第3回 戯曲を読む会@東京演劇アンサンブル
新企画として月一回を目処に、「戯曲を読む会」を開催します!
東京演劇アンサンブルの若手の提案による、いろんな戯曲を皆で声に出して読んでみようという会です。
ワークショップという形に拘らず、誰でも気軽に参加出来ます。
第3回はアーサー・ミラーの「セールスマンの死」を読みます。決して忘れられることのない名作でもあり、アメリカで映画化もされ、ピューリッツァー賞も受賞した作品です。
候補としてほかに「12人の怒れる男」「おかしな二人」などがあげられました。
戯曲に興味がある方、作品について話し合ってみたい方等、お気軽にご参加下さい!
日時 8月18日 18時30分~21時30分
場所 ブレヒトの芝居小屋(東京演劇アンサンブル稽古場)
参加費 500円(会場費等)
参加希望の方は2日前までに03-3920-5232までご連絡ください。
ご質問等もお気軽にお待ちしています。
第二回の作品は小沢正作、広渡常敏脚本「こぶたのかくれんぼ」でした。
初回は告知期間が短いこともあって、参加者は6人でした。
第2回目は、なんと倍以上の13人の参加者が!!
メンバーも児童演劇会における超有名劇団の方や、市民劇団の方、学生、会社員、主婦、元演劇制作者など、年齢も仕事もバラバラで多彩な顔ぶれとなりました。
読了後の感想タイムでは一時間近く各々が感じたこと、疑問に思ったことなどを話し合いました。
チラシを劇団員の山﨑智子が書いていてくれました!
そちらもご覧ください!!
東京演劇アンサンブルHP
http://www.tee.co.jp
アーサー・ミラー
アーサー・アッシャー・ミラー(Arthur Asher Miller, 1915年10月17日 - 2005年2月10日)は、アメリカ合衆国の劇作家。代表作は『セールスマンの死』など。1915年にニューヨークでオーストリアのユダヤ系の家庭に生まれる。高校卒業後、ミシガン大学に入学するが、成績の低さが原因で奨学金が受けられず、更に大恐慌によって父親からの支援がなくなり、2年ほど自動車生産工場で働く。入学後、演劇を学び、在学中からラジオドラマの脚本を皮切りに劇作を始めた。1944年『幸運な男』でブロードウェーに進出を果たす。1947年『みんな我が子』がヒットし注目を集める。1949年『セールスマンの死』でエリア・カザンが演出し、トニー賞、ピュリッツァー賞を受賞。劇作家としての地位を確立し、テネシー・ウィリアムズとともにアメリカ現代演劇の旗手に躍り出た。
東京演劇アンサンブル
1954年4月,俳優座養成所を卒業した3期生の有志が結成。初めは劇団三期会を名のったが,67年 12月現名称に改称した。早くからブレヒト作品に取組み,80年元映画スタジオを改装して設けた劇場「ブレヒトの芝居小屋」を開場,活動の拠点とする。広渡常敏演出によるブレヒト作『セチュアンの善人』,『ガリレイの生涯』,チェーホフ作『かもめ』などが代表作。岸田国士作品の連続上演も行なった。
新企画として月一回を目処に、「戯曲を読む会」を開催します!
東京演劇アンサンブルの若手の提案による、いろんな戯曲を皆で声に出して読んでみようという会です。
ワークショップという形に拘らず、誰でも気軽に参加出来ます。
第3回はアーサー・ミラーの「セールスマンの死」を読みます。決して忘れられることのない名作でもあり、アメリカで映画化もされ、ピューリッツァー賞も受賞した作品です。
候補としてほかに「12人の怒れる男」「おかしな二人」などがあげられました。
戯曲に興味がある方、作品について話し合ってみたい方等、お気軽にご参加下さい!
日時 8月18日 18時30分~21時30分
場所 ブレヒトの芝居小屋(東京演劇アンサンブル稽古場)
参加費 500円(会場費等)
参加希望の方は2日前までに03-3920-5232までご連絡ください。
ご質問等もお気軽にお待ちしています。
第二回の作品は小沢正作、広渡常敏脚本「こぶたのかくれんぼ」でした。
初回は告知期間が短いこともあって、参加者は6人でした。
第2回目は、なんと倍以上の13人の参加者が!!
メンバーも児童演劇会における超有名劇団の方や、市民劇団の方、学生、会社員、主婦、元演劇制作者など、年齢も仕事もバラバラで多彩な顔ぶれとなりました。
読了後の感想タイムでは一時間近く各々が感じたこと、疑問に思ったことなどを話し合いました。
チラシを劇団員の山﨑智子が書いていてくれました!
そちらもご覧ください!!
東京演劇アンサンブルHP
http://www.tee.co.jp
アーサー・ミラー
アーサー・アッシャー・ミラー(Arthur Asher Miller, 1915年10月17日 - 2005年2月10日)は、アメリカ合衆国の劇作家。代表作は『セールスマンの死』など。1915年にニューヨークでオーストリアのユダヤ系の家庭に生まれる。高校卒業後、ミシガン大学に入学するが、成績の低さが原因で奨学金が受けられず、更に大恐慌によって父親からの支援がなくなり、2年ほど自動車生産工場で働く。入学後、演劇を学び、在学中からラジオドラマの脚本を皮切りに劇作を始めた。1944年『幸運な男』でブロードウェーに進出を果たす。1947年『みんな我が子』がヒットし注目を集める。1949年『セールスマンの死』でエリア・カザンが演出し、トニー賞、ピュリッツァー賞を受賞。劇作家としての地位を確立し、テネシー・ウィリアムズとともにアメリカ現代演劇の旗手に躍り出た。
東京演劇アンサンブル
1954年4月,俳優座養成所を卒業した3期生の有志が結成。初めは劇団三期会を名のったが,67年 12月現名称に改称した。早くからブレヒト作品に取組み,80年元映画スタジオを改装して設けた劇場「ブレヒトの芝居小屋」を開場,活動の拠点とする。広渡常敏演出によるブレヒト作『セチュアンの善人』,『ガリレイの生涯』,チェーホフ作『かもめ』などが代表作。岸田国士作品の連続上演も行なった。