朝日新聞 「PCは人から借りられる」生活保護費の返還命じる判決 後藤遼太2017年11月27日21時38分
「生活保護受給者のパソコン購入費は「自立更生の出費」と言えるのか――。自治体による生活保護費の返還請求をめぐる訴訟で、東京地裁は「パソコンは知人に借りることができる」として、自立更生の費用とは認めない判決を出した」
「だが、女性が12年3月から半年あまり派遣会社で働き、収入を得たことが判明。同市は約73万円について返還を求めた。女性側はパソコンの購入費は「自立更生の出費」にあたると主張。「求職活動や収入申告に必要だった」として返還は不要と訴えた。
判決で林俊之裁判長は「パソコンは知人から借りられる」として女性の訴えを退け、同市が請求した全額を返還するよう結論づけた。同法は原則全額返還を定めている、とも述べた」
「女性の代理人の木村康之弁護士は「パソコンを他人から日常的に借りるのは非常識。『原則全額返還』という考え方はおかしい」と訴えている」
そりゃまあ、「パーソナル」コンピュータというくらいですしね。
さて、上掲の記事を読んだ上で以下のコメントを見てみましょう:
知ってたから『こりゃオレには適用できないわ』と納得したのと違うかね、ということになる。
ところが彼には助け舟にならないのだ、ということに想像を及ぼしてもよい。
最初にあげた新聞記事の話からしても、求職者がPCを所有することは「最低限」とは見做されない可能性が割とある。いや勿論、疑問とはされるが、裁判所の判断としてばっちり否定される余地が結構あることは明らかということは解る。いま、裁判ではそうなる、のだ。
そこで今回の事件の当事者について、「生活保護の存在もわかんないような憲法学者ってどうなの」という旨の言葉の暴力的なことが理解されよう。彼はまず確実に、事情を知った上で死を選んだのだ。
いまどきの研究者は、まずはPCを要する。仕事の連絡を受けるにもメールが多い。しかし生活保護を受けるに際して、PCはぜいたく品とみなされかねない。ダメだ、とまで宣言されかねない。法学者たるかれはこうした相場等々を知りうる立場にある。なにしろ私でさえ知りうる。
つまり、「生活保護をうけろよ」というのは、彼に「学者を辞めろ」と言うに近い。生きていることに絶対的な・優先的な価値を認める場合、この言葉は真だろうが、
同時に「お前の学術活動はそれ以下の価値である」と宣言するのも同様だ―ということになる:「憲法25条とか、生活保護のこと知らなかったのかしら。勉強ってほんと役立たないな」。
彼はそれに耐えられなかったのではないのか。それゆえ死を選ぶことになったのではないか。
研究資料については、彼は無理心中無理心中を選んだわけだ。
この点、私は彼と異なる。私なら本を誰かに譲り渡す。その算段をつけてから死ぬ。決定的に私と彼が異なるのはここで、つまり彼はこうした社会性を失ってしまっていたのだ―夜にしか研究室に来ず、という話を想起。
そうして、制度からも切捨てられ、彼にとってのあるべき姿・ありたい姿・そうある姿としての学者としての生を望めなくなったところで―
―PCも、まずは十分な研究資料を収める広さの部屋を得ることもできないわけだろう、そんな知的活動から切断された生活を、我が生とは、彼は認めることができなかったのだ。
「新聞を取ることは、生活保護でも認められるだろう。新聞記事への論評を書くという手もあっただろう」、そんな提案は出してみるのはいいが、そんな仕事は我々にはまあまず下りてこず、しかも食えるほどは決して回ってこないだろう(そこまでのニーズもないだろう)。さらには、そんな時事問題についてのすばやいレスポンスを求められる仕事を、PCをわざわざ借りてこないといけないような機動性に劣る人物にわざわざ依頼することは―なんてことも思わざるをえない。
こうして、「私の生をどう設計・構築するか」というテーマに触れる・戻ることになる。こうした主体的な取り組みを正面から否定されたからには、残った道はその主体自身の消滅ということになってしまいかねない。
生活保護で生き延びろ、というのは、「(学者になりたい・学者であろうとした)お前は死ね」というに近い。
ここで、「それ以外の自分」を想像できる人たちがあろう。こうした人々にとっては、問題の彼は理解不可能に近い。
…いやまあ、この場合は、アナタは食える学者になれたが、食える学者になれなかったら九大の彼みたいになりかねないですよね、ということになるかもしれんが、そんな「強者」に
とまあ言いたい気持ちはそりゃわからんでもない。
が。学者である・学者となる以外の自分を想像できない人々にとっては、九大の彼は他ならぬ我が影に等しく、なにか辛い言葉を、連帯の言葉を発したくなるのである。
…社会にはいろいろある。この九大の彼は、運か実力かが届かなかった、というわけなのだ。しかし彼に実力で劣る者がアカデミアでござい、とのさばっているじゃないか、と言いたい向きもあろう。いや私もそういう言葉は聞かされるが。母体の組織が大きいヤツがよぅ、と言うような話とか。そういう愚痴をいいながら生き残っている者たちもいる。だから彼には「運」がなかったということになるのだろう、これはそこそこ共通理解がいきそうだ。
だから、運が良かった、死を選ばずにすんだ我々は、もしかしたら同じ状況になっていたかもしれない彼に目をむけ、うちの若い衆にはそうはならずにすむように、何か、なんとか、ならないか、できないか…と考えるのだ。
朝日新聞 貧困に殺された九大オーバードクターはなぜ生活保護に頼らなかったか 2018.9.21 みわよしこ
6ページ目
「私から見れば、Aさんは単純に「生きる」という選択、日本国憲法に定められた生存権を行使する決意をすればよかった。生活保護が利用できる状況だった可能性は極めて高い。生活保護を利用して一息つき、心身の健康を回復し、少しずつ、無理なく、夢と現実の妥協を図りながら生きていく希望はあったはずだ。しかし、今から何を言ってもAさんは生き返らない。
今の私は、ただ、Aさんに「お疲れさまでした」と声をかけたい。そして、困窮の中で必死にベストを尽くし、減るばかりの選択肢の中から最良の選択を試み、それでも力尽きたAさんの冥福を、心から祈る」
公開情報から概ねこんなところだっただろう、という状況を描き出し、大変人間的なコメントを付してこの記事は終わる。ちゃんとしたライターだな、と思ったので、めも。
まあ、このように、一時(一年~二年ほど)撤退し、計画の再構成をしてはどうか、というのが本当に妥当なのだが。
そうした決断をするにも相当のパワーが必要なのである。この点にかけては、貧困の問題一般に通じる。
「生活保護受給者のパソコン購入費は「自立更生の出費」と言えるのか――。自治体による生活保護費の返還請求をめぐる訴訟で、東京地裁は「パソコンは知人に借りることができる」として、自立更生の費用とは認めない判決を出した」
「だが、女性が12年3月から半年あまり派遣会社で働き、収入を得たことが判明。同市は約73万円について返還を求めた。女性側はパソコンの購入費は「自立更生の出費」にあたると主張。「求職活動や収入申告に必要だった」として返還は不要と訴えた。
判決で林俊之裁判長は「パソコンは知人から借りられる」として女性の訴えを退け、同市が請求した全額を返還するよう結論づけた。同法は原則全額返還を定めている、とも述べた」
「女性の代理人の木村康之弁護士は「パソコンを他人から日常的に借りるのは非常識。『原則全額返還』という考え方はおかしい」と訴えている」
そりゃまあ、「パーソナル」コンピュータというくらいですしね。
さて、上掲の記事を読んだ上で以下のコメントを見てみましょう:
一流大学の法学部で憲法を学んで、なんで「経済困窮で自殺」するかな。憲法25条とか、生活保護のこと知らなかったのかしら。勉強ってほんと役立たないな。
— ちきりん (@InsideCHIKIRIN) 2018年9月17日
九州大学法学部、元院生の男性、経済的に困窮し放火で自殺か
https://t.co/38wgBmH2oL
知ってたから『こりゃオレには適用できないわ』と納得したのと違うかね、ということになる。
生活保護という助け船、使えたらよかったかも…→九州大学で7日に起きた火災 死亡した容疑者男性が明かしていた内心 https://t.co/F0EOuxmk1C
— エス (@FreeTIBET2008) 2018年9月16日
非常勤職を“雇い止め”に遭うなどして困窮を深めた。家賃の支払いも滞り、肉体労働を掛け持ちして研究室で寝泊まりするようになった pic.twitter.com/Td1YU7YD0x
ところが彼には助け舟にならないのだ、ということに想像を及ぼしてもよい。
最初にあげた新聞記事の話からしても、求職者がPCを所有することは「最低限」とは見做されない可能性が割とある。いや勿論、疑問とはされるが、裁判所の判断としてばっちり否定される余地が結構あることは明らかということは解る。いま、裁判ではそうなる、のだ。
そこで今回の事件の当事者について、「生活保護の存在もわかんないような憲法学者ってどうなの」という旨の言葉の暴力的なことが理解されよう。彼はまず確実に、事情を知った上で死を選んだのだ。
いまどきの研究者は、まずはPCを要する。仕事の連絡を受けるにもメールが多い。しかし生活保護を受けるに際して、PCはぜいたく品とみなされかねない。ダメだ、とまで宣言されかねない。法学者たるかれはこうした相場等々を知りうる立場にある。なにしろ私でさえ知りうる。
つまり、「生活保護をうけろよ」というのは、彼に「学者を辞めろ」と言うに近い。生きていることに絶対的な・優先的な価値を認める場合、この言葉は真だろうが、
同時に「お前の学術活動はそれ以下の価値である」と宣言するのも同様だ―ということになる:「憲法25条とか、生活保護のこと知らなかったのかしら。勉強ってほんと役立たないな」。
彼はそれに耐えられなかったのではないのか。それゆえ死を選ぶことになったのではないか。
研究資料については、彼は無理心中無理心中を選んだわけだ。
この点、私は彼と異なる。私なら本を誰かに譲り渡す。その算段をつけてから死ぬ。決定的に私と彼が異なるのはここで、つまり彼はこうした社会性を失ってしまっていたのだ―夜にしか研究室に来ず、という話を想起。
そうして、制度からも切捨てられ、彼にとってのあるべき姿・ありたい姿・そうある姿としての学者としての生を望めなくなったところで―
―PCも、まずは十分な研究資料を収める広さの部屋を得ることもできないわけだろう、そんな知的活動から切断された生活を、我が生とは、彼は認めることができなかったのだ。
「新聞を取ることは、生活保護でも認められるだろう。新聞記事への論評を書くという手もあっただろう」、そんな提案は出してみるのはいいが、そんな仕事は我々にはまあまず下りてこず、しかも食えるほどは決して回ってこないだろう(そこまでのニーズもないだろう)。さらには、そんな時事問題についてのすばやいレスポンスを求められる仕事を、PCをわざわざ借りてこないといけないような機動性に劣る人物にわざわざ依頼することは―なんてことも思わざるをえない。
こうして、「私の生をどう設計・構築するか」というテーマに触れる・戻ることになる。こうした主体的な取り組みを正面から否定されたからには、残った道はその主体自身の消滅ということになってしまいかねない。
生活保護で生き延びろ、というのは、「(学者になりたい・学者であろうとした)お前は死ね」というに近い。
ここで、「それ以外の自分」を想像できる人たちがあろう。こうした人々にとっては、問題の彼は理解不可能に近い。
…実は私は全然九大の件がわかりません。私は自分が一番死ななそうなルートとして研究を選んだので…就活とかしたらたぶん鬱で死ぬし、地元に戻って結婚してもたぶん鬱で死ぬし、研究をしてれば少なくとも鬱で死なないと思ったので…
— saebou (@Cristoforou) 2018年9月16日
…いやまあ、この場合は、アナタは食える学者になれたが、食える学者になれなかったら九大の彼みたいになりかねないですよね、ということになるかもしれんが、そんな「強者」に
強者の論理すごいな。わからないなら黙ってればいいのに。
— Natsuko Nakagawa (@nakagawanatsuko) 2018年9月16日
とまあ言いたい気持ちはそりゃわからんでもない。
が。学者である・学者となる以外の自分を想像できない人々にとっては、九大の彼は他ならぬ我が影に等しく、なにか辛い言葉を、連帯の言葉を発したくなるのである。
…社会にはいろいろある。この九大の彼は、運か実力かが届かなかった、というわけなのだ。しかし彼に実力で劣る者がアカデミアでござい、とのさばっているじゃないか、と言いたい向きもあろう。いや私もそういう言葉は聞かされるが。母体の組織が大きいヤツがよぅ、と言うような話とか。そういう愚痴をいいながら生き残っている者たちもいる。だから彼には「運」がなかったということになるのだろう、これはそこそこ共通理解がいきそうだ。
だから、運が良かった、死を選ばずにすんだ我々は、もしかしたら同じ状況になっていたかもしれない彼に目をむけ、うちの若い衆にはそうはならずにすむように、何か、なんとか、ならないか、できないか…と考えるのだ。
命さえあれば良いという人ばかりではありませんからね。
— Ikegi Arata (@arata_ua) 2018年9月18日
朝日新聞 貧困に殺された九大オーバードクターはなぜ生活保護に頼らなかったか 2018.9.21 みわよしこ
6ページ目
「私から見れば、Aさんは単純に「生きる」という選択、日本国憲法に定められた生存権を行使する決意をすればよかった。生活保護が利用できる状況だった可能性は極めて高い。生活保護を利用して一息つき、心身の健康を回復し、少しずつ、無理なく、夢と現実の妥協を図りながら生きていく希望はあったはずだ。しかし、今から何を言ってもAさんは生き返らない。
今の私は、ただ、Aさんに「お疲れさまでした」と声をかけたい。そして、困窮の中で必死にベストを尽くし、減るばかりの選択肢の中から最良の選択を試み、それでも力尽きたAさんの冥福を、心から祈る」
公開情報から概ねこんなところだっただろう、という状況を描き出し、大変人間的なコメントを付してこの記事は終わる。ちゃんとしたライターだな、と思ったので、めも。
憲法学なら生存権と生活保護は当然ご存知のはず。「自分は働けてるから資格ない」と思い込んでおられたのかも。福岡市だと水際作戦の対象になりそう。住居喪失後だとなおさら。
— みわよしこ/Yoshiko Miwa, a journalist (@miwachan_info) 2018年9月16日
九大箱崎キャンパス火災 元院生の男性 放火し自殺か 身元判明、福岡東署 https://t.co/miGhD4VwOz #西日本新聞
進む道を変えたり生活保護を受けてやり直す機会もあったのだろうけど、学問に対しての情熱を捨てきれなかったんだろうな。努力は必ず報われるわけではないけど、ここまで報われない人生はなんといえばいいのかわからないなhttps://t.co/mXNcOf93vb
— 水落亜樹 (@Aki_Mizuochi) 2018年9月16日
まあ、このように、一時(一年~二年ほど)撤退し、計画の再構成をしてはどうか、というのが本当に妥当なのだが。
そうした決断をするにも相当のパワーが必要なのである。この点にかけては、貧困の問題一般に通じる。
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