空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

「いじめるなら、私をいじめろ」と口にしたところ

2014-07-01 19:25:39 | ノート
中日新聞 いじめかばう女児を暴行 三河の公立小、担任制止できず 2014年7月1日 09時03分

学校によると、騒動が起きたのは6月3日午後2時45分ごろで、5時間目が終わった休み時間中。複数の児童からたびたび悪口などを言われていた同級生を見かね、この女子児童が「いじめるなら、私をいじめろ」と口にしたところ、1人の女児と2人の男児が「いじめてもいいんだってー」と、殴る蹴るの暴行を始めた

 …時々、そういう正義感を発揮するひとはでますよネ。で、調子に乗ったのんが好き勝手に暴行を加える、というのは、あまり発生率は高くないだろうけどまあある(気おされて・なんかしらけて止めるってパターンもあるわけだ)。

2人が女子児童を押さえつけ、1人が跳び蹴りする場面もあった。担任は6時間目の授業に来て、騒動を知った。多数の児童らを分け入って止めようとしたが、暴行は担任の目前でも続いたという

 ここまでのいじめが進展するのを抑止できず、また現場で暴行を制止できないのは、教員の指導力不足を指摘せざるを得ない。が、同時に、ここまで進展してんのに周りのひとは何やってんだ、という突っ込みはありえる。担任会議とかさ。

担任は「出血など目に見えるけがはない」として、女子児童を保健室に連れて行ったり、保護者に知らせたりしなかった。学年主任には報告し、学校が調査して5日、女子児童の保護者に事情を説明した

 担任の見込みの浅さを見ることができる。
 怪我してたら即座に、だが、怪我がなくとも(学年主任に報告・相談ののち―指導力不足というのなら、それなりに何を言い・何を言ってはならないか、事前にチェックする必要がある―)保護者に速やかに連絡すべきである。

 っつか、マニュアルにそうあるとおもうけど。

 で、学校側にもかなーり穴があるかなっていうのは

校長は「子どもが担任の指示に従わないなど、学級運営の問題は感じていたが、担任から相談はなく、様子を見ていた。担任は経験が浅く、学校の管理責任が問われる重大な問題とは考えられなかった。大変、申し訳ない」と話した

 このあたり。担任があほの子なのはまあ、経験が浅くて仕方ないとしても、そうその者を判断する上長が「学校の管理責任が問われる重大な問題と」判断して速やかに行動すべきであった。


 とまあ、上掲記事に加え、教育関係のメモをここにまとめておいておこう:


 学生に対しては有限責任なのであって、と言うと、ぎょっとした目で見られる。先生たらざる者のごとく見られる。先生たちには無限責任が要求されているらしい。

「教育について無限の責任は負えない」
「そうなんですかっ?!」
「当たり前でしょうが、居眠り学生が『オレ聴いてなかったんでもういっぺんやってください』なんて、無限に相手できるわけないでしょうが」

 もちろん、学生が寝もしない、寝ていることができないほど魅力的な講義をするのが教師の責任であって、寝ている学生がいるからには、責任を果たしていない=さらなる努力を要する、ともいえるわけだ。
 しかし、居眠りにもいろんな種類があるわけだし。無限の責任は負っていられない。

 だが、その態度は、「未来の世代に責任を取る気がない」態度であろうか? いやその未来の世代様がパズ○ラをやりこみすぎて寝不足・成績急降下と言う場合,そりゃあ生活指導はするけどさあ,つきっきりでパズ○ラをプレイしないかどうか監視して勉強の面倒みて就寝時間を管理してって,できやしないですよ。

 まあ少なくとも所謂「教育教員」みたいな人たちは我々を教育に駆り立てたりするわけだが、彼らの一定部分は、ンなこと信じちゃいないらしいことは学んだ。私に対して「なんで忙しいんです?」と言い放ったものがすでに二人いるしなあ。授業の改善だけでも、勤務時間いっぱいつかっても間に合わないことぐらい、わかりそうなもんだが。

 …というか。私は研究業績を叩き出して外部研究費を獲得する係を兼ねているので、能力と時間のすべてを教育に注ぎ込めというのはちょっと難。しかも今あつかっているこの計画は学校の将来に関わりうるアレやコレやを組み込んだ計画なんであって(以下略)。


 という愚痴はさておき、我々は勝手に仕事を進めていく一方、そーでないひとたちがやたら(悪い意味で)サラリーマン化してしまっていて、それが宜しくないって言いたいのだろう。

 とはいえ、”無限責任”を負わせようというのは、ブラック企業の論理だとおもうけどなあ。

 そういう言葉で縛ると、真面目な(しかし気弱な)人が責任の重さにつぶされて消えてゆく(もちろん、それは”責任を果たせなかった無能”というレッテルとともに、になるだろう)。

 でもって、実は、本当に無限責任を負わせようとは、普通は考えていないはずなのだ(だから、居眠り学生のためにもう一度授業をやり直す、というのは非現実的だと納得はされる)。なら、実情にあった言葉で説明してはどうか、とも思われる。
 変に勇壮な、聞こえのよいような言葉で煽り立てるの、あまり私は好きではないな。



 精神論として受け取る。

 また、「ご自身の金儲けに夢中になるのは好きにされれば」という表現に注意したい。
 所謂「教育」教員が、我々に対して”アナタの研究って、自分自身の興味関心に だ け よっていて、学生のためになりませんよねぇ?”という旨の不満を持つことがある。そこの感覚と通低するかと思われる。

 言葉の純粋な意味で「そう」である人も時折いるだろうが(以下書かない)。




 まあ、いろいろと示唆的な点があるかと、メモ。まあ、いろいろと。



 法律・制度の側からいうと、こうなるんだろうな。
 私は普段は”一人では限界があるから、チームワークで乗り切るんだ”というような文学的な表現を好むのですが。



 しかしまあ、内田弘樹先生と一字違いでえらい違いだ。

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