
近くのメイン通りの年度末工事は3年連続、その3カ月間日中は通行止めで不便だが改修されることで交通誘導員の旗に従って運転する。工事の迂回路、地元の者はその状況は分かっているが、初めての人は難儀ざれる。大きめのワンボックスカーがやって来る。裏通りのまた裏通り道幅は狭い、通れるかなと見ると他県ナンバー、迷いこまれたのだろう。女性ドライバーは、サドミラーが電柱へ当たりそうになって止まった。ミラーを畳ませ誘導して通過させた。
電柱がなければ車は通れた。電柱があるから家庭に電気が届く。どちらを優先するかは論じるまでもない明白なこと。最近の報道で無電柱化が推進されるとあった。災害時の救助活動の妨げ、通行の妨げ、景観を台無しにするなど賛成する意見は多い。電柱があるので傘を傾けて通る狭い歩道、路側帯中央に建つ電柱などは歩行者泣かせ、折角の風景が電線で分割されて写真にならない、勝手な思いつきは幾つもある。
街の玄関口の駅前通りの数百㍍は何年か前に無電柱化された。工事が終わったとき、何かの覆いが取り除かれ通りが明るくなったという印象だった。快適な通行空間、都市景観の向上、災害防止など主に都市部での必要性から計画が進められる。膨大な工事費と工事量と思うが、いつかは地方の裏通りもそうなることを願う。
無電柱化の方法は地下溝に収容する、この場合は電話線や通信会社のケーブルなどを一括する。デメリットもあるという。災害復旧工事が遅れる、目視による不良個所の発見ができないなどいくつもある。技術の進歩はやがて問題点をカバーし、すっきりした日本の空を見せてくれることを願う。