空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

「男社会の底辺」たる弱者男性は二重の排除におかれている

2018-10-13 13:59:43 | ノート


 これは、それはそれでそれなりに正しい:「どんな男性であれ、男の子はみな男性特権を持っている」。

 但し同時に、そんな(ある種の)男性を「悪者扱いし、」(ある種の)男「性の運動を簒奪し、無効化し、」(ある種の)男「性たちを黙らせる」ことが行われている、という感覚はある。男性を一様化しすぎているのだ。そこで分析を加え



 とも言われる。



 でまあ、女性が配慮されるようになって久しいことも加味しましょうか、ということを言われているのだ。



 いやこの「親しい女性との会話ですら自分が「怖い」と思われている可能性については、僕も最近まで無自覚でした」ほどの鈍感さには、ちょっと危惧を覚える。大丈夫か。かなりセクハラおっさんの感覚に近いぞ、気付いただけかなりマシだが。



 これは急ぎすぎて構文が壊れているが、「(一部)男性が女性側からどう思われるか、女性側への配慮について異常なほど気遣っていることについて」といった意味。具体的には



 ということである。キモオタと呼ばれるような種族は社会の片隅で、できるだけ強者女性様に見咎められないようになんとか生き延びさせていただけるようにいるのだ、という現実。

 できるだけ目障りにならないようにします、できるだけ物理的害がないようにします、できるだけ離れて生きます、ですからなんとか、もらった多少の給料で多少の娯楽を得て細々と生きることくらいは許してもらえませんか―。

 …ところがオタ趣味が経済的に間に合うものになり、アニメ絵などがメジャーに進出していって、そこで強者女性様の見咎めるところになってしまったりするのは―これは強者男性様とか強者女性様とかの経済活動の領分に属するのであって、キモオタ組にはそうまで関係ないんじゃないですかね?! というような。

 で、我々弱者男性の扱われ方は


 とまあ、強者らしいひとから犯罪者予備軍扱いされ、さっさと消えろという熱い言葉をかけられるのである。



 ここで「女たち」だけが「強者男性しか男性の範疇として見ないんだな」という問題を考えてみよう。いや実は先の引用群からも推察されるとおり、強者男性も弱者男性を男性の範疇に微妙に入れてない。

 いや、便利に出し入れしているのだ。

 このtweetを参照しよう:



 この際、問題を例の医大の件に限れば話はよりヴィヴィッドにわかるだろう。

 あれは単純化していえばこういうことだった:『偏差値65の大学を受験した受験生のうち、男子は63でも通るが、女子は67でないと通らない』。労働者として使い勝手が悪いから、と「女性の方が見下され惨めな思い」をした偏差値65~66の女子たちがいたわけである。この場合、「弱いオス」は偏差値63~64であって、「いやそれむっちゃ強えだろ」と突っ込みをいれられているのだ。

 なお大学受験一般についても結局同様。まあ、大学受験一般にまで話を広げれば、女性の権利保護・伸張が正解一択といってよい。秋田の女子進学率がやたら悪すぎるとか、そりゃ問題なのである。しかしそれでも、大学に入れない水準の男性に向かって



 と、発言権さらっとまるっと否定発言かまされたら、『…女って、女であるだけで発言、拾ってもらえるのかなあ。少なくとも、黙れといわれたら、それ女性差別だよって言い返すことはできるかもなあ…』とか、思う自由は欲しいかなあ…と思うんじゃないかな。



 つまりここには二重の排除がある。

 男女・強弱の軸で分ければ、強者男性と弱者男性とがあり、強者女性と弱者女性とがある。

 社会全体は(強者)男性に支配されているとし、(強者+弱者)女性は異議申し立てを行う。ここで既に、弱者男性層は強者男性層および強者女性層によって支配され、収奪され―侮蔑されるかもしれない―存在だということが見える。なにしろ末端労働者ではあるし、言論等々におけるプレゼンスもない。だから「イシキタカイ」ひとたちへの恨み言も出る。

 他方、弱者女性はこのスキームでは多少の取り分の増加を見込める。少なくとも、自分の不幸の理由を男性社会による収奪と定義し、この不正を正して自分たちへの分配を強化しろ、と要求できるからだ。

 この際、弱者男性には取り分の増加は見込めない。なぜなら、男性であるからには(強者)男性との「共犯者」関係にあり、総体としての男性層として女性に対する収奪、攻撃を行っているものであり、むしろ女性への分配を大きくするため、資源を放出すべきものとされるからだ。しかもそれは、「意識の高い」強者男性からも正当化される:”我々男性は、これまでの女性の不当な取り扱いを正さねばならない、そのため―”。そしてこの大義を理解せぬ無教養・無知な存在として弱者男性は排除さえされる、「ほんとに惨めだね 早く消えればいいのに」。

 こうして、(強者+弱者)女性からは「男性である」ということで排除され、強者男性ないし(強者女性もふくむ)強者層からは経済的に従属状態におかれたうえ、女性解放と言う正義を理解しない無知無教養の「男社会の底辺」として排除される存在としての弱者男性という存在が浮かび上がる。

 この弱者男性が弱者女性と連帯しないのか?というと、このスキームでは原理的にありえないことになる。なぜなら、弱者女性はその弱体な地位の理由を女性差別に求めて異議申し立てすることを倫理的に認められるが、弱者男性が異議申し立てすることは1) 男性であり、2) それなのに弱者になったのはその無能による自業自得である…などという理由から許されないからだ。

 これが「弱いオスはそこらへんの女よりも惨めだぞ」という嘆きの言葉の背景の理屈である。



 ちなみに私はもともと「弱いオス」であるが、一応学者として給料を貰い、認知も得られた点では多少なりと強者になったものであり、まあ”お眼鏡にかなう”ようにもなったのだろう。そうした元「弱いオス」がどのようなものと見做されていたのか―ということについては

zakzak ここらで和解して幸せになりませんか?アラサー女子。 投稿日時 - 2010-12-02 14:40:57

 このように「和解」の対象であるということは、それ以前はどう見做されていましたかね、という話。
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