空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

限度っつーもんもある

2019-09-05 16:09:40 | ノート


・限度っつーもんもあるだろ。



・そうした体験をきちんと論説にしてはいたんじゃないかなあ。だが体験自体は伝わらない。



・その非対称の犠牲者当人たちとそうした犠牲者をみていた後続たちが粛々と新時代を築きつつあるかな。

 なお「反韓」だのいう、お知識人様たちがいうような「ヘイト」なひとたち・「ネトウヨ」というのの主力は40代以降、さらにいえば50-60歳代が主力の気配がある(※弁護士懲戒祭りの件を参照)。
 そりゃそうだ、というところである。なにしろそっちのほうが人数が多いので、同じパーセンテージで発生する場合にはどっちみちそっちが数的にメインストリームになる。さらにいえば、そうした高年齢帯であっても、現代日本でいうところのいわゆるリベラル勢力は多数派ではなく、「そうではない」人々のほうが多いのだ。
 また、それ以上の世代がまあいい目を見ているような風に見える一方、「衰退国家日本」という現実を我が身でもって味わったことで、その罪を誰かに着せようとしたくなる。だから”自分(たち)以外の他者”を追及したくなるんじゃないのか、とか―だから左派は右派を、右派は左派をひたすらにしばこうとするのではないのか、などと。
 


 ええと、これは多少言いたい所があって、「現代日本でそこらでいうところの左派思想」はそんなもんだが、そうした組織左翼の思想を基盤にしたいわゆるリベラルのひとびととは別の左翼的思想―自由主義思想はまた別ですよ、と付言したくはある。

 具体的には私。慰安婦問題とライダイハン問題は同様の問題として取り扱いたい意向。例えばここが組織左派や組織左派の影響をうけた人々との差の一例。





 こういうわけだ。




 とまあ、あれこれを思うと、そりゃあ積極的に差別を更新していこうとするが如き文政権のありようは好ましくないよねえ、といわざるをえない。
 満州国の士官学校だったかな、日本人学生が「…規定では日本人学生にはコメ、満州人にはなれてる食い物ってことでコーリャンとかってなってるけど、同じ学校の同じ学生なんだから、同じ食い物を食うべきなんじゃないのかな」と運動した―なんてエピソードがあったと記憶する。つまり、そうした差別がのさばっていたわけだが、同僚に対する同志愛は発揮されつつあったというわけだ。
 さあ、「謝っても謝ったことにならない」とする人々と、「学友なんだから同じ釜のメシ、くうべや」という人々と、どっちが融和的かといえば、そりゃあこの侵略国家大日本帝国の走狗たる士官学校生徒のほうが遥かに人間的に融和的ですわな。「上から目線じゃねえか」という批判はこのばあい、どっちもどっちなので却下できるだろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フラジリスタの類 | トップ | 「お前がオレをあんまり怒ら... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ノート」カテゴリの最新記事