フランス,パドカレー県フロメルで調査中の考古学調査団が人骨を発見,WW I時のフロメルの戦い(英語版WikipediaではBattle of Fromelles)の戦死者の集団墓地と見られる。
この戦いは1916年7月19―20日に戦われたもので,オーストラリア軍だけで5533名の戦死者ないし捕虜を出した,一会戦としては同国史上最悪の損失である由。つまりWWIを想い起こす際の,象徴的な事件なのでしょう。
なお日豪プレス第一次世界大戦激戦地跡で人骨発掘(2008年5月29日)がこの件,報じている。プロシア軍は埋葬に当たって記録をつけており,オーストラリア側の記録と照合(さらにDNAテストを併用)すれば身元が確認できるという旨,記載有り。
相応しい埋葬がなされますよう,祈る事とします。
まっとうな軍隊がまっとうに戦う場合,基本的にはかっちり記録をとるはずで(そうは言っていられない状況も多々あろうとはいえ),これはその恩恵をうけることができるようです。いや普段,全くの非対称戦争の記事ばっかりみてるんで忘れがちなんですが。
ふと思い出したけれど,ビルマ戦線で,司令部から「戦果を報告せよ」といわれて『こちとら包囲されて必死にやってるんだ数える暇なんぞあるか』(意訳)と答え,ふつう水増しするものだが斯く答えるとはなんと武士であることよと感服された大佐がいましたが…
…まあ数を数えていられる戦況じゃなかったろうな。たしかあれ,最後は大佐が先頭切って敵前渡河突破で脱出のはずだから…。
この戦いは1916年7月19―20日に戦われたもので,オーストラリア軍だけで5533名の戦死者ないし捕虜を出した,一会戦としては同国史上最悪の損失である由。つまりWWIを想い起こす際の,象徴的な事件なのでしょう。
なお日豪プレス第一次世界大戦激戦地跡で人骨発掘(2008年5月29日)がこの件,報じている。プロシア軍は埋葬に当たって記録をつけており,オーストラリア側の記録と照合(さらにDNAテストを併用)すれば身元が確認できるという旨,記載有り。
相応しい埋葬がなされますよう,祈る事とします。
まっとうな軍隊がまっとうに戦う場合,基本的にはかっちり記録をとるはずで(そうは言っていられない状況も多々あろうとはいえ),これはその恩恵をうけることができるようです。いや普段,全くの非対称戦争の記事ばっかりみてるんで忘れがちなんですが。
ふと思い出したけれど,ビルマ戦線で,司令部から「戦果を報告せよ」といわれて『こちとら包囲されて必死にやってるんだ数える暇なんぞあるか』(意訳)と答え,ふつう水増しするものだが斯く答えるとはなんと武士であることよと感服された大佐がいましたが…
…まあ数を数えていられる戦況じゃなかったろうな。たしかあれ,最後は大佐が先頭切って敵前渡河突破で脱出のはずだから…。
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