社会運動について公の場で話すと、わりと聞いてくれている人からよく出されるキーワードで、デモが「価値観の押しつけ」だから嫌、というものがある。路上で神輿とか運んでもそれは価値観の押しつけとは言われないから、特定の価値観が正しい、という認識に基づく主張が押し付けに感じられるのかな。
— TOMINAGA, Kyoko (@nomikaishiyouze) 2018年11月22日
その「「価値観の押しつけ」だから嫌」にもいろいろのレベルとか様相とかがあるので、一概に「嫌なんだろうなあ」で塗りつぶさないほうがいいぞ。多様性がどうこう言いたいなら、特に。
この人普段は温和なんだろうなという方も、明確に「嫌い」「苦手」とおっしゃるので、ある意味そうした激しい反応というか、デモを目にすることで、観衆が自身の政治的な意見やら立場を自覚するという効果もあるのか?と思ったりしたけど。それは考えすぎかもしれないな。もっと単純に嫌なのかな
— TOMINAGA, Kyoko (@nomikaishiyouze) 2018年11月22日
勝手にやってる分については構わん、という私のようなパターンもある。
しかし
関連:「署名をするかどうか、政治的中立かどうか(2018-10-12)」
とまあ、
「職場で、上長が、下位職位者に、ある政治マターについての反対/賛成の署名を求めることは疑いなく政治的中立性に反しないという見解」に反対するのは、果たしてどういう立場がありえるかを考えてみるくらいの知的能力は、うんその、少なくとも運動を指導するような人たちには求めたい気がするんだが、どうだろう。
なお私は、そういうのはパワハラに属する・パワハラの懸念があるので避ける方針である。
当たり前だろう、講義で「アベセイジをユルサナイー!」とか叫ばしてみるだけでアウトだというわけだぞ? 「ためしに言ってごらん?」でもダメなわけだ。何度も新聞報道になっただろう、見てもないのか? 新聞くらい、みるといいぞ? 複数紙を見るんだぞ? 朝日が好きなら、産経を絡めたり、赤旗が好きなら、読売をかましてみたり、レイバーネットが大好きなら週刊金曜日だけじゃなく東洋経済も見たりするんだぞ? ニューズウィークくらいのものは、たまに眺めておくんだぞ?
でまあ、さすがに上長様に「おめーはそれ、パワハラか、この野郎」と言うのは憚られるので、まあ「政治的中立性」とかいってごまかしたわけだ。そこらへんのあわいを考えもしない・感じることもできないのは、まあだいぶ人格がお優れでございますなとも思うんだが、理論的に優れた方々にはまあ多少、肩の上に乗ってるボール状の物体の活用法について試みてみるといいのじゃないのだろうか。
私についていえば、端的に、無能は嫌いだというだけだ。
一緒にお祭りするヒマがあれば一緒にお祭りしてもいい気もするレベルで理解はあるが、あからさまに低水準すぎると合わせるのも苦労するんだ。あまりはっきり言うと差しさわりがあるので「「嫌い」「苦手」」程度で済ますんだが、たまに勘違いしたアホの子が、『ううーん、そうかあ。この子は理解が足りないからこんなことをいうんだな! 賢い私が理解の足りないこの子を教えてあげよう!』とか思ったらしく粘着してくるのは、極めてウザイ。
そんな私でも三~四年は耐えたので、まあ人格が優れていると主張する人たちとかはそれ以上耐えてみる試みをしてもよいだろう。私のところに来ていた老害は耐えなかったが。
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