ともあれ、一個の学者としては「ふつーに研究して査読誌に出す」で対策終わり、というだけの話。学会を作りたいなら、その種の仲間と組めばいいだけだし、大物になって大学を作ることを依頼されたら・職務上作らざるを得なくなったら、必要な人材を集めてしっかり組織を作ればいいわけ。
よくも悪くも、あれは形式上の不備で落とされたというのが根本的な理由であって、そりゃあ
1) 学長予定者(旧)に学問的業績がない
2) 学長予定者がくるくる変わる(私が知っている限り、今年度始まって以来、3名)
3) 教員の数が揃っているかどうか極めて疑問
3.1) 揃っていなかったろう証拠としては、2015年4月開学予定のはずなのに、2014年8月9日開始で8月20日〆の公募を4件、発していることを上げることができる(「たぶんある意味純粋公募」)。
3.2) ちなみに絶望的なのは、宗教法人が元締めの学校のはずなのに、宗教学(あと、あえていえば心理学)の先生の募集をここまで差し迫った時期に、『ええと、どうでもいいからとりあえず応募する気があるかどうかだけ教えてください!』という本音もろだしにしている点。
3.3) さらに言えば、哲学担当の公募をこんな時期にしているのもマズイ。文科省とやりあう際の、理論闘争用の人材として哲学・法学あたりを早期に押さえておくべきだった。
4) 3)の状況から、シラバス等々ができているはずもないと推定される=少なくとも4年間の教育システム構築ができていないと推定される
4.1) なお文書作成能力に疑問があることについては、以下を参照:
「異議申立書(配布用)」4ページ目
幸福の科学教学を専門科目からはずし、教養・自由科目にしたにも関わらず、さらに是正意見が付いたことについて「具体的には、木村理事長は小代室長補佐に対し、「一部過激な人もいるから理解して頂いて。私はもう止められなくなる可能性もあるから。それこそシュプレヒコールしたいくらいの連中がおりますから、そんなことをやられたら困るから、やめてくれと、何とか落ち着いてくれというのが、今の実情ですよ(笑)」と発言したものであるにすぎなかった」と発言したそう。
確かに、自派教学を教養・自由聴講科目にまで格下げしてなお「是正意見」がつく―というのは、主観的には非常に不愉快なことと思われる。「宗教法人は怒り心頭になる」(先ほどの引用文の直前の文章)のも当然である。
とすると、「もう。ボクでは押さえ切れませんよー(笑)」という(笑)が、やられた側にとって八名信夫の本気の凄み顔のようにも思われ、そりゃあエリートコースの上品な官僚さんが激烈な恐怖を抱いちゃいましたこわいこわいこわーい、と主張されたら言い逃れは難しかろう。ああ、交渉のための心理学をしっかり交渉係に仕込む必要もありますね。
でまあ、公文書に(笑)はないだろうというのが、本来最初の突っ込みどころであるわけですが。
5) 以上をかんがみるに、大学としての質を有しているか否かという点には、非常な疑問を抱かざるを得ない
ちなみに「科研費とか大学認可とかのメモ」にメモしたが「The Liberty 「大川真輝の『幸福の科学大学シリーズ』の学び方」 - 幸福の科学「大学シリーズ」60冊の魅力と本質に迫る 2014.10.29 「大川隆法総裁の次男・大川真輝副理事兼総裁室部長(早稲田大学文化構想学部在学中)は、60冊に及ぶ大川総裁の「大学シリーズ」に多くの人が触れ、その理解を深めるための解説を行った」」(当該ページへのリンクは上のリンクから)とあり…。
いや、確かに教祖の息子さん(推定後継者)には特別な位置が与えられてかまわないといえばかまわない。が、それは血縁でつなぐ限りの価値であって、大学教育に関わるような高度な議論は、いや確かに一般人に喋るときはデチューンして喋るのでレベルは下がるのであって原稿があれば学部生でもそりゃあ「講義」できるだろうけど―
…学部生にさせていいことじゃないだろう、大学としては。
プレゼンの練習をさせるというなら、講義の一環としてやるけど。
まーそんなわけで、文科省としては『学部生でも”理解を深めるための解説”ができる程度のことなんですかー。へー。カルチャーセンターみたいなものなんですねー。じゃあカルチャーセンターの枠で申請してくれます? ああ、ちなみに、その場合は管轄は消費者庁とか、そっちのほーだから』といいたくなるだろう。
ちなみに『人間幸福学研究』という、いやもうまるっきりそのもののタイトルの「学術」雑誌を運営している点、目の付け所はまあ間違いきってはいないときちんと評価してあげるべきだと思われます。
でもね、きちんと先達のしたことを学ぼうよ。
ちゃんとした人を呼んで、ちゃんとしたものを書いてもらおうよ、10年くらいは。
ランダムに著者をチェックしたら某C大の准教授さんの名前が出てきたが、それでは足りないと思うけどね。その某氏には申し訳ないけど、しかしまっとうな学者なら同意してくれるだろう。
根本的に、『未成年をも含む学生を4年間に亙って教育する能力と計画性とに非常な疑義がある』と指摘されているところ、『シュプレヒコールとかやっちゃう連中を抑えておくのにも限界があるんですよ(笑) まあ納得してもらえます?』という旨、やられたら、そりゃ職務―大学の質を最低限度以上に保持する―に忠実な公務員としては『不当な圧力だ!』といいたくなろう。
『学術業績をもってこい』と言っているのに、『過激な連中がいましてね』と返されては、これは
a) 日本語の会話になっていない=相手は非理性的存在である
b) 実は論理は通っている=何らかの実力的圧力をほのめかしている=脅迫である
いずれかと理解せざるをえない、であろうか。
幸福の科学大学は、しかし、第三の道を主張している。彼らは、”自分たちが行っているのは学問である。その学問の自由な展開を認めないのは、学問の自由に対する抑圧である”という旨、主張するわけだ。だから学問の自由を盾に自己の正当性を主張する。その学問的な質について文科省側は疑義を呈するわけだが、幸福の科学側はその異議申し立てを本質的には認めない。
なにしろ、教派の名前からして「科学」なのだ。自派の存在はそのまま科学なのだから、その学術的価値は疑問に付されることさえありえない、と思うことだろう。すると幸福の科学側としては、自派の存立根拠=科学であることを正面から否定しにかかった文科省を、信仰の自由を抑圧しにかかる、非(または反)憲法的組織と見ざるを得ない。
ところで我らが憲法なるものは…と、大上段にふりかぶるのもよいだろうが、まあはたと気付くわけだ。じゃあ、なんで他の教派の大学は認可されてきたのだろうか? という疑問に。
あと年度当初に英語の先生の募集してたよねえ。非常勤講師募集、はいいんだけど、学部卒以上とかいう、すっごい舐めた条件を出してたと記憶するが。その時点で不認可は読めたオチだったのだが、ここまでぐだぐだになるとは…うん。
「幸福の科学大学が認められなかったのと同じ理屈で自分たちの学問分野の大学が作れなくなる」という可能性を誰も考えないのが不思議。
— 渡邊芳之 (@ynabe39) 2014, 11月 20
よくも悪くも、あれは形式上の不備で落とされたというのが根本的な理由であって、そりゃあ
1) 学長予定者(旧)に学問的業績がない
2) 学長予定者がくるくる変わる(私が知っている限り、今年度始まって以来、3名)
3) 教員の数が揃っているかどうか極めて疑問
3.1) 揃っていなかったろう証拠としては、2015年4月開学予定のはずなのに、2014年8月9日開始で8月20日〆の公募を4件、発していることを上げることができる(「たぶんある意味純粋公募」)。
3.2) ちなみに絶望的なのは、宗教法人が元締めの学校のはずなのに、宗教学(あと、あえていえば心理学)の先生の募集をここまで差し迫った時期に、『ええと、どうでもいいからとりあえず応募する気があるかどうかだけ教えてください!』という本音もろだしにしている点。
3.3) さらに言えば、哲学担当の公募をこんな時期にしているのもマズイ。文科省とやりあう際の、理論闘争用の人材として哲学・法学あたりを早期に押さえておくべきだった。
4) 3)の状況から、シラバス等々ができているはずもないと推定される=少なくとも4年間の教育システム構築ができていないと推定される
4.1) なお文書作成能力に疑問があることについては、以下を参照:
「異議申立書(配布用)」4ページ目
幸福の科学教学を専門科目からはずし、教養・自由科目にしたにも関わらず、さらに是正意見が付いたことについて「具体的には、木村理事長は小代室長補佐に対し、「一部過激な人もいるから理解して頂いて。私はもう止められなくなる可能性もあるから。それこそシュプレヒコールしたいくらいの連中がおりますから、そんなことをやられたら困るから、やめてくれと、何とか落ち着いてくれというのが、今の実情ですよ(笑)」と発言したものであるにすぎなかった」と発言したそう。
確かに、自派教学を教養・自由聴講科目にまで格下げしてなお「是正意見」がつく―というのは、主観的には非常に不愉快なことと思われる。「宗教法人は怒り心頭になる」(先ほどの引用文の直前の文章)のも当然である。
とすると、「もう。ボクでは押さえ切れませんよー(笑)」という(笑)が、やられた側にとって八名信夫の本気の凄み顔のようにも思われ、そりゃあエリートコースの上品な官僚さんが激烈な恐怖を抱いちゃいましたこわいこわいこわーい、と主張されたら言い逃れは難しかろう。ああ、交渉のための心理学をしっかり交渉係に仕込む必要もありますね。
でまあ、公文書に(笑)はないだろうというのが、本来最初の突っ込みどころであるわけですが。
5) 以上をかんがみるに、大学としての質を有しているか否かという点には、非常な疑問を抱かざるを得ない
ちなみに「科研費とか大学認可とかのメモ」にメモしたが「The Liberty 「大川真輝の『幸福の科学大学シリーズ』の学び方」 - 幸福の科学「大学シリーズ」60冊の魅力と本質に迫る 2014.10.29 「大川隆法総裁の次男・大川真輝副理事兼総裁室部長(早稲田大学文化構想学部在学中)は、60冊に及ぶ大川総裁の「大学シリーズ」に多くの人が触れ、その理解を深めるための解説を行った」」(当該ページへのリンクは上のリンクから)とあり…。
いや、確かに教祖の息子さん(推定後継者)には特別な位置が与えられてかまわないといえばかまわない。が、それは血縁でつなぐ限りの価値であって、大学教育に関わるような高度な議論は、いや確かに一般人に喋るときはデチューンして喋るのでレベルは下がるのであって原稿があれば学部生でもそりゃあ「講義」できるだろうけど―
…学部生にさせていいことじゃないだろう、大学としては。
プレゼンの練習をさせるというなら、講義の一環としてやるけど。
まーそんなわけで、文科省としては『学部生でも”理解を深めるための解説”ができる程度のことなんですかー。へー。カルチャーセンターみたいなものなんですねー。じゃあカルチャーセンターの枠で申請してくれます? ああ、ちなみに、その場合は管轄は消費者庁とか、そっちのほーだから』といいたくなるだろう。
ちなみに『人間幸福学研究』という、いやもうまるっきりそのもののタイトルの「学術」雑誌を運営している点、目の付け所はまあ間違いきってはいないときちんと評価してあげるべきだと思われます。
でもね、きちんと先達のしたことを学ぼうよ。
ちゃんとした人を呼んで、ちゃんとしたものを書いてもらおうよ、10年くらいは。
ランダムに著者をチェックしたら某C大の准教授さんの名前が出てきたが、それでは足りないと思うけどね。その某氏には申し訳ないけど、しかしまっとうな学者なら同意してくれるだろう。
根本的に、『未成年をも含む学生を4年間に亙って教育する能力と計画性とに非常な疑義がある』と指摘されているところ、『シュプレヒコールとかやっちゃう連中を抑えておくのにも限界があるんですよ(笑) まあ納得してもらえます?』という旨、やられたら、そりゃ職務―大学の質を最低限度以上に保持する―に忠実な公務員としては『不当な圧力だ!』といいたくなろう。
『学術業績をもってこい』と言っているのに、『過激な連中がいましてね』と返されては、これは
a) 日本語の会話になっていない=相手は非理性的存在である
b) 実は論理は通っている=何らかの実力的圧力をほのめかしている=脅迫である
いずれかと理解せざるをえない、であろうか。
幸福の科学大学は、しかし、第三の道を主張している。彼らは、”自分たちが行っているのは学問である。その学問の自由な展開を認めないのは、学問の自由に対する抑圧である”という旨、主張するわけだ。だから学問の自由を盾に自己の正当性を主張する。その学問的な質について文科省側は疑義を呈するわけだが、幸福の科学側はその異議申し立てを本質的には認めない。
なにしろ、教派の名前からして「科学」なのだ。自派の存在はそのまま科学なのだから、その学術的価値は疑問に付されることさえありえない、と思うことだろう。すると幸福の科学側としては、自派の存立根拠=科学であることを正面から否定しにかかった文科省を、信仰の自由を抑圧しにかかる、非(または反)憲法的組織と見ざるを得ない。
ところで我らが憲法なるものは…と、大上段にふりかぶるのもよいだろうが、まあはたと気付くわけだ。じゃあ、なんで他の教派の大学は認可されてきたのだろうか? という疑問に。
あと年度当初に英語の先生の募集してたよねえ。非常勤講師募集、はいいんだけど、学部卒以上とかいう、すっごい舐めた条件を出してたと記憶するが。その時点で不認可は読めたオチだったのだが、ここまでぐだぐだになるとは…うん。
…つまり彼は、自分の想像した文科省の、自分の想像した対応に対して憤然としていたりしたわけで、こうした自家中毒的思想を持つ人にはどう対応すべきかねえと困った覚えがある。
公募発令の状況からみて、あからさまに用意ができていないこと―教員数からして足りてないこと―も、集めたかもしれない教員の資質も怪しいこと―学部卒なんて条件で教員公募を出すあたり―などを指摘しても、「ナントカするはずだ」で却下された覚えが。