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日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

雑草雑感

2019年11月24日 | 社会 政治

 いつだったか、「雑草が茂っている」という表現に「名前のついていない草はない」と突っ込んだひと言を読んだことがある。「草青む」と言えば春になって草が青々と生え出る、「草茂る」と言えば夏に草が密に生え伸びる、そんな様子を表す表現で季語になっている。しかし、それも過ぎると季語では言い表せない様相になり、時には深刻なことになる。

 山間部で耕作放置され雑草が覆い茂った田畑の雑草刈りに参加したことがある。そこで見た草は季語では表現できない姿だった。草の茎は人力では折れないほどに太く硬く高くなり、まるで小木の様に根を張っていた。草刈機でなければ到底処理しきれない現実に驚いたことを記憶している。市内でも放置された棚田で牛や山羊に雑草を食べさせている光景を見ることがある。

 こうした放棄地の雑草は山間部や田畑だけではない。散策で歩く道沿いにもそうした個所が増えている。それが住宅地域になると目につく。そこに不動産会社の立看が立っているが、文字が色あせたり、雑草が文字をなぞる所もある。そこには諸事情あって放置に至ったのだろうが、住宅地のそれは何とかならないかと思いながら、政治の地方創生の空念仏を知る。
 
 わずかな菜園で野菜作りをしていたころは、畑の周りや畝に生える草抜きも大事な畑仕事の一つとだった。周囲に茂る雑草は鎌で刈った。毎回、砥石で研いで出かけたが、今なら草刈機を使うだろう。最近は草刈機なので能率的だが風情がないと書く人もいる。それはともかく、空き地を管理している不動屋会社、たまには雑草処理をして欲しい。
コメント (2)
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