日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

もう2、3日か

2016年03月21日 | ウオーキング 散歩

 
 神域の入口を表す門の役割をはたす鳥居は神社の象徴でもある。その鳥居の笠木や貫に石を投げてのせる、そんな経験は子どものころにある。3人連れの若い女性が周囲を気にしながら小さな石を投げあげている。鳥居から離れすぎ石は放物線状に飛ぶ。鳥居の下から真上に投げあげたら、昔の経験を伝える。その直後の3人の1投目の石が笠木の上にのった。偶然とはいえ驚いた。彼女らからもらった一声は「おじさんすごい」。

 鳥居に石を投げてのると願いが適うとか運試しとかいう。由来やその是非は知らないが、いくつもの石が重なっている。子どものころで満願成就した覚えもないが、石をのせたという喜びはあっただろう。神聖なる鳥居に石を投げる、考えればどうかという思いもするが、邪気の無い願いなれば許してもらっているのかもしれない。

 錦帯橋上流、花見の一等地に建つ茶店もその準備が進んでいる。そんな傍らで昼過ぎ、桜の蕾の下で弁当を開いている人も多い。錦帯橋上流側の鏡のような水面には「春の遊覧船」の運行が始まった。水上からの錦帯橋の眺めは格別だろう。この風景にまもなく桜が彩を添える。錦帯橋周辺の開花は26日ころという。

 2、3日前から桜の開花宣言が届き始めた。気象庁職員が「どうもお待たせしました。開花しました」と嬉しそうにTVに写る。その表情も姿も言葉使いもすっかり「染井吉野さん」になりきっていて微笑ましい。名勝・錦帯橋畔と吉香公園には染井吉野3千本といわれ、つぼみも膨らんできた。ここ数年、1番咲きを観測している木のつぼみ、もう少しで開く。春本番は近い。
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燻製初体験

2016年03月20日 | 岩国時遊塾


 彼岸の中日で春分の日。前々から予定されていた「燻製パーティー」の日、昨日とは打って変わった雲一つない夜明け前の空に星が見えほっとする。この歳で初体験といえば笑われるかもしれないが燻製パーティー、会場へ急ぐ。

 燻製機は段ボールを再利用した茅野さん手作り。製作の説明を聞き、その理に適った各種の工夫と便利さを納得する。試みの使用で燻製成功は聞いていたが、材質は段ボールなので過熱の時を心配していたが、スモークウッドを使用すれば、熱源なしで連続燻煙出来、過熱の心配はないと教えられる。何もかも初めての知識をもらう。

 スモークウッドには、香りや色づきなど食材の特徴を活かすサクラ、ナラ、ブナ、リンゴなど多くの種類がある。燻製は煙の量と時間で調整する。持ち寄った食材を準備されているS状フックなどに引っ掛け炉内に提げる。漏れ出る燻煙を眺めながら、彼岸ならではのウグイス餅などをいただく。

 食材それぞれが燻煙でいぶされていい色変わりをしている。秘かに心配した煙くささはなく、どれも初めての味、確りした歯ごたえで味わう。桜の開花宣言出ていないが、会場のサクランボの花が満開で、一足早い花見の宴になる。燻製には冷燻・温燻・熱燻とあるそうで次回が楽しみだ。肉の好きな孫が帰省した時に借用して喜ばせよう。
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サンシュユの花

2016年03月19日 | しっちょる岩国


 活気を失って寂しく成るさまを「火の消えたような」と言う。車で動き回る知人は表通りばかり走る。その表通りに並行する道路、その昔は銀座通りとも呼び賑わった商店街、そこを久しぶりに通り感じたことは「火の消えた通り」だったと話す。

 呉服屋、本屋、靴屋、時計店、美容院、果物屋、ガラス店、家具店、薬屋、散髪屋、陶器店、自転車屋、履物屋、布団屋、傘屋など、子どものころの記憶にはあるが、今は撤退や閉じてしまった店の数々を知っているだけに、知人の昔ながらの表現に改めて納得する。商店街の中央に小さいけれど銀行の支店もあった。

 「3月末を持ちまして閉店いたします。長らくごひいきになりありがとうございました」と店頭に閉店の挨拶が張り出された。少ない人通りに拍車がかかる。最近70年続いた店を閉めた同期の話だと、大型店の品質に勝る商品も個人商店という区分けで商売にならない、と悔しい胸の内を話してくれた。

 そんな通りのある家の玄関先に、早春の花木として、梅と同じに庭や生け花に重宝される山茱萸(さんしゅゆ)の黄色い花が玄関横に活けられている。ここの家はかっては大きな店構えだった。山茱萸の花は別名「春黄金花(はるこがねばな)」と呼ばれ早春にふさわしい花という。行きかう人は少ないが、足を止めて眺め笑みして去る人に活けた人の思いが伝わる。人情が残る通りの昼下がりだった。
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121回目の例会

2016年03月18日 | エッセイサロン


 岩国エッセイサロンは「会員がエッセイの創作や、エッセイにかかる勉強をすることを通して自己啓発を図ると共に、創作したエッセイを外部に発信し評価を仰ぎ、会員ひとりひとりがより輝いて生きることを目指す」を目的に平成18年1月に設立、同年3月から月例会を開催、その資料はキングファイル3冊という、実践的な教材として大切にしている。

 月例会は、毎日新聞山口版に掲載された「はがき随筆」の月間賞と入賞はしなかったが会員の掲載された作品、例会用に創作した作品を読み合わせる。各作品のへの感想を述べ合う。月間賞についても選者とは違った視点で厳しい意見が出る。そんな感想は作品の評価をするものではなく、そのどれもが会員の次回の創作に役立つ。はがき随筆は本文は14行×18字の252字、タイトルは8文字以内という制限がある。

 会の活動は1年間新聞に投稿記載されたはがき随筆以外の作品も含め全編を同人誌として発行している。同人誌は3号くらいまで、そんな心配話も聞こえたが10号まで発行できた。ここまで会が存続し同人誌の発行が継続できているのは代表者の指導力にほかならない。

 今日は121回目の例会、11年目に踏み入れたことになる。年数は経過し、それに見合う年も取ったが会員の意欲は旺盛で、これからも相当期間存続する確信を抱いた。会場そばの小学校では卒業証書授与式だった。親子連れだって下校する姿に題材を見つける。校門に立てかけられた授与式会場の立看、雨に濡れている赤い「祝」の字の輝きが、児童らのゆくすえに重なってみえた。
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それぞれの春

2016年03月17日 | 自然 季節


 昨日は公立高校の合格発表が行われた。公道から校門に通じる坂道はちょっとした渋滞発生、その合間を縫って発表を見に行く中学生が連れだって上っていく。笑顔で降りてくる生徒の手には案内らしき物を持ち、こちらも連れだって横断歩道を渡っていく。柳井市近郊の中学校名の入った鞄を持っている生徒を見かけた。今春の入学から学区制が廃止され、どの高校でも受験できるようになったことを思い出した。15の春、思い出を大事にして欲しい。

 ローカルニュースで、県内企業で高卒新入社員の入社式の様子を放送していた。夢と希望と少しの不安が入り混じったその顔、現役のころ繰り返し見てきた姿と重複し、彼らを頼もしくもあり、その将来への責任を感じたことを思い出す。ふと、入社は4月からに、という厳しくはないが職安の要請を受け、一日も早い戦力化のためと折衝したこともあったことも思い出した。今は中堅いやそれ以上に育っているだろう。18の心意気、いつまでも保って欲しい。

 離れて住む孫は春から高校3年、これまで以上に進学への備えが厳しさを増す。最近は学業中心の生活で「忙しい毎日を送っています」嫁からメールが届いた。きちんとやってきた帰省もここ数年は見送ることが定常化、そんなことで元気に頑張っていると安堵するのはじじのひいき目だろうか。いつのまにか母親の背丈を越すほどに成長した。17の今を大事にと静かににエールを送る。

 明日は母校でもある近くの小学校の卒業式、正しくは卒業証書授与式で1週間後は修了式が待っている。それぞれがそれぞれの思いを持って巣立ってく。今日は雲も少なくすっきりした日和で彼岸の入り。彼岸のかなたで子孫の姿を見つめる先祖に12の今を誇って欲しい。
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待合室の会話

2016年03月16日 | 地域


 町の小さな医院の待合室。顔見知りの人もそうでない人も親しそうに世間話がはずむ。はずむ、といえばいかにも楽しそうに見えるが、病持ちという共通点が心やすさを誘い出しているのかもしれない。年金支給日の会話は何かしら声が明るく聞こえる。待合室を占める大方の人がその該当者だからかもしれない。

 何度も時計を確認している女性、「まにあいますか」と並んでいる高齢の女性に声を掛けられ、はっと気付いたように「大丈夫です」と笑顔で返す。入院している親の薬を取りに来たというその人は、バスの時間が気になっていると応える。昔を思えばそうでもないが、車社会の今はバスで点と点を行き来するのは辛いことだ。

 会話中の人が診察室に入る。話し相手を失った人は次の話し相手を求めて席を移動する。話したくてしゃべりたくて仕方ないのだろう。声の大きさがちょっと気になるが話は嫁の自慢話し、少しならいいが度が過ぎると自慢話は聞きづらくなる。短文を書く時も気をつけるようアドバイスをもらう。

 旅の話し、高齢女子会の失敗談、連れ合いのやりそこないをオーバーに話して待合室を笑いに満たす。そんな話を聞き洩らすまいと部屋の隅で花がじっと聞いている。窓の向こうの澄みきった青空が眩しい。
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古文書が読めたら

2016年03月15日 | しっちょる岩国


 史料展で多くの古文書が展示されるがその紙は褐色に色変わりしている。長い巻物にしたためられたひと文字、1行が後世の貴重な史料に成ることをどこまで推察されていたか分からないが、書き残されている墨痕は歴史を伝える使命を帯びているかのように鮮やかな筆跡で残っている。

 それらを眺めても眺めても、その素養が無いので最初から根を上げていて判読に苦しむことはない。添えられた現代語訳を読みながら、少し知っている史実を展開させては楽しむ。あるいは名だたる武家と岩国藩の繋がりとその由来なども教えられる。

 最近は古地図をたどる旅への誘いも多く見受ける。古文書が読めるとそんな旅もより興味が深まるだろう。「古文書を読もう」という講座が盛況と聞くが、こうした背景があるのかもしれない。歴史を楽しむ知人がそんな講座に通い始めた。もともと歴史に素養のある人で、一度話を聞いて見たい。

 写真は天保9(1581)年10月に書かれた吉川経家の遺言状。経家は福光城主(現在の島根県太田市)、天保9年に鳥取城主として入城、羽柴秀吉の兵糧攻めにあい200日で開城を余儀なくされた。経家は自らの命の引き換えに籠城の人々の助命を申し出て、切腹した。父・経安、吉川広家(当時は経言)、子ども宛の遺言状などが並ぶ。どれも一門の幸せを願う内容に尽きる。経家の英魂を弔うため、昭和14年弔碑が建立された。
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父元就の教え忘れず

2016年03月14日 | しっちょる岩国


 史料館の展示品はお宝鑑定とは異なり、すべてが史実に基づいた展示品ということで安心して観ることができる。開催中の「吉川元春とその時代展」にもいくつか歴史を秘めた兜や刀剣類が展示されている。吉川元春所用の墨塗筋兜(写真)、吉川広家所用の三巴用具、山中鹿之助所用の鉄錆十二間筋兜、吉川元春所用と思われる鞍鐙など、直ぐにでも身につけられる感じがする。

 刀剣類では吉川元春所用と伝わる短刀は22.7㌢、備前国長船五郎左衛門尉清光指差、銘には天文2(1533)年2月とある。脇差は46,3㌢で、織田水軍を破り大阪の本願寺に兵糧を運び入れることに成功したとして吉川元春が本願寺光佐より拝領の物。槍につては長い次のような解説がある。

 天正10(1582)年、毛利と織田との和睦(備中高松城の戦)をすることになり、交渉に入った。そこで、毛利側から2人の人質を出すことが決まり、広家(経言)と元総(毛利元就の9男)が選ばれた。翌年2人は秀吉のもとへ滞在するが広家は一カ月で帰国が許された。その際に秀吉から拝領した品、鋭いその穂先は戦国時代の厳しさを感じさせる。

 元春は毛利元就の次男として生まれた。吉川家の養子となり15代当主となる。弟小早川隆景とともに毛利両川」と呼ばれた。元春にとって元就は父としても主君としても恐ろしくひたすら命令に従った。岩国に入封した三男広家に「元就の孫であることを忘れるな」「子孫を大事にしろ」など元就の名前を出して諭したという学芸員の解説が戦乱の世の生き方に思いを走らせる。
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元就の訓戒状

2016年03月13日 | しっちょる岩国


 追伸、忘れたことがあれば、重ねて申します。また、この書状の中にも脱字もしくは「てにをは」の誤りがあるかもしれませんので推量して願いをくみ取ってください。隆元・元春・隆景が三人の心持ちをよく話し合い、協力することは毛利家の為に永久に大慶至極のことです。(現代語訳より)

 毛利元就は弘治元年(1555)に厳島合戦で陶晴賢軍に勝利し、その後防長平定を開始した。元就は一代にして中国地方時期に勢力を拡大した。その過程の最中、弘治3年、元就は3人の息子(隆元・元春・隆景)に宛てた訓戒状を記した。その書状は、国指定重要文化財として毛利美術館に所蔵されている。吉川家に代々伝わっている書状の写しが公開された。その書き出しが冒頭に記した内容、心配りに感心する。

 「『毛利』という家名を末代まで全力をあげて継続するように努力することが大切」と初めに教え、元春・隆景の二人は吉川、小早川という他家の名を相続しているが、毛利の二字を粗略に思い、また忘れることがあってはならない、三人の間が少しでも疎遠になれば、必ず三家は滅ぶとし、三人の交わりはどうあるべきか、など10数項目にわたり記されている。

 武将としての戦功を誇ることなく「これまで多くの人命を失い、この因果は必ずあると内心いたく悲しく思う。各々方も人命を大切にすることが肝要」と教える。この内容は戦国の世のことではあるが、家族の絆すら疎遠な今の世を見直すときの参考になる教えがある。色変わりした書状の現代語訳を読みながらから、よい事に新古の違いはないと改めて思う。
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一括出土銭への夢

2016年03月12日 | しっちょる岩国


 発掘調査中だった中津居館については、文化財保護巡回展の感想として2年ほど前に書いている。巡回展の目玉である「一括出土銭(いっかつしゅつどせん)」については貴重な史料であり、専門家による保存処理の上公開されることで楽しみにしていたが、徴古館で「中津居館跡 発掘調査報告展」で展示された。

 一括出土銭は65㌢ほどの備前焼の甕(かめ)に、推定4~5万枚と見られる大量の銭が収められたもので、備蓄していたものが何らかの理由でそのまま埋まったとみられる。甕は還元焔焼成(かんげんえんしょうせい:酸素を遮断して焼成)という備前焼で、普段目にする赤茶色ではなく、青っぽい灰色をしている。その制作時期は13世紀末~14世紀初めと見られる。

 甕の中の銭は、幾つかの塊にまとめられ、最上部に見える2つの塊は約1万枚の銭にわら紐を通してまとめた「十貫文緡(じゅっかんもんざし)という当時の流通形態のまま納まっている。さらに十貫文緡が2組、ほかに8千枚をまとめた8貫文などを足すと3万8千枚は確実で、見えない部分を合わせると初めに記した枚数になるという。高額な流通銭が一カ所で発見されるのは珍しい、とある。

 甕から一部取り出し銭の種類を判読したところ、中国の元の時代の1310年から鋳造された「至大通宝」があり、甕が埋められた時期は14世紀中頃(1300年代中頃の南北朝時代)と見られるという。この居館は14世紀の前半、岩国を拠点にしていた大内氏家臣の弘中氏であることから、弘中氏一族とする見方が有力とされ、その大きさは大分の大友氏など守護大名クラスの居館に匹敵する大規模なもので、どのような経緯で築かれたか謎の部分もあり、新たな発見が楽しみだ。
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