あのね、アベヤメロデモを弾圧できるのは公権力。だれが赤十字のポスターを公権力で規制しろなんて主張してます?
— こたつぬこ??野党系政治クラスタ (@sangituyama) February 10, 2020
表現規制の基本は公権力によるもの。公権力の行使かどうかが決定的なの。 https://t.co/E62AdOnqd0
表現規制の基本は公権力によるもの、公権力の行使かどうかが決定的―という主張はまあ尤もなことであり、理解できる。
さて、赤十字はたしか公権力そのものではないはずだ。それゆえ、その表現の如何は特段問題なく自由であろうところ、しかし献血事業は極めて高い公共性を持つがゆえに公的機関に準じて、いやそれ以上にも倫理的に広告をなすべきである―という批判があったわけだ。
となると、表現規制の基本の他に表現規制の応用もあるのだろう。
フォロー・フォロワー二桁水準の個々人がその思想に従って「日赤ヤメロ!」というのは、これは権力の行使とはいくまい。なるほどこれは意見表明の自由は広範に認められて然るべきだろうし、責任と言われても困るなあと思われる。
他方、フェミニスト議員連盟―などとなればどうか。地方政界レベルではあれ、公権力に直結した人々による、しかも連盟での発言は、これは十分「表現規制の基本は公権力によるもの」にあたりはしないか―。
生理的嫌悪感・怒り・憎悪って、一定限度を超えると心的外傷に近い状態になって、「それを思い出させるような物」が来るだけでフラッシュバック起こす状態から抜け出せなくなる事は確かにあるのだよねぇ。
— ふかんじゅ(不観樹 露生)@岡山 (@fukanju) October 29, 2021
そして、そういう症状への配慮から表現規制へは割と直結しやすい。このへんが難しい。
…どうも声高な向きの一部には、些か懸念すべき点があるらしくあり。
「その作品で傷付く人がいても芸術は芸術だ」というのは立派な考え方だよ。問題は、他人の表現を「傷付く人がいるから表現の自由には含まれない、止めろ」と言い続けて来た人間が、自分が他人を傷付けてクレームが沢山来たら「表現の自由だ!」と開き直ってる事だよ。
— 黒瀬 深 (@Shin_kurose) 2019年10月7日
人にもよりますが、どちらかというと「趣味や好む物に文句を言われない自由」を「表現の自由」と呼んでいる人もいる印象があります。 https://t.co/tPMz9hoFZG
— Shin Hori (@ShinHori1) September 2, 2021
この(重みはあるが)極めて常識的な見解を基礎としたい:
表現の自由については、イタリアの地震で家屋が崩壊して人が下敷きになった時、仏の雑誌が「ラザニアの具になったイタリア人」の風刺画を掲載した時、「私は表現の自由を尊重する。そしてこの風刺画が最低だと発言する自由が私にもある」と言ったイタリア上院議長が正しいと思います。
— MASA???? (@masa_0083) 2019年8月6日
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