日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

元就の訓戒状

2016年03月13日 | しっちょる岩国


 追伸、忘れたことがあれば、重ねて申します。また、この書状の中にも脱字もしくは「てにをは」の誤りがあるかもしれませんので推量して願いをくみ取ってください。隆元・元春・隆景が三人の心持ちをよく話し合い、協力することは毛利家の為に永久に大慶至極のことです。(現代語訳より)

 毛利元就は弘治元年(1555)に厳島合戦で陶晴賢軍に勝利し、その後防長平定を開始した。元就は一代にして中国地方時期に勢力を拡大した。その過程の最中、弘治3年、元就は3人の息子(隆元・元春・隆景)に宛てた訓戒状を記した。その書状は、国指定重要文化財として毛利美術館に所蔵されている。吉川家に代々伝わっている書状の写しが公開された。その書き出しが冒頭に記した内容、心配りに感心する。

 「『毛利』という家名を末代まで全力をあげて継続するように努力することが大切」と初めに教え、元春・隆景の二人は吉川、小早川という他家の名を相続しているが、毛利の二字を粗略に思い、また忘れることがあってはならない、三人の間が少しでも疎遠になれば、必ず三家は滅ぶとし、三人の交わりはどうあるべきか、など10数項目にわたり記されている。

 武将としての戦功を誇ることなく「これまで多くの人命を失い、この因果は必ずあると内心いたく悲しく思う。各々方も人命を大切にすることが肝要」と教える。この内容は戦国の世のことではあるが、家族の絆すら疎遠な今の世を見直すときの参考になる教えがある。色変わりした書状の現代語訳を読みながらから、よい事に新古の違いはないと改めて思う。
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