日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

汗なくして

2013年08月18日 | 社会 政治
            

 ネコ額ほどの庭の草抜きでも大汗をかく。それなのに、肌を射抜くような日ざし、どう耐えるかどう遮るかなど思ってはいられない屋外の仕事。それでもやらねばならない仕事がある。その場所は人目の付くとこつかないとこ、写真に撮られる有無など関係ない。「水分を摂り冷房を効かして熱中症にならないように」こんな呼びかけなど通じない。

 記録的な暑さの今夏、汗に悩んだ人も多かろう。とかくいう私も汗をかき、昼間にこれほど着替えた夏はあまり記憶していない。動けば汗になる、そこに大きな収穫の道にでも通じるならその甲斐もあろうが、庭の草を抜いたくらいではどうにもならない。しかし、思いようで「きれいになった」と自賛すれば気は安まる。

 汗、これだけだと「忌み嫌う」人は多い。TV-CMはそこを突いて制汗剤や化粧品を売りつける。それを創った化粧品屋さんも宣伝屋さんもいい汗をかいた結果だと思うのだが、その汗を悪者か笑われ者扱いにしているから、ちょっと笑える。そんなあせの一考。汗は悪くない、汗がなければ世の進歩はない、と言い切れる。

 誰もがたたえる「汗の結晶」は苦労して得た成果、今、甲子園で観られる。一生懸命働くために「汗を流す」。苦労して努力することは「血と汗」。甲子園の一球一打を見て「手に汗を握る」。何だかんだ言われてもお父さんは「額に汗して」そう、時には「汗膏をにじませて」家族のため一生懸命働いている。汗は尊い。
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