朝日新聞 「同性婚支持するケーキ」拒否は差別でない 英最高裁 ロンドン=下司佳代子2018年10月12日06時32分
「同性婚を支持するメッセージが込められたケーキ作りをケーキ店が拒めるかが問われた裁判で、英国の最高裁判所は10日、拒むのは差別ではないとする判決を出した。言論や良心の自由を守る判断として店側は歓迎する一方で、原告の男性は同性愛者への悪影響を懸念している」
…うん、『同性愛者ってのは、自分の主張が容れられないと裁判にかけてでも相手をしばく、そんな乱暴な人たちなんですよー』という偏見が広まりかねない。間違いなく悪影響がある。
「同性愛の活動家の男性が、砂糖の飾りで「同性婚に支援を」と書かれたケーキを注文したところ、店側は「店の宗教的信条と一致しない」として断った。男性は性的指向や政治的信条に基づく差別だとして提訴」
ムスリムの肉屋に「豚ロース500gね☆」とか、ヒンドゥーの肉屋に「牛肉のいいのを300gほど」とか注文した場合、それらの注文を受けない自由は肉屋にあるかどうか。あるべきかなあ、と思われる。勿論、客のためだとして仕入れるムスリム・ヒンドゥーがいても構わない。
「最高裁は「(店の)異議はケーキに書かれるメッセージに対してであり、男性個人に対してではない」として、男性の性的指向に対する差別ではないと判断した」
まあ、これが妥当な判断というあたりなのでは。
さて
「男性の訴訟費用約25万ポンド(約3700万円)は、人種や年齢、宗教、性をめぐる差別の撤廃や被差別者の保護に取り組む公的機関「北アイルランド平等委員会」が支払った。訴訟費用に巨額の公費が投じられたことについて、是非をめぐる議論も起きている」
ということで、この同性愛のひとの喧嘩の費用は公的なお金で賄われていたと伝えられる。
もちろん、極少数派のひとたちの権利が無闇に侵害される場合、この人々を守るための資源は公的に賄われるのが筋だろう。なぜなら、こうした極少数派のひとたちは、しばしば資金に難を持つだろうからだ。例えば信号機の発色。色盲の人々も安全に町を歩けるように、信号機の発色方法については公的なシステムによって改善されるべきだ。
ところがこのように、事実上そこらの一般のケーキ屋のおっちゃんをシバくためだけに売られた喧嘩の費用まで公的に賄われるべきだろうか? だってLGBT差別がいけないことだという広報は別予算でなされているわけで、あえてそこらの頑迷なカトリックのひとりをつるし上げて『差別主義者はこうなるんだ(オレに差別と思われるようなことをするな)』という広告を立てる意味はあまりない。
…そういう運動の最初期なら意義はあるだろうけれど。
朝日新聞 同性婚のウェディングケーキ作り、信仰理由に拒否可能か ワシントン=鵜飼啓2017年12月7日18時31分
「カップル側は、ケーキ作りを拒んだのは、商品やサービスの提供の際に性的指向などによる差別を禁じる州法の違反だとして公民権委員会に申し立てた。第一審の行政裁判所は「差別」と認定。店主側は控訴したが、第二審でも「差別」との判決が維持された」
もはやゲイは市民権を得ており、これに対して「君、あるいは君たちがそうであることを私は止めることはできないが、しかし私個人はそれを祝福はできない」ということを敢えて言うのは、初期のゲイ・カムアウトにも匹敵するような気概を要求されるような時代になりつつある、ということだろう。
朝日新聞 同性婚のケーキ作り拒否 米最高裁が「差別」判決を破棄 ニューヨーク=鵜飼啓2018年6月5日22時33分
「この裁判は、同性愛者の権利擁護と表現や信教の自由のどちらが優先されるかに注目が集まっていた」
ちと筋が簡略化されすぎている。あるstrictなクリスチャンが、自分の仕事は神によって招かれたものだと信じ、その信仰体系のうちで仕事をする権利は認められるべきだ。だから、このひとがゲイウェディング・ケーキを作れないのはかまわない。これによって彼はそのケーキのぶんの売り上げを失うが、内心の信仰を守る。
ゲイカップルは、このある店では拒絶されたが、より信仰の薄い店を選んで注文することができる。
問題はここで、いかなる店においてもゲイウェディング・ケーキを作ってもらえないばあい、これはゲイに対する差別だろう。しかしたまたま入った店でたまたま拒絶されたからといって、いちいち差別を言い立てるのは思想の強要になろう。
「最高裁は公民権委員会の審理過程で、委員が信教の自由への反感を示していたと指摘。店主側の信教の自由に基づいた主張が公正に扱われなかったとして、宗教や言論の自由を定めた憲法修正第1条に違反したとし、原判決を破棄した」
―同性愛に、個人的には我が思想信条から反対だ、という権利は、まあ自由のうちだろう。それを他人に強要する権利はないが。
「同性婚を支持するメッセージが込められたケーキ作りをケーキ店が拒めるかが問われた裁判で、英国の最高裁判所は10日、拒むのは差別ではないとする判決を出した。言論や良心の自由を守る判断として店側は歓迎する一方で、原告の男性は同性愛者への悪影響を懸念している」
…うん、『同性愛者ってのは、自分の主張が容れられないと裁判にかけてでも相手をしばく、そんな乱暴な人たちなんですよー』という偏見が広まりかねない。間違いなく悪影響がある。
「同性愛の活動家の男性が、砂糖の飾りで「同性婚に支援を」と書かれたケーキを注文したところ、店側は「店の宗教的信条と一致しない」として断った。男性は性的指向や政治的信条に基づく差別だとして提訴」
ムスリムの肉屋に「豚ロース500gね☆」とか、ヒンドゥーの肉屋に「牛肉のいいのを300gほど」とか注文した場合、それらの注文を受けない自由は肉屋にあるかどうか。あるべきかなあ、と思われる。勿論、客のためだとして仕入れるムスリム・ヒンドゥーがいても構わない。
「最高裁は「(店の)異議はケーキに書かれるメッセージに対してであり、男性個人に対してではない」として、男性の性的指向に対する差別ではないと判断した」
まあ、これが妥当な判断というあたりなのでは。
さて
「男性の訴訟費用約25万ポンド(約3700万円)は、人種や年齢、宗教、性をめぐる差別の撤廃や被差別者の保護に取り組む公的機関「北アイルランド平等委員会」が支払った。訴訟費用に巨額の公費が投じられたことについて、是非をめぐる議論も起きている」
ということで、この同性愛のひとの喧嘩の費用は公的なお金で賄われていたと伝えられる。
もちろん、極少数派のひとたちの権利が無闇に侵害される場合、この人々を守るための資源は公的に賄われるのが筋だろう。なぜなら、こうした極少数派のひとたちは、しばしば資金に難を持つだろうからだ。例えば信号機の発色。色盲の人々も安全に町を歩けるように、信号機の発色方法については公的なシステムによって改善されるべきだ。
ところがこのように、事実上そこらの一般のケーキ屋のおっちゃんをシバくためだけに売られた喧嘩の費用まで公的に賄われるべきだろうか? だってLGBT差別がいけないことだという広報は別予算でなされているわけで、あえてそこらの頑迷なカトリックのひとりをつるし上げて『差別主義者はこうなるんだ(オレに差別と思われるようなことをするな)』という広告を立てる意味はあまりない。
…そういう運動の最初期なら意義はあるだろうけれど。
朝日新聞 同性婚のウェディングケーキ作り、信仰理由に拒否可能か ワシントン=鵜飼啓2017年12月7日18時31分
「カップル側は、ケーキ作りを拒んだのは、商品やサービスの提供の際に性的指向などによる差別を禁じる州法の違反だとして公民権委員会に申し立てた。第一審の行政裁判所は「差別」と認定。店主側は控訴したが、第二審でも「差別」との判決が維持された」
もはやゲイは市民権を得ており、これに対して「君、あるいは君たちがそうであることを私は止めることはできないが、しかし私個人はそれを祝福はできない」ということを敢えて言うのは、初期のゲイ・カムアウトにも匹敵するような気概を要求されるような時代になりつつある、ということだろう。
朝日新聞 同性婚のケーキ作り拒否 米最高裁が「差別」判決を破棄 ニューヨーク=鵜飼啓2018年6月5日22時33分
「この裁判は、同性愛者の権利擁護と表現や信教の自由のどちらが優先されるかに注目が集まっていた」
ちと筋が簡略化されすぎている。あるstrictなクリスチャンが、自分の仕事は神によって招かれたものだと信じ、その信仰体系のうちで仕事をする権利は認められるべきだ。だから、このひとがゲイウェディング・ケーキを作れないのはかまわない。これによって彼はそのケーキのぶんの売り上げを失うが、内心の信仰を守る。
ゲイカップルは、このある店では拒絶されたが、より信仰の薄い店を選んで注文することができる。
問題はここで、いかなる店においてもゲイウェディング・ケーキを作ってもらえないばあい、これはゲイに対する差別だろう。しかしたまたま入った店でたまたま拒絶されたからといって、いちいち差別を言い立てるのは思想の強要になろう。
「最高裁は公民権委員会の審理過程で、委員が信教の自由への反感を示していたと指摘。店主側の信教の自由に基づいた主張が公正に扱われなかったとして、宗教や言論の自由を定めた憲法修正第1条に違反したとし、原判決を破棄した」
―同性愛に、個人的には我が思想信条から反対だ、という権利は、まあ自由のうちだろう。それを他人に強要する権利はないが。
これは完全に市民団体によるケーキ職人イジメだよなぁ・・・
— 擲弾兵 (@tekidanhei) 2018年8月25日
人権を振りかざす連中が自分たちに賛同しない一般市民を徹底的に排除にかかるという好例。https://t.co/R5rh55Ffwl
補足しておくとこの人、同性愛カップルのウェディングケーキ拒否の訴訟について最高裁で勝訴していいる。
— 擲弾兵 (@tekidanhei) 2018年8月25日
その上で原告はほぼ同様のケースを持ち込んで訴訟している点で、法治主義に真っ向から喧嘩を売っている訴訟でもある。しかも被告席に立たされるのは一介の年老いたケーキ屋さん。
連邦最高裁の判決なんて知ったこっちゃない、「悪」の差別主義者は心が折れるまで法廷に引きずり込むという「正義」の熱い思いを感じますね。
— トイレスタンプ香りジェル (@Conscript1942) 2018年8月25日
「同性婚ケーキ」拒否の店主、トランスジェンダーと再び裁判沙汰に https://t.co/l44CIDy6dK
— トイレスタンプ香りジェル (@Conscript1942) 2018年8月25日
宗教上の理由で同性婚ケーキの依頼を拒否して連邦最高裁に認められたケーキ屋、昨年トランスジェンダーの弁護士の依頼を拒否した為にまた裁判。2012年から裁判してたのでこの弁護士はわざと依頼してますね。
Tはともかく、LGBについては生来そうなのであって、「なれ」「やめろ」という命令はそもそもそぐわない、という理解は共有される…と思う(Tの場合は手術やホルモン治療が入る場合、これ自体についてはやめろだのという命令が可能だ―していいかどうかの判断はさておき)。
…そうした異例な命令が発生するほどに人権侵害状況があったので、その是正命令であるというわけだ。
したがって、是正のための(場合によっては具体的な)手段処置がなされねばならない、ということになる。
この強度の妥当性、どの地点・時点でどれだけ起こってしかるべきかというのは、
…ここまで来ると、民主的な合議の話になっちゃう、というのが私の理解かな。
しかし、どこに、どの時点で設置するか。
この問題の時点で時間と空間との「折衝」が始まってしまう。
予算の問題もある。
「今現在、設置場所を議論している当事者」の見解が強く出すぎることになりかねない。
…ので、諸種の妥協案としての「多目的トイレ」が広く受容されるのは、諸種の限界・条件から、まあやむを得ない妥協点だろう…と。