a letter from Nobidome Raum TEE-BLOG

東京演劇アンサンブルの制作者が、見る、聞く、感じたことを書いています。その他、旅公演や、東京公演情報、稽古場情報など。

無実  アフタートーク2  三輪玲子 × 公家義徳

2014-09-19 13:17:45 | 東京公演
9月15日に行いましたアフタートークの様子です。

アフタートーク2
三輪玲子(翻訳) × 公家義徳(演出)




勇気ある劇団の挑戦を褒めていただいております。
劇団としても新たな出会いに感謝したいと思います。
下記に要約を掲載しました。




アフタートーク 2014/09/15
『無実』終演後、翻訳者で上智大学教授の三輪玲子さんと、演出の公家義徳が対談しました。
その要約を掲載します。(文責:小森明子)

公家 翻訳をなさいました三輪玲子さんです。
三輪 三輪と申します。(拍手)
公家 まず三輪さんに、デーア・ローアーという作家についてお伺いできたらなと思うんですが。
三輪 むしろ演じられた方やご覧になった方にどういう風に思っていただけるか、そういうのを共有したいっていう気持ちの方があったりするんですけれども……。
ドイツでは1992年のデビューで20年以上のキャリアがあって、世界でもたくさん翻訳をされて、ドイツ語圏演劇を牽引する第一人者の一人という風に認識されている作家です。最初は戯曲じゃなくても何でもよかったみたいなんですけど、とにかく書きたいっていうエネルギーは若いころから持っていた女性です。たまたまシナリオライティング・コースがベルリンの芸術大学に新たに開設されます。そこではハイナー・ミュラーがそのコースの先生をしているんですが、「書けるんであれば」ということで、大学卒業してしばらくたった20代半ばくらいでそこに入学をしました。書いたものが一年二年のうちにヒット作になっていってたくさんの賞を受賞し、書いたものはどんどん初演され再演され、というような、書き手としてはデビュー作から順風満帆な成功をおさめてきています。毎年必ず作品を書いていくので、かなり多作、何も書かないでブランクになる年っていうのは殆どない感じです。この作品は2003年の作品ですので、今までのキャリアのちょうど中間地点に書かれました。
ローアーというのは、こういう社会的なテーマは扱うんだけれども、でも言語的にはかなりポエジーというか、コンパクトでリズムのある、一つも言いすぎることなく、最小限ミニマムな表現でリレーしていく、というような作品を書いていきます。この頃は、認められてハンブルクの劇場の座付き作家となり、彼女の理解者の演出家で、日本でもオペラの演出で来てますアンドレアス・クリーゲンブルクとチームを組んで、割と安定した地位・ポジションではありながら、でもまだ、いわゆるベテランまではいかないという時期です。今はベルリンに移ってるんですけれども。最近の作品よりは、この10年ぐらい前の作品は、実験的な要素とか、いい意味でのルーズ感とか、敢えてオープンにオープンに、あまり決まりきらないようなシーンの構成とか、ことばの持っていき方とかにチャレンジしてるような作品だと思います。いったいそれをどういう風に演出家がやってくれるんだろう、どういう風に上演してくれるんだろう、っていう、それが楽しみで。

公家 ローアーとずっと組んでるクリーゲンブルクっていう有名な演出家、たいへんですよね、ローアーと組むって。
三輪 たいへんだったみたいですね、すごく。
公家 ドイツ演劇では、物語というものを拒否してどんどん解体していく、というある時代があって、そのあとの世代のデーア・ローアーは、その解体されたものを繋げてまた物語にしていくといいうような書き方してますよね。ブレヒトの後継者の一人なんだなあととっても思って読んでるんですけれど。でもなにしろ一回読んだぐらいじゃまったくわかんないんですよ。誰が喋るのかも書いてないし、小説のようにただダーッと文字が書いてあるページがあったりとか、何を思ってこういうこと書いてるのか、ってことをどんどん書いてくんですね。でも読んでるとおもしろいんです、わかんないんだけど。で、今回三輪さんの新刊『泥棒たち』がちょうど舞台の初日に出版されたんです。これが終わってゆっくり読もうと思ってたんですけど、我慢できなくてちょっとだけパラパラパラって読んでみたら、やっぱりまったくわかりません。何が書いてあるのか。こういうのを毎年一作ずつローアーさんから「お願いね」って渡されるクリーゲンブルクっていう人はたいへんだなあ、って、これもうやだよって思うぐらいの本ですよね。
三輪 そうですね。何作か続くとさすがにクリーゲンブルクももたなくなるみたいで、ここ最近は海外の劇場で新作を書いたり、オペラのリブレット(台本)みたいなものを書いてちょっと休憩が入ったりしてます。でもまた戻ってきて、クリーゲンブルク用にも書くと思うんですよね、そのうち。
公家 初期のローアーの作品で、800人収容の劇場であまりに作品が暗すぎて600人帰ったっていう(場内笑い)
三輪 これ本人からは公表してほしくないって。
公家 ああそうなんですか、あ~言っちゃダメなんだ、ごめんなさい…(場内笑い)
三輪 あのあまりにも良き思い出ではないというのもあるんですけれども、でもその作品はその年の劇作家賞をとるんですよね、『アダム・ガイスト』という作品は。保守的なお客さんにとってみれば、「なんだこれは」って思うとドイツのお客さんはすぐ帰っちゃいますから。でもじわじっと、手法の新しさというか、そこに抉られているものがしっかりと伝わると評判に繋がっていくんですね。
公家 その『アダム・ガイスト』が初演された時にそんなに酷い目に遭ったのに作品賞をとってしまう、っていうのは、どんなねじれがあったんですかね。
三輪 そうですね。初期の頃とこの『無実』の頃の周辺とはまたちょっと作風が変わってくるところもあって、最初は『タトゥー』っていう近親相姦、お父さんから娘への性暴力というどす黒いテーマを扱っていて、細かく見ていくと部分的にはすごく乾いたコメディになっているところもあるんですけれども、ただトータルには非常に暗いテーマ性があったり、ドイツ赤軍の話で『リバイアサン』であったり、初期のうちは割と、女性が、ステレオタイプで見る被害者とまた違う意味での細かい問題性を炙りだすような、詩的なテクストを書くっていうようなことで注目されていきました。その時期が過ぎると、多少コメディというか即興性とかコメディ性喜劇性みたいなっていうものにチャレンジする、そういう時期にこれは書かれてる作品です。ひょっとしたらローアーもクリーゲンブルクも、どす黒いのばっかりやってると、お客さんのこともあるし、もうちょっと即興性のあるようなちょっとコメディタッチのものもと思ったのかもしれませんね。向うで上演されているクリーゲンブルクの上演なんかでは、割とエリージオとファドゥールの即興タイムみたいなものもあったりするような、割とフリーな、オープンな、上演の仕方になっているみたいですけれど。
公家 コメディで書いてあるのは非常によくわかるんですけれど、去年僕ボートー・シュトラウスの作品やって、あれもコメディ。これもコメディだけれども、これ日本人笑わすのたいへんですよね、すごくテーマが重いし。でもドイツだと相当笑ってみんな観るんじゃないかなと思ったりもするんですけれども、どうなんですかね。
三輪 多分即興的なこととか。やっぱり日本人だったら絶対笑わないな、っていうところでも、もうちょっとなんでも笑う感じがありますよね、向うの方だと。自分の感覚で、その時パッとツボに入ると一人でも大声出して笑われますんで、お客さんの方が。みんなが共有してほしいっていうよりは、その時その時の自分のツボで好きに笑ってるっていう感じの。前に公家さんが喜劇だけどチェーホフ的な喜劇っていう感じのこともおっしゃってましたけど、コテコテで笑うよりは、なんとなく声にはならないけれどこの辺で受け取るコミカル、ということなのかなと思いますけれども。
公家 三輪さん、で、今回この芝居いかがでしたでしょうか。(笑い)
三輪 いや、あのローアーのテキストはほんとうにそぎ落としてそぎ落として最小限にしてあるみたいなテキストなので、言ってみればド直訳愚直訳してあるだけなんですけれども、ただ、三人称語りが入ってきますし、ダイアログ以外の要素もたくさんあるので、そういうところが演劇にしてどうなのかな、っていうのは心配というか、どうなのだろうと思っていたところなんですけれども、そこがむしろ面白いんだなっていうのを、ちょっと観てて発見しました。ローザがここから出て来て、ローザの語りだけで進行していく終盤のあのシーンがあったりしますけれど。
公家 あそこはローザが話すっていう風には何も書いてないんです。あそこは文字しか書いてない。
三輪 だからそこをどうするかが演出家次第なんですけど、でも、あっこういう風に演劇的にとおせるものなんだなっていうのは、観てて発見させられました。
公家 なんとなく循環の構造がこの脚本の中にあって、脚本には、まず最初入水する女性が出てきますよね、でラストはローザが未来へ向かって歩いて行く、っていうト書きで終っているんですよ。ちょっと待ってもう勝手なこと書かないで、って思ったりしながらずっと稽古してると、飛び降りをする2人の人が、「いま死ぬってどういうことだ」「医者の禿げ頭を自分で見てる」「じゃそれはどういうことだ、彼らは死んでなかったんだ」っていうようなことを語るシーンがあって、そのシーンとあのシーンが僕のなかでだぶってきて、ローザがそこにいて見ててもいいじゃないか、ということでそんな風にしたんですけど。どうやれとも書いてないんで、たいへんでした。
三輪 たいへんになってください、っていう感じで、もうとにかく右から左へ訳すしかどうしようもないようなテキストなんで、これは。
公家 三輪さんはそういうふうに翻訳されて、僕も何も変えてないんです。僕が特別何か持ち込んだのは、まあこの福島の風景なんですけれど。自殺をするってかなりテーマが重いんですけど、ドストエフスキーが、自殺をするってことは社会の枠構造の中から出ることなんだからいいことじゃないか、みたいなことを書いたりしてるんですよ。ああ、そんなことも一方で考えてるんだ、と。いま現代を生きている人たちは、ほんとうは自由を探すだったはずなのに、線引きして自分が自分で自分を管理しはじめてしまう。でその枠の中に入ってしまう、っていうようなことが言われていて、そこから脱出するにはじゃあ自殺すればいいじゃないか、ってドストエフスキーは言ったらしくてですね、ああなるほどなあ、なんて思って。で、僕この作品読んだときに、飯館村の酪農家のおじさんが「原発なんかいらない」って壁に落書きをして亡くなった、自殺した。それがこのローザと僕のなかで重なったんです。それから、ここに出てくる人たちってなんとなく失われた愛を取り戻そうとしている気もしたし。コミュニストも出てくるんですけど、コミュニズムっていうのは人間の幸せを、人間の知によって、科学の力によって、その社会構造を分析して、今日も「シャーレの中から革命が生まれる」なんてエラが言ってましたけど、社会構造を全部分析して、経済システムを変えたり、その化学式によってそこに立つ人間の欲望のその本質自身変わって、で人間が美しくなれるだろう、世の中が美しくなるだろう、というふうに社会主義、コミュニズムっていうのはすべて計算式の中で世界をつくっていったんですね。ということは、科学なんです。で福島のことも科学なんで、科学ってものが人間を幸せにするためのものなのに、そのやっぱりどこかで亀裂が入ってしまうっていうようなことと、この作品とが、僕の中ではマッチしちゃって、こういう風に置きましたけれども、ほかは一切何も変えないで脚本の通り、まじめに全部やった。
三輪 はい、もう、ドストレートにやってくださって、全19場どこもカットすることなく。
公家 すみません、長くて……。
ええ、もう今17時なんで、17時までという風に言われてますので。おひとりおふたりぐらい、何か質問かなにかある方がいらっしゃいましたら、三輪さんがなんでも答えてくださいますので。


谷川道子 折角なのでエールを送ります、三輪玲子さんと公家くんに。あのぅ、公家さんがなんでいまこの『無実』ローアーをやりたかったのかなあ、ってことが、わたしはドイツ演劇やってるもんで、見てわかったことがいくつかあって、で、前ボートー・シュトラウスで、あのブレヒトとミュラーの線を継ぐ二人の女性劇作家がドイツ語圏にいて、ひとりがイェリネックでもう一人がデーア・ローアーじゃないかと。この二人は、ポストドラマ的なところは似てるけど、ボートー・シュトラウス、ミュラーにつながるところはむしろこのデーア・ローアーにあって、アイリッシュハープっていうのがね、どう使われるのかなあって思ったら、ああこう来たかと。すごいエレジーで。あとブループラネットという踊り子のところ、あれは地球は青かった、っていう、地球ですよねブループラネットって。勝手に解釈するけど、地球のなかに棲む一人ひとりの人間の、なんかこういっぱい、深い思い、みんなもの凄く孤独なんだけど、何かをみんな求めてる、それが神だったり、愛だったり、なにか出会いだったり、といった、それを求めながら求めながら、モノローグとディアローグと、だけどみんなが求めてるコロス、集団の声っていうのかな、一体誰が誰に向かって何を語ってるかわかんないんだけど、耳を澄ますと聞こえてくるような地球の声、一人ひとりの切実な声みたいなのが、みんな繋がってるようで全然繋がってないじゃないですか、出会えてない。ものすごく孤独なんだけど求めてる、切実な、エレジー、みたいなものがね、あのアイリッシュハープの世界とブループラネットと、女のことが重なって。だからこうそういう中から何か求めていくのが演劇、というのかなと思いながら、演劇の可能性みたいなものを探ってる公家さんがいるわけしゃないですか、舞台で。今じゃほっといたら物語も成立しなくなってきている世の中で、人と人とが出会っても出会いと感じないし、愛も生まれないし物語も生まれないし。でも何が、何かを求める契機をつくるか、そういうものがいっぱい詰まってる作品なんだなあと思いました。そしてもの凄く暗示的じゃないですか。ミセス・ツッカーってのはお砂糖で、糖尿病の人だからツッカーってもいえるし、ハーバーにしたって何も持たない人だからああいう名前なんだみたいなのが、暗示的で抽象的なんだけど、エレジー、もの凄く寂しい地球と、寂しいからこそ何かを求める内なる内なる声、そういうものが聞えないコロス、聞こえてこないコロス劇、だからすごい切ない芝居だなあと思いました。(東京外語大学名誉教授/ドイツ演劇)

三宅晶子 折角なので感想を少しお話させていただければと思っております。わたしちょうどいまナチスとか戦後のことをやっていて、カール・ヤスパースの『罪責問題』という本を読み返していたところなんですね。このタイトル『無実』っていうのはドイツ語では“Unschuld”っていうんですけど、この“Schuld”って何か、Schuldだらけだったと思うんですが、ヤスパースが戦後、ホロコーストの罪を問うときに、四つSchuld 罪を分けて、最後に形而上的Schuld、形而上的罪、ということを使ってるんですね。それが非常に抽象的で、わかりにくいんですけれど、今見ていて非常にそれを感じた、ですね。ちょっと説明すると長くなりますけれども、その政治的罪でもないし、刑法上の罪でもないし、道徳的な罪が問われるというわけでもない。だけれどもホロコーストっていうあの体験をした人たちが、例えば目の前でユダヤ人が連れて行かれるそれを自分の命を賭けて止めなかった、というのは、実際には道徳的罪に問われることではないのかもしれない。でもやはりそれを止めた人も、命がけで止めた人もいるし、それを見てしまったということ、それから生き残ってしまったということに、罪を我々は感じるんだ、生き残った罪ですね。でもそれを感じることによって、自らで、誰から問われるわけでもないんだけれども、感じることによって、変わるんだ、人間は変わる可能性を持つんだ、っていうことを最後のところで述べていて、まさにあの女性が死んだ、それを見てしまった、直接罪に問われるものではないけれどもそれを悩み続けている、それが彼らを少しずついろんな形で変えていった。その状況をさっき円環っておっしゃったんですけれども、やっぱり徐々に変わっていっていますよね、それぞれが最後に夢のところなんかは、あのぅガソリンスタンドで爆発して死ぬっていうのから、生きることを含めた夢を語っていて、死、まさにその形而上的な罪Unschuld無実じゃなくて罪を感じることで、生きることも変わっていく、世界を少しずつ内側から変えていくっていうその状況が、それがまさに福島の状況としてだぶりました。わたしたちも共同体として罪を負ってしまっているし、どうしようもなくて、何ができるわけじゃないけれども罪を感じてしまっているその状況とほんとにだぶって、いっぱいの遺体が並んでいるような、多分身近で感じられた、或いはもしかしたらご自身でご覧になった状況がもう胸に迫って、非常に「日本のことだ」というふうに感じると思いませんでした。ありがとうございました。(千葉大学教授/ベンヤミン研究)

公家 ありがとうございます。このへんで終わりにしたいと思います。今日はどうもありがとうございました。(拍手)三輪さんの『泥棒たち』受付にありますのでみなさんぜひ!!





上記リンクが張ってありますので、名前部分をクリックしてください。

残り3ステージ。
皆様のご来場をお待ちしております。


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東京演劇アンサンブル 創立60年記念公演2
無実



デーア・ローアー/作
三輪玲子/訳(論創社刊『無実・最後の炎』より)
公家義徳/構成・演出

音楽/坂上真清 熊地勇太
舞台美術/池田ともゆき 
照明/大鷲良一 
映像/高橋啓祐
衣裳/稲村朋子
音響/勝見淳一
振付/菊地尚子
宣伝美術/久保貴之 奥秋圭
舞台監督/入江龍太
制作/小森明子 太田昭


2014年9月11日 (木) ~2014年9月21日 (日)
9月11日(木)19:00
9月12日(金)19:00★
9月13日(土)14:00
9月14日(日)14:00 坂上真清(ケルティックハープ)=音楽×公家義徳=演出
9月15日(月)14:00 三輪玲子(ドイツ演劇研究)=訳×公家義徳=演出
9月16日(火)休演
9月17日(水)19:00★ 菊地尚子(舞踊家)=振付×公家義徳=演出
9月18日(木)19:00
9月19日(金)19:00
9月20日(土)14:00
9月21日(日)14:00

チケット料金
前売:一般3,800円、学生3,000円(税込)
★=Low Price Day=2,500円
当日=4,500円
東京演劇アンサンブルwebチケットセンター

会場 ブレヒトの芝居小屋


アフタートークのお知らせ
各日、公演終了後に行います。
チケットの半券をお持ちであれば、
どなたでもご参加いただけます。


9月14日(日) 坂上真清(ケルティックハープ)=音楽×公家義徳=演出
9月15日(月・休) 三輪玲子(ドイツ演劇研究)=訳×公家義徳=演出
9月17日(水) 菊地尚子(舞踊家)=振付×公家義徳=演出




出演
エリージオ (黒人の不法入国者) 大多和民樹
ファドゥール(黒人の不法入国者)  小田勇輔
アプゾルート(盲目のダンサー)  永野愛理
ミセス・ハーバーザット(身寄りのない女)  志賀澤子
フランツ(遺体処置係)  尾崎太郎
ローザ (その妻)  奈須弘子
ミセス・ツッカー(ローザの母)  真野季節
エラ (老いゆく女性哲学者) 原口久美子
ヘルムート(その夫、金細工師)  篠澤寿樹
殺された少女の父 竹口範顕

殺された少女の母 町田聡子
自殺者1 篠原祐哉
自殺者2 熊谷宏平
若い男の医者 三木元太
大統領 本多弘典

東京演劇アンサンブル
TEL:03-3920-5232
FAX:03-3920-5232
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