洋の絵画でオルガンとペアで描かれる女性は、聖セシリアになります。ちょっと検索してみたらドルチ(Carlo Dolci)という画家の聖セシリアが出てきました。ドルチの画風は好きです。
ドルチェに通じるものがありませんか?

絵は「オルガンの前に座る聖セシリア(St Cecilia at the Organ)」
カルロ・ドルチ(Carlo Dolci)(1616-1686)
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プレイエルとルノワール

2005年12月13日 | 芸事全般
昨日(といっても日付が回ったので一昨日か・・・)の河合優子さんのピアノの時、もう一つ、嬉しい再会というか、発見があったのです。

それは、ルノワールの「ピアノを弾く少女たち」
ルノワールの中で、恐らく、そらみみが一番好きな絵。
その昔、部屋に飾ったこともあるぐらい好きな絵。
会場のホールには、音楽に関係する絵がいろいろ飾られていて(もちろん複製絵画だけど)、久しぶりに御対面でした。

で、その先が重要で、この絵に描かれているピアノは、プレイエルなんだそうです。

お~お!

自分の好きな「はちみつ色」プレイエルと、ルノワールの絵が繋がったのでした。確かに、プレイエルの音色はこの絵に通じるものがあります。

なかなかにハッピーなのでした。
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カッチーニの謎♪

2005年12月06日 | 芸事全般
物事には、伏線というものがあると思う。
この絵はサッソフェラート(Sassoferrato)という人の「The Virgin in Prayer」(訳すと、「聖母の祈り」という意味でいいかな?)
自分にとっては、カッチーニの「アベ・マリア」と、この絵は深くリンクしてるんです。その昔、ヨーロッパを貧乏旅行で回った時、ロンドンのナショナルギャラリーでこの絵に出会ったのでした。この絵との出会いがなかったら、カッチーニの「アベマリア」♪(byそらみみ)、は、今ほど気に入っていなかったようにも思う。

サッソフェラートは有名な画家ではないようだけど、カッチーニの「アベ・マリア」の静かで荘重な調べを、そのまま絵にしたら、こんなイメージかな?と思う。

それで、少し調べてみた。(やっぱりネットは便利だ)
これを描いたサッソフェラート(Sassoferrato)は1609年生まれ1685年没(手元の絵葉書によれば)。
一方、カッチーニは1550頃の生まれで、1618年フィレンツェで没なのだそうだ。
サッソフェラートの生い立ちはよく分からないのだけど、フィレンツェのあるトスカナ州の東隣、マルケ州サッソフェラートという街があるので、多分この辺りの人なんだろうと思う。

年代も住んでいたところも、想像以上に近い!

過去のことは分からないのだけど、若き日のサッソフェラートが、カッチーニのアベマリアに感銘を受けて、この絵を描いたという話は十分ありえるように思う。そうだ!イタリア物を書かせたら、この方の右に出る者はいないんじゃないだろうか?塩野七生さん、これをネタに面白い小説を書いて下さい!
(この絵のモデルは、サッソフェラートの恋人で、実はカッチーニの愛娘とか?やっぱり悲恋で終わるのだろうか?)

あと、ロンドン・ナショナルギャラリーの「The Virgin in Prayer」
遅いけど、Zoomで細かいところまで、見られるのは驚き!

曲の方は、右手の小指で旋律を浮き立たせて弾きながら、123の指で静かに伴奏音を入れるのが、思った以上に難しいです。まだ精進が足りません。イメージだけでは駄目で、技術もちゃんと伴わないと・・・。

どなたか、この絵の他に、カッチーニのアベ・マリアにぴったりの絵があれば、ご一報を!
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柿の季節に寄せて

2005年11月13日 | 芸事全般
空耳家は今年は柿が大豊作なんだけど、

柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺
(正岡子規)

有名な子規のこの句、実は、法隆寺ではなく、東大寺の鐘を聞いて作られたのだと言う。
http://www.nikkoku.net/ezine/haijn/meyasu_01/index.html

柿食って鐘が鳴るなり東大寺

では、語感がよろしくないので、法隆寺に置き換えたとのこと。
これを知って、そう言えば、同じような例は、絵画でもあったなぁと思う。

古典派の巨匠アングルの「グランドオダリスク」の女性像は、美を強調するために背骨の数が実際より何本か多く描かれていて、生身の人間を忠実にデッサンした場合は、ありえない絵なのだそうだ。


詳しくは、このあたり。
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/010922.htm

ピアノでも、ピアニストの感性で、楽譜には無い1オクターブ下の音を弾いたり、けっこうやられているようだし、本物っぽく見えて、実は演出がされているのは、洋の東西を問わずですね・・・。

願わくば柿の季節に法隆寺
(そらみみ)
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