日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

エコ袋

2007年02月15日 | 生活・ニュース


ゴミは月曜から金曜日までほぼ毎日回収される。各家庭には市で作成した綺麗なゴミカレンダーが配布されている。これにしたがって燃える物、プラスティック、缶やビン類、資源品、埋立てなどに仕分け夫々の回収日に持ち出す。大方の人はルールを守って持ち出している。
ペットボトル、牛乳パック、スチロールトレイはスーパーの回収ボックスへ持参している。

資源回収品はアルミ缶、新聞類、雑誌類、古布、ダンボールなどこれも幾つかに仕分けする。仕分け品ごとに1くくりにするのはチョットした作業になる。これの販売費の幾らかが自治会へ還付される。これは自治会の貴重な財源になっており一挙両得の効果がある。

ゴミ削減策としてスーパーなどのレジ袋を有料化する計画があり、その試行が行われている。近隣のスーパーでは、以前からレジ袋不要者にはポイント増のサービスが行われ家内もそれを楽しんでいる。

最近はレジ袋が薄くなったが強さは変らない。これは1袋に使用する樹脂量は少なくなっているが樹脂が進歩していることになる。ゴミ削減の声には樹脂の進歩もお手上げなのか、樹脂に係わった経験者には少し寂しい。

我家では新聞紙大の広告を四角い袋にし燃えるゴミ入れにしている。エコ袋と名づけている。
カラフルで模様入りのエコ袋を家内は気に入っている。この袋はどこへでも置けるし移動も容易だ。そして燃えるゴミと一緒に出す。甥や姪の子達が賑やかに遊んだあとの片付け、散らかした紙切れなどをエコ袋へ楽しそうに集める。ボランティアの事務所へも置いている。

ゴミの減量も環境改善への一助だろうと、嫌がらずにやって行こう。
(写真はエコ袋)
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春一番

2007年02月14日 | 回想


声を掛けられた。20代の初め理想を語り合った仲間の1人。10歳くらいの孫娘と一緒。その顔を見て思い出した。携帯電話など夢にも思わない昭和30年代の中頃のこと。

突然の残業、約束したコンサートは開演後に入場できない、知ってはいたが急いだ。彼女はしょんぼり待っていた・。
会話の無い食事をし、タクシーで家まで送った。気持ちとは逆に車内は過暖房。彼女が降りた後「ゴメンナサイ」と、曇った窓に書残してあった。それは春一番の荒れた夜だった。

その話を聞かされて間もなく2人は結婚した。
孫はお婆さんの若い頃そっくり。

今日、山口県は春一番が吹いたという。若い頃の仲間の春一番を思い出した。
(写真は雨上がりの岩国城上空の雲)

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勧誘

2007年02月13日 | 生活・ニュース


チャイムが鳴る。「インターネットをやっておられますか」「ハイ」「光回線をご利用でしょうか」「イイエ」。同様な勧誘は電話でも良くある。

有名な企業名を名乗って勧誘を始めた。断ると「光回線を使用しない者はインターネットを使いこなせない」という。見慣れない市外局番なので聞くと「名古屋から」電話しているという。地方の小さな街へご苦労さんなことと思った。いつもなら静に即答で断るのだが、横柄な口調へ質問をした。

「この電話番号をどうして知りましたか」 「電話帳です」
「地方の小さな街の電話帳があるのですか」 「ここに持っています」
「それでは私の名前は」 「それは言えません」
「上司の方と変ってください。この番号は電話帳へは載っていません」 「・・・」受話器を置く音がした。

名乗った企業名がもし本当ならこの種の日本を代表する企業だ。
個人情報の流失が茶飯事のこのごろ、被害にあわない対応を日頃から考えておかなければと思っている。

我家には電気、電話、有線テレビの3種類の線が入っている。小さな電話線を使って情報が盗まれる、科学音痴にはなんとしても理解し難いが、沢山の問題や事件が起きている現実がある。
インターネットとメールには細心の気を配りながらマウスを動かしている。
(写真は青空を背に情報を伝えている線々々)
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泣いた赤鬼

2007年02月12日 | 回想
 

舞台中央から少し右手よりの情景。老夫婦の夕餉どき。
「お爺さん美味しいねえ」「お婆さん美味しいねえ」「お爺さんのお野菜の作り方が上手だからですよ」「お婆さんの料理の仕方が上手だからですよ」その時、

「鬼だー鬼だー暴れん坊の青鬼だー」舞台下手から一匹の青鬼が現れた。青鬼は村人を恐れさせるため叫びながら村中を走り回る。村人は逃げ回る。でも青鬼は村人を虐めはしなかった。

「鬼仲間の恥さらしだ」叫びながら舞台上手から颯爽と赤鬼が登場した。赤鬼と青鬼は舞台中央で取っ組み合いになる。「これでもか、これでもか」と赤鬼は殴りながら「痛くないか」と青鬼に聞き、また殴り続けた。
青鬼はたまらない様子で舞台下手へ退散した。

舞台は笑いと笑顔が一杯だ。村人が赤鬼とその仲間と輪を作り談笑する光景は、村を救ってくれた赤鬼への信頼だった。

「人間と仲良くなりたい」という赤鬼の望みを知り、青鬼は友達の赤鬼のため悪役を装いその望みをかなえさせた。

村人との楽しい日々を送る赤鬼がフト友達を思い出しひと山向こうにある家を訪ねて行った。。
「赤鬼君、いつまでも村人と仲良くしてください。僕は遠くへ行きます。サヨウナラ」と手紙が残されていた。
本当の友達を失った赤鬼が悄然と佇むところで幕が閉まった。

同人代表Oさんのエッセイ集の中に「紙芝居台」がある。その導入に「泣いた赤鬼」の話しが数行載っていた。

小学校4年の終わりの学芸会、その泣いた赤鬼で「青鬼」役をやったことを思い出した。大切な思い出の1つだ。
古いアルバムを見た。56年前の小さな記念写真、熱心に演じ終えた雰囲気そのままがセピア色の中に包まれていた。50数名のうち名前と顔の分かる先生と同級生、そうでない人が多い。写真から「岩国小学校創立80周年」の記念すべき年だったことを知った。

古いアルバム、当時は写真が貴重品だった。その1枚1枚の思い出が懐かしくまた今日に連なっているのだと改めて思った。
(写真は終演後の記念写真。前列正座の右から6番目が青鬼)
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雛飾り

2007年02月11日 | 生活・ニュース


立春から1週間。温暖化と暖冬の言葉は毎日のように書かれ流され、対応への喚起を呼びかけている。異常気象は1国1地域の問題ではなく地球規模の問題となっている。為政者のリーダーシップを期待する。自分的には不必要なエネルギーは使わない、と心がけてはいるのだが。

妻は、今日の気温を温かに思うのか体調が良いようだ。整理途中の正月の飾りを仕舞い、お雛様にしたいという。娘のいない我家に壇飾りは無いし、それに変る飾りも無い。孫娘が誕生してから求めた小さな陶器の雛飾りと、雛祭りを書いた壁掛けを掛ける、それで終わる。あとは桃の花を活けるだけだ。

パソコンで内裏雛を書いてみた。優しい顔に少し苦労した。印刷すればいくらでも飾ることは出来るが、それほどのものではない。毎月作る孫宛の新聞へは使えるだろう。

スーパーの店内は、入試関連からバレンタインデーと雛祭り関連へお菓子類へが変身している。どの季節もその変化はいつもスーパーから知らされる、そうしなければ客離れに連なるのか。

小さな雛飾りだが家中が少し明るく春らしくなった、そんな気がする。
(写真はパソコンで描いた内裏雛)
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熱心さ

2007年02月10日 | パソコン講座


小雨に煙る錦川沿いを車で1時間ほど上流へ、パソコン講座の会場へ着いたころ雨は止んだ。婦人会主催の2回目の講座。主催者の希望を入れた新作講座など2日間で3講座8時間を行う。

中山間地域にある婦人会、「時代の流れです」と、会員の要望を実現された役員の皆さんの熱心さに敬意を表したくなります。
受講の皆さん、サラリーマンで言えば定年を迎えた人が多い。もちろんご婦人ばかり。でも、その意気込みたるや貪欲ともいえ、講師も立止まること暫し。過疎の進む中山間地域で、新しい活動へ真摯な姿勢で取り組まれる姿に、微力でも協力できることを嬉しく感じた。地域の皆さんも婦人会の活動を力強く思われることだろう。

「合宿で講座をお願いできませんか」との問合せもあった。これは、当会の「パソコンの普及活動」へ一定の評価を頂いた、と思いたい。その時は婦人パワーに勝る内容の講座を考えなければ、とも思った。

2日目の帰路に青空が見えた。それは、講座は成果あったと独りよがりの思いにさせる青空だった。
(写真は受講者を待つ講座前の様子)
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紹介記事

2007年02月09日 | エッセイサロン


今日の中国新聞ローカル面。岩国エッセイサロンの同人誌創刊号発行の記事が、サロンの創設から活動内容、掲載作品の紹介や発行の動機などが500字の記事と名刺大の写真入りで掲載された。記事を読むとより格調高い創刊号の感じがした。
第2号発行へ向かって会員の励みになる記事だった。

今日は昨年の9月下旬開設したブログへの掲載が100回目となる。先ず、続けることを目標にやってきた。物事には三日三月三年という転換点を示す言われがある。。前の2関所は通過している。楽しく続けて行けそうだ。読んで貰える文章作成に努力して行こう、などを思っている。
(写真は創刊号の紹介記事)
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商標

2007年02月08日 | 生活・ニュース


家内の検診付き添いで医師会病院へ行った。

1993年8月医師会立病院として開院。幾多の変遷をへて98年12月国と県から「地域医療支援病院」として承認され『紹介外来・共同利用施設・開放型病院として「かかりつけ医」を支援することを義務付けられた病院』と概要説明にある。市民として安心ランクのトップにあるようだ。

待合室には院内や診療などを紹介する映像や掲示、ケーブルテレビなどがある。本や新聞を読む人、腕組みをして瞑目している人・・・皆さん静に待たれている。

掲示版を見ていると「特許庁長官」の文字が目に入った。見ると「商標登録証」とある。内容は「岩国市医療センター医師会病院」の名称が商標登録されていることの証明だ。商標権者は「(社)岩国医師会」とされ、続けて指定役務などが記されていた。

私企業で商標権のトラブルが報道されるとき、特別に関心の無い限りその奥深いとこまで知ろうとしなかった。身近それも(社)の病院名までそれが必要だとは初めて知った。

在職中CI活動の一環で会社のロゴマーク作成に係わった。ロゴ自体は著名なグラフィクデザイナーが担当された。関係者一致で採用に決まったロゴに酷似するロゴがある、と言われ関係者が翻弄された思い出がある。

商標権が日常生活へ覆いかぶさることは経験していないが、商標権者にとっては経営の基盤を揺るがしかねない重要なもの、と再認識した。
(写真は商標登録された病院のロゴ文字)
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会話

2007年02月07日 | 生活・ニュース


幹線道路を避けて走る循環バスの車内。

「ヨイショ」バスのステップを上がったところで一息し、向かいの席へ腰を下ろしたご婦人。すぐに隣の方と会話。互いの通院話しで様子を確認しあう。

すこしして聞こえた会話。「嫁にもろうてくれる人がおったら直ぐに行くのに」「世の中いろいろじゃけえ手をあげてみんさい」と笑いあう。数人の客も笑み。

先の人「娘にゃあ戻れんけえ気持ちは若う持つのいね」「そりゃええこと」方言の会話は温かで和やか。

会話は続いている。ほど良い暖房のバスから降りた。明るくてテンポ良く、快活で元気な会話を聞いたからか、夕暮れの冷たい風が心地良かった。
(写真は運賃100円の循環バス。ローカル色満載の車内です)
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2カ月先

2007年02月06日 | 自然 季節
 

今日の最高気温は2カ月先、4月上旬ころに匹敵するそうだ。札幌の雪祭り関係者の心配はどこへやら、春の便り満載の感がする。
久しぶりに洗車をした。水温むまではいかないが、それでも素手で冷たいとは感じない。温かいせいで丁寧に洗車できた。

パソコン講座受講者も1枚薄着、窓からの入日で部屋の温度は心地よく、エアコンはオフのまま過ぎた。夕方子供たちの声がする。半ズボン半袖の男の子がいた。今日の二酸化炭素発生量は低めだろう。

庭の花も色が良くなってきた。ここにも暖かさの印がある。側の雑草のはびこり方が早いようだ。少しだけ草取りをした。ダムの貯水量が大幅に低下したため工業用水の大幅な給水制限も起きている。ドライアイスを使った降雪降雨の実験を国が始める、今朝の新聞でみた。早い実現を望む。
ニュースのたびに温暖化の言葉を聞いた1日だった。何とかしないといけない。
(写真は少し色よくなった花)
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