(メモの整理中)
このtweetは某指導失敗後にメモしたものだな。
某所でD論を出したが全く学者扱いされないことを嘆く中年氏の再教育に失敗したあと。…この伝でいうと、一段階目が長すぎたという評価になるだろうなあ。50-50くらいまで持っていこうとしたところで切れられた。
「翻訳するときは辞書を使うんだよ」「必ず文法書に戻って確かめるんだよ」という教えとかなあ…。
…とにかく、嫌われた。
「この文が翻訳できないんですよ」と質問してきた若いのがいた。これがこうで、これがこうで、これがこうで、で、これがおかしい!というのだが―
どうみても単語の文法的な把握が間違ってる。
私は、うんなるほど、そこの語の文章の中の位置づけが不明瞭というわけなんだね。じゃあ、文法書を開いてみようか、と言った。
すると、その必要はありません! と拒絶。自分の記憶に間違いはない、というのだ。いや、まあ…と、当時の私に可能な限りの力を尽くし、文法書の活用表がかいてあるページを開かせるのに、45分~一時間ほどかけた。
で、一見して、すぐ間違いが明らかになった。そりゃそうだ、超基礎的なことであって、たとえば、”歌った、と訳すべきところにsangとある、過去形ならedがつくはずなのに、この文章はオカシイ!”という程度の話だったのだ。
…よく付き合いましたね、と研究室のほかのひとには尊敬されたというか呆れられたというか、そんな扱いをうけたことであった。
この彼は、結局、研究室のみんなが自分の相手をしてくれない、といって去っていったとか。
…いや僕は相手したぞ、と私は言ったな。とりあえず、居合わせた人に、私に対する異論はなかったと思う…。
…そりゃまあ、奨学金の制度について質問して、一通り説明させたあと、まあ僕は金がありますから必要ないですけどねとか言われたというので―そんなひとを相手したくはないわな。
megamouthの葬列 消えたプログラマの残したものは 2016-11-27
「消えたプログラマはソースコードを残す。残された者は好むと好まざるとに関わらずそのソースコードに書かれた「思想」を見ることになる。自らの「思想」を持たない者は、それを個人の「思想」としてでなく、「信仰」として受け止めてしまうのかもしれない」
「おこがましいと自覚しながら、私は、自分が新たに書き足した「思想」が、その後を引き継ぐであろう誰かに「信仰」されるのではなく、糧となってくれることを、願わずにはいられなかったのだった」
まあその、とある指導事例のことを思い返して反省したり考察したりするのだが、これは示唆的であるなあと思った。要は彼は、己の「思想」がない、ないし不足しすぎていたために、私の「思想」を理解できず、「信仰」するか拒絶するかしかなくなったのだ。なおこの場合、「思想」には「基礎訓練」を代入して読むこともできる。
今日聞いた「博士課程でなぜ3つの論文を書くか」という話。
— Shinnosuke Takamichi (高道 慎之介) (@forthshinji) 2018年5月20日
1つめは、指導教員に大いに頼る (教員80%、本人20%)
2つめは、50%-50%
3つめは、20%-80%
最後(D論)は自力で100%仕上げる。
このtweetは某指導失敗後にメモしたものだな。
某所でD論を出したが全く学者扱いされないことを嘆く中年氏の再教育に失敗したあと。…この伝でいうと、一段階目が長すぎたという評価になるだろうなあ。50-50くらいまで持っていこうとしたところで切れられた。
プログラムができない人ほどエラーメッセージを読まないって話が流れてくるけど、絵が上手くならない人ほど資料見ないという事例と同じなんじゃと思う。形が変だとか色彩がおかしいとか、エラーみたいなもので、正しい例(資料)を見てエラーを修正することで絵が上手くなるんだよね。
— よー清水??新刊委託中 (@you629) 2019年1月5日
「翻訳するときは辞書を使うんだよ」「必ず文法書に戻って確かめるんだよ」という教えとかなあ…。
…とにかく、嫌われた。
「"1回で覚えろ"は脅迫」「怒られると萎縮するから怒るな」「できない奴の身になって優しくしろ」系のツイート見ると、噛んで含めるように何度教えても覚えず、何ヵ月たっても初日レベルのミスを毎日繰り返す奴を相手して、時間とメンタルが削られてる側からすると、逆にこっちの身にもなれとは思う。
— 茉莉花べにこ (@beniko71) 2019年2月11日
個人の能力差や向き不向きがあるのなんて百も承知だし、明らかに自分の努力が足りないことを棚に上げて「一番辛いのはできない自分」「仕事が覚えられないのは教える側の怠慢」みたいなことを言ってる人に、「教える側にだって負担もストレスもあるよ」ってことが言いたいだけです。
— 茉莉花べにこ (@beniko71) 2019年2月14日
「この文が翻訳できないんですよ」と質問してきた若いのがいた。これがこうで、これがこうで、これがこうで、で、これがおかしい!というのだが―
どうみても単語の文法的な把握が間違ってる。
私は、うんなるほど、そこの語の文章の中の位置づけが不明瞭というわけなんだね。じゃあ、文法書を開いてみようか、と言った。
すると、その必要はありません! と拒絶。自分の記憶に間違いはない、というのだ。いや、まあ…と、当時の私に可能な限りの力を尽くし、文法書の活用表がかいてあるページを開かせるのに、45分~一時間ほどかけた。
で、一見して、すぐ間違いが明らかになった。そりゃそうだ、超基礎的なことであって、たとえば、”歌った、と訳すべきところにsangとある、過去形ならedがつくはずなのに、この文章はオカシイ!”という程度の話だったのだ。
…よく付き合いましたね、と研究室のほかのひとには尊敬されたというか呆れられたというか、そんな扱いをうけたことであった。
この彼は、結局、研究室のみんなが自分の相手をしてくれない、といって去っていったとか。
…いや僕は相手したぞ、と私は言ったな。とりあえず、居合わせた人に、私に対する異論はなかったと思う…。
…そりゃまあ、奨学金の制度について質問して、一通り説明させたあと、まあ僕は金がありますから必要ないですけどねとか言われたというので―そんなひとを相手したくはないわな。
すごくいい / “消えたプログラマの残したものは - megamouthの葬列” https://t.co/1dganTAocT
— Hiroshi Manabe (@takeda25) 2016年11月26日
megamouthの葬列 消えたプログラマの残したものは 2016-11-27
「消えたプログラマはソースコードを残す。残された者は好むと好まざるとに関わらずそのソースコードに書かれた「思想」を見ることになる。自らの「思想」を持たない者は、それを個人の「思想」としてでなく、「信仰」として受け止めてしまうのかもしれない」
「おこがましいと自覚しながら、私は、自分が新たに書き足した「思想」が、その後を引き継ぐであろう誰かに「信仰」されるのではなく、糧となってくれることを、願わずにはいられなかったのだった」
まあその、とある指導事例のことを思い返して反省したり考察したりするのだが、これは示唆的であるなあと思った。要は彼は、己の「思想」がない、ないし不足しすぎていたために、私の「思想」を理解できず、「信仰」するか拒絶するかしかなくなったのだ。なおこの場合、「思想」には「基礎訓練」を代入して読むこともできる。
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