「リビア:コミケの強制停止事件」について
あいにく、演劇団体は昔、(ごく一部であれ)左翼運動家の巣窟だったりした歴史があるわけで、そこを衝かれると弱い点が。
こっちは個人的にも血涙を流すような悔しさを感じるが、前段の歴史を思うと、付随被害が来てもおかしくないような集まりではあるな、と思う点はある。
尤も、そこまでの歴史を踏まえて忖度付託クレームがあるわけでもないだろう。
要は、「自分が理解できないもの」をなんらの情報の追加もなしに、かつ反省的な思考もなしに「理解できたことにする」過程で非常に単純な整理がなされたわけだ:
そこに留まればただの偏見で終わるところ、そこになんらかの強制力なり権力なりを関わらせた結果がしばしば観察される、と。リビアの件もその一例。
結構いるんですよ。演劇団体が公民館を使うのを快く思わない人。この世界に、お金にならないのに必死に何かやってるという事に、不気味さやカルトを連想して忌み嫌ったりばかにしたりする人もいる。そんな人たちに、共謀罪は警察に通報する格好の建前になるだろうなと危惧している。
— 山本健介 (@honsukesan) 2017年6月14日
あいにく、演劇団体は昔、(ごく一部であれ)左翼運動家の巣窟だったりした歴史があるわけで、そこを衝かれると弱い点が。
うちの地元では、TRPGのコンベンションが「息子が変な集会に入り浸ってる、カルト宗教かも」と言うクレームを真に受けた自民党の先生の「付託」で、公民館が貸してくれなくなった https://t.co/5okGLgIwFH
— アオイ模型:コミック1 の22b (@aoi_mokei) 2017年4月29日
こっちは個人的にも血涙を流すような悔しさを感じるが、前段の歴史を思うと、付随被害が来てもおかしくないような集まりではあるな、と思う点はある。
尤も、そこまでの歴史を踏まえて忖度付託クレームがあるわけでもないだろう。
要は、「自分が理解できないもの」をなんらの情報の追加もなしに、かつ反省的な思考もなしに「理解できたことにする」過程で非常に単純な整理がなされたわけだ:
昔校長が「勉強しないと視野が狭くなる。勉強しないと僅かな知識のみでこの世を理解しようとするせいで、ありえない仕組みを仮定して「分からない」を埋め立て始める。分からない物の多さが分からないから何でも知ってる気分になってしまう」と話してたの大人になってすごく意味がわかる。
— 最先端な思考 (@saisentan_shi) 2017年10月31日
そこに留まればただの偏見で終わるところ、そこになんらかの強制力なり権力なりを関わらせた結果がしばしば観察される、と。リビアの件もその一例。
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