立ち寄ったさきで見なくなって久しい「藁のう」を見た。それは稲刈りをし脱穀した稲わらを長く保存する方法といて藁を積み上げたもので、地域によって呼び方はいろいろらしい。子どものころには稲刈り後の田ごとに藁のうが作られ、そんな田の中を駆け回っていた。農作業の機械化が進むにつれ最近ではほとんど見かけなくなった。我が家は自家用野菜の畑を作っていたが米作りはしていないので藁のうを作った経験はない。
近所の農家で見た藁の用途などは何となく記憶にある。押切で切って家畜の飼料にする、家畜小屋の床に敷き後で堆肥にする、籠やむしろ、収穫した野菜を入れて運ぶほぼろ、縄や草履などが各家で作られていた。農家でない我が家でも祖父母が真似事で草履やむしろなどを作っていた。藁は家の壁土に混ぜて使われるが最近は合板使用で土壁は少ない。今はしめ縄くらいしか見なくなった。
見かけた藁のうの作られた経緯は聞かなかったが、藁の状態から年数は積んでいるが姿は昔と変わっていない。刈り取った稲ははぜ掛けされ自然乾燥されると脱穀される。脱穀された束は、のうの芯になる棒を中心にして敷き詰め重ねていく。大人の背丈の倍くらい積まれていた。そばには脱穀で出たもみ殻の黄色の富士山が並んでいた。
牛が代掻きをし、足踏み式の水車で小川から田に水を汲みあげる、互助での田植え、小学生も農繁休暇、こんな田園風景は記憶の中だけ。今はトップレディーが田植え姿をドローンで撮りFBにアップをしたり、自分の田植え姿を自撮りしSNSで速報、仲間を楽しませる世になった。米作り農家の辛苦はどこまで伝わるだろうか。
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