空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

(思い出話)

2020-03-29 18:49:46 | Weblog
(メモの整理中)



 このtweetは某指導失敗後にメモしたものだな。
 某所でD論を出したが全く学者扱いされないことを嘆く中年氏の再教育に失敗したあと。…この伝でいうと、一段階目が長すぎたという評価になるだろうなあ。50-50くらいまで持っていこうとしたところで切れられた。



「翻訳するときは辞書を使うんだよ」「必ず文法書に戻って確かめるんだよ」という教えとかなあ…。
 …とにかく、嫌われた。





「この文が翻訳できないんですよ」と質問してきた若いのがいた。これがこうで、これがこうで、これがこうで、で、これがおかしい!というのだが―

 どうみても単語の文法的な把握が間違ってる。

 私は、うんなるほど、そこの語の文章の中の位置づけが不明瞭というわけなんだね。じゃあ、文法書を開いてみようか、と言った。

 すると、その必要はありません! と拒絶。自分の記憶に間違いはない、というのだ。いや、まあ…と、当時の私に可能な限りの力を尽くし、文法書の活用表がかいてあるページを開かせるのに、45分~一時間ほどかけた。
 で、一見して、すぐ間違いが明らかになった。そりゃそうだ、超基礎的なことであって、たとえば、”歌った、と訳すべきところにsangとある、過去形ならedがつくはずなのに、この文章はオカシイ!”という程度の話だったのだ。

 …よく付き合いましたね、と研究室のほかのひとには尊敬されたというか呆れられたというか、そんな扱いをうけたことであった。

 この彼は、結局、研究室のみんなが自分の相手をしてくれない、といって去っていったとか。
 …いや僕は相手したぞ、と私は言ったな。とりあえず、居合わせた人に、私に対する異論はなかったと思う…。
 
 …そりゃまあ、奨学金の制度について質問して、一通り説明させたあと、まあ僕は金がありますから必要ないですけどねとか言われたというので―そんなひとを相手したくはないわな。



megamouthの葬列 消えたプログラマの残したものは 2016-11-27

消えたプログラマはソースコードを残す。残された者は好むと好まざるとに関わらずそのソースコードに書かれた「思想」を見ることになる。自らの「思想」を持たない者は、それを個人の「思想」としてでなく、「信仰」として受け止めてしまうのかもしれない

おこがましいと自覚しながら、私は、自分が新たに書き足した「思想」が、その後を引き継ぐであろう誰かに「信仰」されるのではなく、糧となってくれることを、願わずにはいられなかったのだった

 まあその、とある指導事例のことを思い返して反省したり考察したりするのだが、これは示唆的であるなあと思った。要は彼は、己の「思想」がない、ないし不足しすぎていたために、私の「思想」を理解できず、「信仰」するか拒絶するかしかなくなったのだ。なおこの場合、「思想」には「基礎訓練」を代入して読むこともできる。
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