めずらしくよそ様のコメント欄に出没する私(日記)。
そんなこんなでソマリアにおけるイスラミスト団体の青年部門派生の武装過激化集団アルシャバブおよび当のイスラミスト団体(イスラム法廷連合)が別組織に発展解消したうえ方針の違いから分派し自前の武装部門を形成し一応諸派連合組織をまとめるところまでいったにもかかわらずやっぱり分派したなれの果て「イスラム党」が,『自分たちにはいわゆる外国人戦闘員がいるのである!』ということを隠さなくなった昨今ですこんにちは。
昔,『アルカイダさえソマリアに入り込めずに撤退した!』という話が流れました。
それは,それなりに真実なのだと思います。
どうしても,ソマリアの諸派の動きの背後には,大ソマリア主義の影が何らか動機として(陰陽に)働いている感じで,「ソマリ人的誇りと実益」の天秤具合の評価が各人の判断を動かしてる面があろうかと。
だからこそ,わかりやすい大敵エチオピア軍がいたころは,反政府勢力は大同団結が容易だった。『ぼくら偉大なるソマリ人の土地に,なんだってエチオピア野郎がいやがるんだ?』,やつらを追い出せ! と団結するのは難しくなかった。
最初に脱落したのは,首都のハウィエ氏族会議か。…いやほら,反政府活動やったら,自分たちの生活基盤がそのまんま破壊されたんですが。戦死してるのは自分のとこの若いのたちですが何か。いーよなエリトリアでおまんま宛がわれて『やれー,それー,そこだー,きばれー』とか言ってる連中は。
でかい動きとしては,次はソマリア再解放連盟の片割れ(Sheikh Sharif派,ジブチ派)が暫定政府に合流したことか。流石に反政府活動の結果あまりにも避難民が出まくった上,現状打開の方策が見えなくなってきたんでしょうか。
この前後からかな,新聞記事に『どうせエチオピア軍は撤退しないって! やつらを追い出すまで戦争しなきゃだめです! あと,その背後でエチオピアを動かしてたアメリカも一発くらわしてやらないと!』な発言が頻出するようになったの。
まあ妥協点としては,エチオピア軍は撤退するって言ってるし! はい調印。…そしたら,ほんとに撤退したよやつら! すごい! 平和に向かう努力って偉大だね!(※1)
そこで反政府側は『あいつらを追い出したのは俺達の英雄的武装闘争のおかげさフフンさあ次はエチオピアしたがって国際社会すなわち西洋言わんとするところはイスラムの敵アメリカの傀儡であるSheikh Sharif政府の打倒だけだぜ!』と盛り上がって,『私らが血を流して戦ってた間,アンタらどこにいたっけ? ああそう,エリトリアのホテルでアスマラ政府とご会食されてましたかそーですかそれは苦闘の歴史ですねすばらしいです』みたいな嫌味をハウィエ氏族長たちから投げかけられてたわけです。
Sheikh Sharif政権はイスラム法を国法にするなどし,イスラミスト諸派に和平への呼びかけを行いました。それに乗った形でIndha Adeや「イスラム党」一部分派は政府側に鞍替えしました(直後アルシャバブ側の大攻勢が生起してIndha Adeは再度鞍替えを余儀なくされた)。イスラム学者の連盟は和平を呼びかけますが―反政府派は,彼ら聖職者たちは大統領の命令に従っているだけの傀儡だと宣言します。
そうした中での,『我々にはいわゆる外国人戦闘員が助力している』発言です。そのことについては,ハウィエとしては芳しからぬ意見を持っているようで,それに対して武装勢力側は『彼らはイスラム教徒である。従って我々の兄弟であって,つまり外国人とみなすべきではない。外国人というのはムスリムでない者のことをいう』と説明するのです。
「「いわゆる外国人戦闘員とはイスラムの兄弟たちである!」」
「「外国人」が和平を求める勢力を攻撃する:ソマリア」
おそらく,これら「外国人」はソマリの氏族社会の中に入り込めていない。
もとは(顔役たちの)客分扱いで,そういう意味で氏族内に位置を持てたものが(だから外部からの指揮・権力系統が入り込みやすいだろうアルカイダ自体の進入は困難だったのだろう),今じゃ《名誉ソマリ同胞》として同列の兄弟と扱えと言われる。これは寧ろ,氏族社会の枠組みの危機を指し示しましょう。
端的には,以前,Hassan Turkiが『自分はアルシャバブの若者たちの族長となりたい』といった(とされる)件を思い起こしていただきたい。アルシャバブ構成員(の中核)は,つまり,氏族の枠組みを脱した人々なのであり,であればこそ歴戦の闘士Turkiがその指導者として自任したというわけでしょう。
伝統的社会を揺るがす若者パワー。
それを利用しようとする大人たち。
変革に関わる損害の大きさに悩む指導者たち。
自分の勢力が減ってどーにか復活のためのブレイクスルーはないものかと作戦を練るある種の指導者たち。
しかし根本的には『偉大なソマリ民族の偉大な土地はソマリ族だけが占有すべき場所である』,その理想を現実とどう適合させるかという問題だろう。(※2)
そうして諸勢力の結合の並べ替えが起き,ソマリ人の民族運動としての実質を相当程度減じた結果,主戦力の一翼として外国人戦闘員を認めざるを得なくなった,それが現状のソマリア反政府武装勢力の姿ではないのか。私にはそのように思われるのです。
でもそれ,ソマリ人的にどーよ。
田舎のまだしも頭が純朴な若者を動員して首都で戦闘させてるそうでしてねー。「コルセット」に経験ある外国人を使わざるをえなかったりするんではー,と思うのよねぇ。
あと,大胆な「民族」概念にもご注目。『イスラム教徒であれば兄弟であって従って外国だとかなんとか思う方が間違っている』と血脈・地縁を無視する定義を(苦し紛れにせよ)打ち出し,一方イスラム教徒であるはずのソマリ人をさっくり背教の罪で死刑にしたりイスラム法廷のツートップだったSheikh Sharifの権威を『西欧の傀儡である』の一言でカットしたり,つまり私たちはイスラム教徒だけを共に語るべき者,同胞だと考えます。その者が真に語るにたるイスラム教徒かどうかは私たちが決めますが何か?なわけですが,はあそうですかアナタ方以外には「自分はイスラム教徒である」だのなんだの自任したりする権利はありませんかそうですか。あんたがたが「そう」判断すればソマリ人たる自己認識さえ外部から否定してOKなわけですかそうですか。あなた方が認定すれば血流無視してソマリ人認定ですか便利ですね。
民族も宗教も正義も敵も,自分たちですべて設定してなおそれは神の命に基づくものと言い張れる。なんと便利な主義でしょうアルシャバブ&「イスラム党」。明確な敵がいる限りはいいですが,「そぅ」でなくなった時が見ものではありますがねえ。
流石にこれだけ毒垂れ流したのでトラックバックは自粛。
ご参照:navi-area26-10の国際ニュース斜め読み「■[アフリカ]ソマリア反政府武装勢力、南部の中核都市を占拠」
※1:そんなこと書いてたらエチオピア軍がHiran方面でソマリアに進出(22kmほど):
BBC Ethiopia troops 'back in Somalia' 19 May 2009 12:47 UK
Garowe Online Ethiopia troops enter central Somalia: Report May 19, 2009 - 3:11:28 PM
18台の軍用トラック付きでエチオピア兵がHiran県に22kmほど進出,Kala-Beyrなる交通の要路を確保。ここは南部地方とプントランド,さらには東エチオピアを結ぶ要地。塹壕を掘ったりして,わりと長めに居座りそうだというので重大注意に値する,というわけで報じられる模様。
在ベレトウェインのヒラン県イスラム法廷政権としてはエチオピアに警告を発するのですが,エチオピア側報道官はこの報道を否認する。
…どのくらいの規模,どのくらいの期間に亙って行われる作戦か? 何をして「越境」と理解されるべきなのか? トルコ―イラク国境でのいざこざを思えば,何が真に隠れも無き「越境」と見做されるのか微妙なものがあるのが理解されよう。
何らかの犯罪を犯して追われて,一歩でも「国境線」をまたいでそっちに逃れれば「ほぉら法を護る警察官さん僕を捕まえれば『国家の暴力機関』による国境侵犯だ悔しかったら来てみろ国際問題が怖くなけりゃなー♪」なんてぇ場合なら越境・国境侵犯とはみなさない(問題化しない)というわけで。
これまでも,そういえばエチオピア軍の進出は報ぜられたことがありました。
今回の進出が何を意図したものか? 今はまだ,『エチオピア軍が進出,Kala-Beyrに塹壕を構築,検問を行っている模様』程度しか分からないのであります。
まだ『犯罪容疑者拘束のためにちょっと土地と時間を借りたよー』で済ます可能性はないではない,ではあるわけです。軍用トラック18台って言われてもねぇ。ソマリア的にはそりゃ大規模軍事行動でしょうけど,いまどきふつうの軍隊はトラックに乗って移動するもんだろうに。
でもまー,反政府派に四苦八苦してるイスラム法廷勢力にしてみれば,この困った時期に余計なことすんなと怒り狂うところでしょうし,反政府派としては『アメリカの犬めがソマリ人の敵エチオピア軍を引き込みおった。これは明らかに(ry』な宣伝の種ですからねー。
※2:言わんとするところはですな。
「ソマリ人の住むところがソマリアです」で大ソマリア主義垂れ流したら(イスラム法廷政権時代),実力もなにも無視した夢物語は地域強国の手(を借りた格好のソマリア暫定政府)によって打ち崩されたわけで。
でまあ領土的に現状維持で纏まらざるを得ないとして,さしあたりエチオピア軍だけは追い出さないと気が済まない。彼らが出ていくと,ソマリ人の結合のキーワードはなんとしよう,というので結局イスラム教中心に纏まろうとシャリーア導入を議決。
そこそこ同意を得て,この方針はIndha Adeや「イスラム党」一部帰順を勝ち得る,その限り成功を収めた。
このタイミング―中核的メンバーをあらかた喪失した―で反政府武装勢力は「外国人戦闘員」の存在を公表,「ムスリムなら兄弟なので外国人っていう言い方はやめてよね。さあ,ソマリアからAMISOMを追い出そうか。西欧の傀儡政権もね」。…運動の意義が変わらんか,それ。
そんなこんなでソマリアにおけるイスラミスト団体の青年部門派生の武装過激化集団アルシャバブおよび当のイスラミスト団体(イスラム法廷連合)が別組織に発展解消したうえ方針の違いから分派し自前の武装部門を形成し一応諸派連合組織をまとめるところまでいったにもかかわらずやっぱり分派したなれの果て「イスラム党」が,『自分たちにはいわゆる外国人戦闘員がいるのである!』ということを隠さなくなった昨今ですこんにちは。
昔,『アルカイダさえソマリアに入り込めずに撤退した!』という話が流れました。
それは,それなりに真実なのだと思います。
どうしても,ソマリアの諸派の動きの背後には,大ソマリア主義の影が何らか動機として(陰陽に)働いている感じで,「ソマリ人的誇りと実益」の天秤具合の評価が各人の判断を動かしてる面があろうかと。
だからこそ,わかりやすい大敵エチオピア軍がいたころは,反政府勢力は大同団結が容易だった。『ぼくら偉大なるソマリ人の土地に,なんだってエチオピア野郎がいやがるんだ?』,やつらを追い出せ! と団結するのは難しくなかった。
最初に脱落したのは,首都のハウィエ氏族会議か。…いやほら,反政府活動やったら,自分たちの生活基盤がそのまんま破壊されたんですが。戦死してるのは自分のとこの若いのたちですが何か。いーよなエリトリアでおまんま宛がわれて『やれー,それー,そこだー,きばれー』とか言ってる連中は。
でかい動きとしては,次はソマリア再解放連盟の片割れ(Sheikh Sharif派,ジブチ派)が暫定政府に合流したことか。流石に反政府活動の結果あまりにも避難民が出まくった上,現状打開の方策が見えなくなってきたんでしょうか。
この前後からかな,新聞記事に『どうせエチオピア軍は撤退しないって! やつらを追い出すまで戦争しなきゃだめです! あと,その背後でエチオピアを動かしてたアメリカも一発くらわしてやらないと!』な発言が頻出するようになったの。
まあ妥協点としては,エチオピア軍は撤退するって言ってるし! はい調印。…そしたら,ほんとに撤退したよやつら! すごい! 平和に向かう努力って偉大だね!(※1)
そこで反政府側は『あいつらを追い出したのは俺達の英雄的武装闘争のおかげさフフンさあ次はエチオピアしたがって国際社会すなわち西洋言わんとするところはイスラムの敵アメリカの傀儡であるSheikh Sharif政府の打倒だけだぜ!』と盛り上がって,『私らが血を流して戦ってた間,アンタらどこにいたっけ? ああそう,エリトリアのホテルでアスマラ政府とご会食されてましたかそーですかそれは苦闘の歴史ですねすばらしいです』みたいな嫌味をハウィエ氏族長たちから投げかけられてたわけです。
Sheikh Sharif政権はイスラム法を国法にするなどし,イスラミスト諸派に和平への呼びかけを行いました。それに乗った形でIndha Adeや「イスラム党」一部分派は政府側に鞍替えしました(直後アルシャバブ側の大攻勢が生起してIndha Adeは再度鞍替えを余儀なくされた)。イスラム学者の連盟は和平を呼びかけますが―反政府派は,彼ら聖職者たちは大統領の命令に従っているだけの傀儡だと宣言します。
そうした中での,『我々にはいわゆる外国人戦闘員が助力している』発言です。そのことについては,ハウィエとしては芳しからぬ意見を持っているようで,それに対して武装勢力側は『彼らはイスラム教徒である。従って我々の兄弟であって,つまり外国人とみなすべきではない。外国人というのはムスリムでない者のことをいう』と説明するのです。
「「いわゆる外国人戦闘員とはイスラムの兄弟たちである!」」
「「外国人」が和平を求める勢力を攻撃する:ソマリア」
おそらく,これら「外国人」はソマリの氏族社会の中に入り込めていない。
もとは(顔役たちの)客分扱いで,そういう意味で氏族内に位置を持てたものが(だから外部からの指揮・権力系統が入り込みやすいだろうアルカイダ自体の進入は困難だったのだろう),今じゃ《名誉ソマリ同胞》として同列の兄弟と扱えと言われる。これは寧ろ,氏族社会の枠組みの危機を指し示しましょう。
端的には,以前,Hassan Turkiが『自分はアルシャバブの若者たちの族長となりたい』といった(とされる)件を思い起こしていただきたい。アルシャバブ構成員(の中核)は,つまり,氏族の枠組みを脱した人々なのであり,であればこそ歴戦の闘士Turkiがその指導者として自任したというわけでしょう。
伝統的社会を揺るがす若者パワー。
それを利用しようとする大人たち。
変革に関わる損害の大きさに悩む指導者たち。
自分の勢力が減ってどーにか復活のためのブレイクスルーはないものかと作戦を練るある種の指導者たち。
しかし根本的には『偉大なソマリ民族の偉大な土地はソマリ族だけが占有すべき場所である』,その理想を現実とどう適合させるかという問題だろう。(※2)
そうして諸勢力の結合の並べ替えが起き,ソマリ人の民族運動としての実質を相当程度減じた結果,主戦力の一翼として外国人戦闘員を認めざるを得なくなった,それが現状のソマリア反政府武装勢力の姿ではないのか。私にはそのように思われるのです。
でもそれ,ソマリ人的にどーよ。
田舎のまだしも頭が純朴な若者を動員して首都で戦闘させてるそうでしてねー。「コルセット」に経験ある外国人を使わざるをえなかったりするんではー,と思うのよねぇ。
あと,大胆な「民族」概念にもご注目。『イスラム教徒であれば兄弟であって従って外国だとかなんとか思う方が間違っている』と血脈・地縁を無視する定義を(苦し紛れにせよ)打ち出し,一方イスラム教徒であるはずのソマリ人をさっくり背教の罪で死刑にしたりイスラム法廷のツートップだったSheikh Sharifの権威を『西欧の傀儡である』の一言でカットしたり,つまり私たちはイスラム教徒だけを共に語るべき者,同胞だと考えます。その者が真に語るにたるイスラム教徒かどうかは私たちが決めますが何か?なわけですが,はあそうですかアナタ方以外には「自分はイスラム教徒である」だのなんだの自任したりする権利はありませんかそうですか。あんたがたが「そう」判断すればソマリ人たる自己認識さえ外部から否定してOKなわけですかそうですか。あなた方が認定すれば血流無視してソマリ人認定ですか便利ですね。
民族も宗教も正義も敵も,自分たちですべて設定してなおそれは神の命に基づくものと言い張れる。なんと便利な主義でしょうアルシャバブ&「イスラム党」。明確な敵がいる限りはいいですが,「そぅ」でなくなった時が見ものではありますがねえ。
流石にこれだけ毒垂れ流したのでトラックバックは自粛。
ご参照:navi-area26-10の国際ニュース斜め読み「■[アフリカ]ソマリア反政府武装勢力、南部の中核都市を占拠」
※1:そんなこと書いてたらエチオピア軍がHiran方面でソマリアに進出(22kmほど):
BBC Ethiopia troops 'back in Somalia' 19 May 2009 12:47 UK
Garowe Online Ethiopia troops enter central Somalia: Report May 19, 2009 - 3:11:28 PM
18台の軍用トラック付きでエチオピア兵がHiran県に22kmほど進出,Kala-Beyrなる交通の要路を確保。ここは南部地方とプントランド,さらには東エチオピアを結ぶ要地。塹壕を掘ったりして,わりと長めに居座りそうだというので重大注意に値する,というわけで報じられる模様。
在ベレトウェインのヒラン県イスラム法廷政権としてはエチオピアに警告を発するのですが,エチオピア側報道官はこの報道を否認する。
…どのくらいの規模,どのくらいの期間に亙って行われる作戦か? 何をして「越境」と理解されるべきなのか? トルコ―イラク国境でのいざこざを思えば,何が真に隠れも無き「越境」と見做されるのか微妙なものがあるのが理解されよう。
何らかの犯罪を犯して追われて,一歩でも「国境線」をまたいでそっちに逃れれば「ほぉら法を護る警察官さん僕を捕まえれば『国家の暴力機関』による国境侵犯だ悔しかったら来てみろ国際問題が怖くなけりゃなー♪」なんてぇ場合なら越境・国境侵犯とはみなさない(問題化しない)というわけで。
これまでも,そういえばエチオピア軍の進出は報ぜられたことがありました。
今回の進出が何を意図したものか? 今はまだ,『エチオピア軍が進出,Kala-Beyrに塹壕を構築,検問を行っている模様』程度しか分からないのであります。
まだ『犯罪容疑者拘束のためにちょっと土地と時間を借りたよー』で済ます可能性はないではない,ではあるわけです。軍用トラック18台って言われてもねぇ。ソマリア的にはそりゃ大規模軍事行動でしょうけど,いまどきふつうの軍隊はトラックに乗って移動するもんだろうに。
でもまー,反政府派に四苦八苦してるイスラム法廷勢力にしてみれば,この困った時期に余計なことすんなと怒り狂うところでしょうし,反政府派としては『アメリカの犬めがソマリ人の敵エチオピア軍を引き込みおった。これは明らかに(ry』な宣伝の種ですからねー。
※2:言わんとするところはですな。
「ソマリ人の住むところがソマリアです」で大ソマリア主義垂れ流したら(イスラム法廷政権時代),実力もなにも無視した夢物語は地域強国の手(を借りた格好のソマリア暫定政府)によって打ち崩されたわけで。
でまあ領土的に現状維持で纏まらざるを得ないとして,さしあたりエチオピア軍だけは追い出さないと気が済まない。彼らが出ていくと,ソマリ人の結合のキーワードはなんとしよう,というので結局イスラム教中心に纏まろうとシャリーア導入を議決。
そこそこ同意を得て,この方針はIndha Adeや「イスラム党」一部帰順を勝ち得る,その限り成功を収めた。
このタイミング―中核的メンバーをあらかた喪失した―で反政府武装勢力は「外国人戦闘員」の存在を公表,「ムスリムなら兄弟なので外国人っていう言い方はやめてよね。さあ,ソマリアからAMISOMを追い出そうか。西欧の傀儡政権もね」。…運動の意義が変わらんか,それ。
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