空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

女性のスーツの画一化のタイミング? 2

2019-04-07 18:46:12 | ノート
 これが結構よい:

Blogos 昔の入社式におけるカラフルなスーツの意味は何だったのか 赤木智弘2016年04月02日 09:58

さて、入社式といえば、近年話題になり続けているのが「昔の入社式は新入社員もカラフルで個性的だったのに、今の入社式は同じような髪型に同じようなスーツを着ている。今の若者は没個性なのではないか」という話題だ。多分今年もそんな話が繰り返されるだろう

これについてはリクルートスーツも同じように批判されていて、同じような格好をしている若者を批判的に見る人達は、若者が同調圧力に屈して個性を発揮していないことに憤っているらしい

僕はそうした批判に対して「学生たちが必死に会社のニーズに合わせようとした結果だ」と反論した。
 就職状況が厳しくなり、新卒での採用が大きく人生を左右することを考えれば、個性を出すためのために、会社に受け入れられないかもしれないというリスクを犯す必要など、若い人にはないはずなのだ


 とまあ、まっとうな大人の意見を単に真っ当に言うだけでも、もはや十分な見識という感じ。

元々この話題が盛り上がったのは、2010年に日本経済新聞が、JALの入社式を取り上げ「昔は個性的だったが、今は個性は封印」という話を論じたのが発端だった。そしてそこに掲載された写真は、昔の写真も現在の写真も女性の新入社員をメインとしたものであった。つまり、この話はそもそもが「女性の個性」の話なのである

 ここはきちんと男女別に条件を整理したひとの勝ち、だ。素晴らしい。

女性の勤続年数の推移を見るに、1985年(昭和60年)は勤続年数が4年以下の女性が5割を超えていた。(*3)  単純にこのデータだけではなんとも言えない部分も多いが、それでも時代の空気として、そのくらいで寿退社を目指すライフモデルが一般的であったことを覚えている人は少なくないだろう

 …もう、それ、マスでいえば「そぅ」だよねという説得的な数字を控えめに提出する技。見習いたい。

ならば私たちはかつての入社式のスーツのカラフルさに「華やかさ」を見るのではなく、「女性が戦力として扱われず、華としてしか考えられてなかった時代の傲慢さ」こそ見るべきなのである

関連:「女性のスーツの画一化のタイミング?(2019-04-03)」


 同じネタをそっちこっちで見るが、このひとだけ・4日ほどでリツイート21000超え、「いいね」52000超え。これ、論じる意味があるかも。



 これと

 これとは、個々の事情、地域差、対象となる業界…いろいろあるので、まあなんとも。
 例えばごく最近まで、保育所の保母さんは短大卒の独壇場だったはず。ならば四大卒は敬遠された―という状況はわりと最近まであっただろう。この「最近」というのは10年程度をさしているが。で、さらに最近、ここ数年レベルであれば、四大卒を一定程度以上確保せねばならぬ―という動きが強化されているのではないかなあ、とか。
 この辺は、各個にどんな業界のことをいっているのかな、というチェックが必要かも。
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