講義用小ネタノートである。まあその、学生たちにものを考えてもらう際に、分析概念・分析の切り口が大事だよ、と教える、社会学初級みたいな講義のタネ。
毎日新聞 あなたの参院選 後期高齢者に「仕送り」35万円 給与天引きで自覚薄く 2019年7月10日 14時00分(最終更新 7月10日 15時19分)
「75歳以上の後期高齢者の人には1人当たり年間約91万円の医療費がかかっている。このお金は何で賄っているのだろうか」
記事タイトルとこの冒頭の書き出しで、もはや結論は予測されようと言うものである。
「さまざまな調整の仕組みを勘案して計算すると、現役世代は1人の後期高齢者に対して毎年、約35万円を「仕送り」していることになる。
日本が世界に誇る「国民皆保険制度」だが、現役世代の仕送り頼みというのが現実だ。こうした仕組みは、あなたが高齢者になる日まで続けられるのだろうか」
高齢者と現行勤労世代(中後期)、若年者世代との断絶を煽るかもしれない記事である。
「杉浦さんは「医療費があまりかからないんだから、たいした金額じゃないはず」と、普段はあまり気にしない給与明細を見て、驚いた。「健康保険」の欄にあるのは「1万7683」(円)。月収額面の5%程度だった。病院にかからない若い世代でも保険料が高いと感じるのは、医療費のかかる高齢者への「仕送り」のためだ」
…それでもなお、「我々総体」としては―と国民的な統合を私としては訴えることになる。
「厚生労働省幹部は「病院窓口で原則1割負担の後期高齢者の2割負担引き上げは検討せざるをえない」と話す。高齢者にも応分の負担を求めざるをえないというのだ」
まあ、これも私としては消極的に支持、認容せざるを得ないであろうものである。
学ぶべきこと・気付くべきこと・教えるべきこと…は多々、あろう。
まずは(後期)高齢者の立場について。医療費負担が増える可能性があり、自分の生存のためにはどこかしらから資源を調達する必要がある―または、調達できることが望ましい。
これを、それを直接支える現行勤労世代(中後期)―なぜなら、この世代の親が丁度後期高齢者、ないしそこに差し掛かるくらいだからだ―としては、この”さらなる負担”にしり込みし、できれば回避したいと思うことであろう。あるいは、親の面倒をみるために追加の資源調達に迫られる。
で。
親の面倒をみることをもののついでで回避してしまおうとする世帯が発生することであろう。合理的である。
まあ、その、比較級的であれ裕福な世帯であろうとも、”ちょっとした生活扶助”で月2~3万、年間24~36万を実家ないし親に提供するというのは、まあまあキッツイ―というか、家族4~5人での軽いバカンス二度に相当するだろう。そうした生活の豊かさと引き換えに得られる利得は、と思えば、まあ”親を捨てる”のは合理的な選択の一つである。
―それで失われる名声ということもあるが、それとかなりの額の金銭とを天秤にかけるわけである。
さて、この状態で”親の面倒を見る”選択をする場合。対応は分岐する。
自前で(十分な給料の)職を持っている場合。まあ、年間50万も親に出しておけば、年金と貯蓄とあわせて、そりゃまあ何とかなるであろう。例の「2000万」とそこそこ整合的な数字である(50万×20年=1000万)。
さて、自前の給料がない場合。それでもともかく「親の面倒を見る」とかなんとかのためにカネが必要であり、そこで『まあteiresias先生! 先生は次男なんですか! なら親の面倒をみなくていいんですよね! じゃあ私と私の親の老後の生活を保障してください!』と訴えてくるような選択が現実味を帯びる。
…いや、分るよ? 言いたいことは分るんだ。だけどあなた、いつ私の兄に連絡とったの? ウチの兄はいつ宗旨替えしたの? 兄嫁の説得はできたの?
まあしかし、せっかく貴重な我が身を資源として婚活市場に打って出る以上、最大限の利得を得ようとするのは当然のことで、ダンナ側一族の付き合いなんぞ知ったこっちゃないというのは合理的な案ではある。
…しかしなあ、地元でしか生きられない地方貴族のひとが、まあ地方の馬の骨と結婚した場合、その馬の骨の親族とは切断されたいと思うのは、まあ家格的に尤もな意識ではあろうけど…それやった場合、その地方での生き残りがやや危うくなるのじゃないか…?
つまりここに見える問題は、勤労者世代の収入の低下なのだ。並の親戚づきあいをする程度の収入があるかどうか怪しいので、ダンナ方の一族を切り捨てる判断をするのが合理的になったりするのは、そりゃあ収入の少なさ・職の口の少なさが問題なのだ。
構造的な問題というべきで、個々の労働者にはなんともできないわけだが。
さて、上掲の議論だと、プレイヤーとしてあげていない層がある。義務教育世代と「若者」世代、そして前期高齢者世代である。「若者」世代―現行の高校生~大学生、就職後1-3年くらいを概ね意図しているだろうか、この人たちの利害は、まあ、同様に上掲の議論で主たるプレイヤーとしていない現行現役世代(前期)に準じると、まあ雑に考えておくことにする。義務教育世代については、さらにどうなるか分らないので除く。
…いまの一応の好景気が終わった後に就職することになりかねない、現行の高校生~大学生については、現行の現役世代(前期)とは違った意識になるかもしれないが。
でまあ、前期高齢者である。
この人たち(の一部)は、既に死んでしまった世代(後期高齢者制度運用前の世代)や、後期高齢者世代に対して「ずるい!」という意識を持っている…かもしれない。
たとえば年金。この世代くらいまでは、支払った以上の年金を受け取る組だが、それでも後期高齢者世代よりは貰いがすくない。そのため財テクなんてことを推奨されたりした世代である。しばしば失敗もしただろうが。
では、このような世代にとって”合理的”な態度とはどのようなものだろうか―。
年金額があがるように言う政党を支持する(自分の取り分を増額してくれるというわけ)、後期高齢者制度を撤廃すると主張する政党を支持する(つまり、将来的に自分が「取られる」額を減らしてくれるところ)。まずはこんなもんか。
財テクで資産を増やす―という観点からは、成長戦略を採る政党を支持する方向にいくかもしれない。しかし大多数の人々は、そうまで積極的な投機へは向かわないのではないか。外国債だのをセットにしたナントカファンドで、総資産の微増ないし微減でもたせようという戦略のほうが合理的だろう(せっかくの退職金をスる危険を思えば)。
…まあ…今回の選挙も、結果は見えているかなあという気がした昨今である。
毎日新聞 あなたの参院選 後期高齢者に「仕送り」35万円 給与天引きで自覚薄く 2019年7月10日 14時00分(最終更新 7月10日 15時19分)
「75歳以上の後期高齢者の人には1人当たり年間約91万円の医療費がかかっている。このお金は何で賄っているのだろうか」
記事タイトルとこの冒頭の書き出しで、もはや結論は予測されようと言うものである。
「さまざまな調整の仕組みを勘案して計算すると、現役世代は1人の後期高齢者に対して毎年、約35万円を「仕送り」していることになる。
日本が世界に誇る「国民皆保険制度」だが、現役世代の仕送り頼みというのが現実だ。こうした仕組みは、あなたが高齢者になる日まで続けられるのだろうか」
高齢者と現行勤労世代(中後期)、若年者世代との断絶を煽るかもしれない記事である。
「杉浦さんは「医療費があまりかからないんだから、たいした金額じゃないはず」と、普段はあまり気にしない給与明細を見て、驚いた。「健康保険」の欄にあるのは「1万7683」(円)。月収額面の5%程度だった。病院にかからない若い世代でも保険料が高いと感じるのは、医療費のかかる高齢者への「仕送り」のためだ」
…それでもなお、「我々総体」としては―と国民的な統合を私としては訴えることになる。
「厚生労働省幹部は「病院窓口で原則1割負担の後期高齢者の2割負担引き上げは検討せざるをえない」と話す。高齢者にも応分の負担を求めざるをえないというのだ」
まあ、これも私としては消極的に支持、認容せざるを得ないであろうものである。
学ぶべきこと・気付くべきこと・教えるべきこと…は多々、あろう。
まずは(後期)高齢者の立場について。医療費負担が増える可能性があり、自分の生存のためにはどこかしらから資源を調達する必要がある―または、調達できることが望ましい。
これを、それを直接支える現行勤労世代(中後期)―なぜなら、この世代の親が丁度後期高齢者、ないしそこに差し掛かるくらいだからだ―としては、この”さらなる負担”にしり込みし、できれば回避したいと思うことであろう。あるいは、親の面倒をみるために追加の資源調達に迫られる。
で。
親の面倒をみることをもののついでで回避してしまおうとする世帯が発生することであろう。合理的である。
まあ、その、比較級的であれ裕福な世帯であろうとも、”ちょっとした生活扶助”で月2~3万、年間24~36万を実家ないし親に提供するというのは、まあまあキッツイ―というか、家族4~5人での軽いバカンス二度に相当するだろう。そうした生活の豊かさと引き換えに得られる利得は、と思えば、まあ”親を捨てる”のは合理的な選択の一つである。
―それで失われる名声ということもあるが、それとかなりの額の金銭とを天秤にかけるわけである。
さて、この状態で”親の面倒を見る”選択をする場合。対応は分岐する。
自前で(十分な給料の)職を持っている場合。まあ、年間50万も親に出しておけば、年金と貯蓄とあわせて、そりゃまあ何とかなるであろう。例の「2000万」とそこそこ整合的な数字である(50万×20年=1000万)。
さて、自前の給料がない場合。それでもともかく「親の面倒を見る」とかなんとかのためにカネが必要であり、そこで『まあteiresias先生! 先生は次男なんですか! なら親の面倒をみなくていいんですよね! じゃあ私と私の親の老後の生活を保障してください!』と訴えてくるような選択が現実味を帯びる。
…いや、分るよ? 言いたいことは分るんだ。だけどあなた、いつ私の兄に連絡とったの? ウチの兄はいつ宗旨替えしたの? 兄嫁の説得はできたの?
まあしかし、せっかく貴重な我が身を資源として婚活市場に打って出る以上、最大限の利得を得ようとするのは当然のことで、ダンナ側一族の付き合いなんぞ知ったこっちゃないというのは合理的な案ではある。
…しかしなあ、地元でしか生きられない地方貴族のひとが、まあ地方の馬の骨と結婚した場合、その馬の骨の親族とは切断されたいと思うのは、まあ家格的に尤もな意識ではあろうけど…それやった場合、その地方での生き残りがやや危うくなるのじゃないか…?
つまりここに見える問題は、勤労者世代の収入の低下なのだ。並の親戚づきあいをする程度の収入があるかどうか怪しいので、ダンナ方の一族を切り捨てる判断をするのが合理的になったりするのは、そりゃあ収入の少なさ・職の口の少なさが問題なのだ。
賃金が上がらない→リタイヤできずに老後もだらだらと働き続ける→他の人の賃金も上がらないのサイクルは万国共通。最初にこれを考え出した資本家ほんと天才だわ。 https://t.co/u2EMtz0Dox
— Shen (@shenmacro) 2019年7月12日
構造的な問題というべきで、個々の労働者にはなんともできないわけだが。
さて、上掲の議論だと、プレイヤーとしてあげていない層がある。義務教育世代と「若者」世代、そして前期高齢者世代である。「若者」世代―現行の高校生~大学生、就職後1-3年くらいを概ね意図しているだろうか、この人たちの利害は、まあ、同様に上掲の議論で主たるプレイヤーとしていない現行現役世代(前期)に準じると、まあ雑に考えておくことにする。義務教育世代については、さらにどうなるか分らないので除く。
…いまの一応の好景気が終わった後に就職することになりかねない、現行の高校生~大学生については、現行の現役世代(前期)とは違った意識になるかもしれないが。
でまあ、前期高齢者である。
この人たち(の一部)は、既に死んでしまった世代(後期高齢者制度運用前の世代)や、後期高齢者世代に対して「ずるい!」という意識を持っている…かもしれない。
たとえば年金。この世代くらいまでは、支払った以上の年金を受け取る組だが、それでも後期高齢者世代よりは貰いがすくない。そのため財テクなんてことを推奨されたりした世代である。しばしば失敗もしただろうが。
では、このような世代にとって”合理的”な態度とはどのようなものだろうか―。
年金額があがるように言う政党を支持する(自分の取り分を増額してくれるというわけ)、後期高齢者制度を撤廃すると主張する政党を支持する(つまり、将来的に自分が「取られる」額を減らしてくれるところ)。まずはこんなもんか。
財テクで資産を増やす―という観点からは、成長戦略を採る政党を支持する方向にいくかもしれない。しかし大多数の人々は、そうまで積極的な投機へは向かわないのではないか。外国債だのをセットにしたナントカファンドで、総資産の微増ないし微減でもたせようという戦略のほうが合理的だろう(せっかくの退職金をスる危険を思えば)。
…まあ…今回の選挙も、結果は見えているかなあという気がした昨今である。
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