産経新聞 兵庫県高校教諭?が不適切投稿「殺してもらうしかないやろ」 安倍首相名指し? 県教委が調査 2017.7.11 19:50
「今年6月、安倍晋三首相を名指しして「殺してもらうしかないやろ」とツイッターに投稿した自称・兵庫県川西市在住の男性が、兵庫県立高校の現職教諭ではないかとして、インターネット上で騒ぎになっている」
なにやっとんじゃい。
「「昔本物右翼の方(憂国の士)がおられて岸元首相を刺したときは、『いつでも殺せるけど、今回はここまでにしておく。反省しろ』と言われたらしい。でも安部は反省する能力ないから殺してもらうしかないやろ」」
とか書いたというのだが。
その昔の右翼氏の場合、”あるべき反省の姿”を想定し、それに合うように”反省しろ”という、これは思想の強要と言うべきで宜しからざることだ。が、「殺してもらうしかないやろ」という、なんというか他力本願の気合のない発言はまあさておいて、「でも安部は反省する能力ないから」という判断をさらっと出すあたりは、どうかなあとか。
…反省能力がない、というのは、どういうふうに観測するのかなーとか。
…ああ、やはりこれも思想の強要・強制の一種なんだな。しかも、岸元首相事件よりさらに(泥沼のほうに)踏み込んだパターンの。”僕が想定するあるべき反省の姿”をいつまでも実現しないので、反省する機会はあったはずなのにしていないがゆえに、そもそも能力を欠いた者だと判定する―という。”僕が言わなくても気付けよ”とかいうのも含まれたりする。これだけでも泥沼のほうに踏み出しているが、さらに、そうしたものは存在する・生存するべきでない、と言う方向に進み、さらにさらに、下手人は自分以外の誰かであるべきで、返礼にコストゼロの賞賛の言葉は出してあげようという。
…まあその、非常に人間的ではあるなあという感想。人間の現実の姿のひとつよねえ。
でまあ、こういう種類のひとたちは、常識だの世の多数派だの良識派だの理性的人間だのという自己意識(※事故というのが第一変換候補だった。そっちのほうが良い気もする)をもっているようで―。
(おおむねマスコミが設定した)「加計学園問題」に、大問題として関心を持つかどうか、まあ問題として認知するかどうか、どの程度の問題として取り扱うか…といったような様々な段階があろう。
いわゆる岩盤規制なるものを打破したというのは、まあそうだろう。この際、脇で聞きかじったりなにやらで、うまいこと美味い汁を吸うひとが出たりするだろう。では、この場合、美味い汁を吸ったA氏のために「岩盤規制の打破」が行われたのかどうか?
「そうだ」という人たちこそ、この問題を政権を揺るがす大問題と理解し、”首相の首を取”らねばおさまらないとするのだろう(安倍首相が政権を完全に私物化した、とする安倍独裁者シナリオ)。
「いや、まあ岩盤規制打破はともかく、もののついでで権力者が友達に利権供与をしたのがマズイ」と考えている人もいるだろう。この場合は安倍政権を独裁とまでは言わず、私物化の程度も「独裁者」シナリオより低く評価するだろう(「手続き上の瑕疵」シナリオとでもいおうか。「政権の緩み」かもしれない)。
この際、
という立場もあろう。私はこっちに近い。
思い起こせば、イラク戦争などのときにも同様のことがあっただろう。政権中枢部のひとが軍需企業の株を持っていたからということで、「これは軍産複合体の陰謀だったのだ!」と吹き上がった人々。しかしこの際、そのような(いわば)小銭を儲けるのが目的で戦争をしたのだろうか? 「そうだ」と言う人々がこれを大いに批判したのではなかったか。
実際、直接的には「加計学園問題」程度、国家的政策の前では小物に過ぎないだろう。マジモンのカネモチたちからすると、小銭であって、たかるには規模が小さすぎるだろう。個々の庶民の個々の生活実感的には大問題だが、庶民の多くにもっとカネを回すような大政策のほうに時間を割り振ってもらいたいとは、わたしは思う。
「今年6月、安倍晋三首相を名指しして「殺してもらうしかないやろ」とツイッターに投稿した自称・兵庫県川西市在住の男性が、兵庫県立高校の現職教諭ではないかとして、インターネット上で騒ぎになっている」
なにやっとんじゃい。
「「昔本物右翼の方(憂国の士)がおられて岸元首相を刺したときは、『いつでも殺せるけど、今回はここまでにしておく。反省しろ』と言われたらしい。でも安部は反省する能力ないから殺してもらうしかないやろ」」
とか書いたというのだが。
その昔の右翼氏の場合、”あるべき反省の姿”を想定し、それに合うように”反省しろ”という、これは思想の強要と言うべきで宜しからざることだ。が、「殺してもらうしかないやろ」という、なんというか他力本願の気合のない発言はまあさておいて、「でも安部は反省する能力ないから」という判断をさらっと出すあたりは、どうかなあとか。
…反省能力がない、というのは、どういうふうに観測するのかなーとか。
…ああ、やはりこれも思想の強要・強制の一種なんだな。しかも、岸元首相事件よりさらに(泥沼のほうに)踏み込んだパターンの。”僕が想定するあるべき反省の姿”をいつまでも実現しないので、反省する機会はあったはずなのにしていないがゆえに、そもそも能力を欠いた者だと判定する―という。”僕が言わなくても気付けよ”とかいうのも含まれたりする。これだけでも泥沼のほうに踏み出しているが、さらに、そうしたものは存在する・生存するべきでない、と言う方向に進み、さらにさらに、下手人は自分以外の誰かであるべきで、返礼にコストゼロの賞賛の言葉は出してあげようという。
…まあその、非常に人間的ではあるなあという感想。人間の現実の姿のひとつよねえ。
でまあ、こういう種類のひとたちは、常識だの世の多数派だの良識派だの理性的人間だのという自己意識(※事故というのが第一変換候補だった。そっちのほうが良い気もする)をもっているようで―。
加計学園問題をよしとする人たちは「ほら、岩盤規制に穴を開けたぞ。問題ないじゃ無いか。」
— R.Y. (@ya_roki) 2017年7月11日
よしとしない人たちは「適切に選定のプロセスは進められていたのか。穴の開け方に関して問題があったのではないか。」
全く会話が成り立ってないのでなんじゃこりゃって感じだよ。 https://t.co/Jd9i71xiew
肯定か否定か、政権擁護か政権非難か、前次官は正しいか間違いか。そういう二者択一思考が不毛なのにそれに気づかない。または敢えて無視する。そんなものと、まともな議論が「噛み合わない」のは当然です。思考が貧弱なのは、二者択一で考えるから。学生諸君は、そういう大人になってはいけません。 https://t.co/ZHNoFOK6nF
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年7月11日
(おおむねマスコミが設定した)「加計学園問題」に、大問題として関心を持つかどうか、まあ問題として認知するかどうか、どの程度の問題として取り扱うか…といったような様々な段階があろう。
いわゆる岩盤規制なるものを打破したというのは、まあそうだろう。この際、脇で聞きかじったりなにやらで、うまいこと美味い汁を吸うひとが出たりするだろう。では、この場合、美味い汁を吸ったA氏のために「岩盤規制の打破」が行われたのかどうか?
「そうだ」という人たちこそ、この問題を政権を揺るがす大問題と理解し、”首相の首を取”らねばおさまらないとするのだろう(安倍首相が政権を完全に私物化した、とする安倍独裁者シナリオ)。
「いや、まあ岩盤規制打破はともかく、もののついでで権力者が友達に利権供与をしたのがマズイ」と考えている人もいるだろう。この場合は安倍政権を独裁とまでは言わず、私物化の程度も「独裁者」シナリオより低く評価するだろう(「手続き上の瑕疵」シナリオとでもいおうか。「政権の緩み」かもしれない)。
この際、
「評価が分かれている」のではなく、「評価するのが馬鹿らしい」という立場があるわけです。国会の場で議論するというのは、当然、コストがかかる。他の問題にかける時間が少なくなるのを含めて。「おいおい、ウチの省にももっと大事な問題があるよ」というのが、霞ヶ関の住民たちの大勢でしょう。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年7月11日
という立場もあろう。私はこっちに近い。
思い起こせば、イラク戦争などのときにも同様のことがあっただろう。政権中枢部のひとが軍需企業の株を持っていたからということで、「これは軍産複合体の陰謀だったのだ!」と吹き上がった人々。しかしこの際、そのような(いわば)小銭を儲けるのが目的で戦争をしたのだろうか? 「そうだ」と言う人々がこれを大いに批判したのではなかったか。
実際、直接的には「加計学園問題」程度、国家的政策の前では小物に過ぎないだろう。マジモンのカネモチたちからすると、小銭であって、たかるには規模が小さすぎるだろう。個々の庶民の個々の生活実感的には大問題だが、庶民の多くにもっとカネを回すような大政策のほうに時間を割り振ってもらいたいとは、わたしは思う。
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