最悪の手です、これ。企業は利潤追求が使命だから成果を挙げた者が高い年俸を受け取るのはあり。だが大学は企業ではない。歴代ノーベル賞受賞者が「目先の成果にこだわるな」と言い続けているのが聞こえぬのか。 https://t.co/fJcWrNziH9
— Hiroshi Takahashi (@SeroriHitomi) 2018年7月31日
上に対してのコメントが
今どき大学教師だけは、成果に関係なく年齢給でやれってさ。そんな甘えたこと言ってるから、今のひどい状態になったという自覚がない。 https://t.co/S4kuFOmRmT
— 池田信夫 (@ikedanob) 2018年8月1日
しかし上のTakahashi氏は「成果に関係なく年齢給でやれって」とは言ってない。「企業は利潤追求が使命だから成果を挙げた者が高い年俸を受け取るのはあり。だが大学は企業ではない」という論点を無視しているのは、論点ずらしになろうし、議論の生産性を低める(マイナスにする)。
と言うか、既に成果に合わせて給料を上下する体制になって久しいので、現場では”自分は1000万にはとどかないけど、アナタなら届くでしょう”などという(若手への)言葉が出たりする。研究費はえらいこと絞られ、身分は不安定になり、それで「今のひどい状態になった」わけであり、その点の自覚はほしいかなあ。
日本のサラリーマンが年功序列でぬるま湯だというのは神話。頻繁な転勤や出世競争が、強烈なインセンティブになっている。転勤も出世もない大学教師は、競争がまったくない。成果主義にしないと成果は上がらない。
— 池田信夫 (@ikedanob) 2018年8月1日
「転勤も出世もない」というが、そりゃ大学の教授になればまあ、まずはアガリだろうが。そこまでは(企業的な、たいへん近視眼的な)「成果主義」で競争に競争を重ねており、さらに専任講師になっても准教授になっても教授になっても研究費獲得のための競争にさらされつづけているわけで、あのう、いったいどんな状況を指して「競争がまったくない」と言っているんでしょうか。
…もちろんそれは、常勤・無期限の職を確保した時点で学問もなにもやめてしまう人々がいるわけで、それらを指しているのだろう。具体的には10年以上に亙って論文の1本もない理系さんとか。10年ぶりくらいに久々に書いたのが教育報告論文だとか。10年ほどに亙って外部資金受領一銭もなしとか。
…うんまあ、いまだに、そこらへんにそういうのが生息しているわけで、そういうひとのポストを奪いたいとかなんとか、たいへん、解るんですが…
…我々は既に相当の競争状態を生きているのであり、競争自体を目的化したような「研究」業界体制をあまり強化されると、さしあたり数年後はともかく、10年後、20年後の学術水準が怪しいぞ、つーかこーゆー態勢をとって20年足らず?で、すでに怪しくなったんだが、その点についての自覚はありますか、と聞きたい感はある。
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