
「干し柿つくった」と言いながら「おすそ分け、よかったらどうぞ」と今年初の干し柿が届いた。富有柿は先日いただいたので秋を味わったばかりだが、干し柿はまだ。お裾分けをくれた人に「栗はある」かと聞くと無いという。いただいていた栗を「うちもお裾分け」とお返しする。「こんなに」と喜んでもらえ良かった。
お裾分けは裾分けの丁寧語。最近は少なくなったが、子どもころには近所同士でお裾分けは珍しいことではなかったように思う。お裾分けは、収穫したばかりの生り物、遠地のお土産、珍しいおかずを作ったので、などそんなことも近所付き合いのひとつだった。
こうした、人からもらったものを友人や知人、特に近所にわけることで親しい付き合いになっていた。裾分けの「すそ」は着物の裾を指し、つまらない物という意味があり目上の人には使用しないことが適切という。目上の人にするときは「いただき物ですが我が家には多すぎて召し上がっていただけると助かります」 、こんな風に使うという。
「良かったら食べて」、そんな付き合い方のほうが日常的で気楽で庶民的でいい感じがする。届いた干し柿は撮って、いつもの様に「初物はまずご先祖様から」という我が家の昔からのしきたりで仏前にお供えする。母の嬉しそうな顔が浮かぶ。今秋はまだ渋柿の話しが聞こえてこない、生り具合はどうなんだろう。