車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 島根県飯南町&旧赤来町

2018年08月20日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

飯石郡(いいしぐん)飯南町(いいなんちょう)は島根県の中南部、広島県との県境と中国山地の脊梁部に位置し、町内の約9割を山林・原野が占める町です。 2005年1月1日に、飯石郡頓原町・赤来町が合併して発足しました。
平坦地の標高は約450mで、県内でも代表的な高原地帯であり、町全域が豪雪地帯となっています。「町の木:ブナ」「町の花:ボタン」を制定。

キャッチフレーズは「小さな田舎(まち)からの「生命地域」宣言 ”いのち彩る里 飯南町”」

飯南町下赤名、備後・石見・出雲三国境の683メートルの山頂に位置する赤穴瀬戸山城(あかなせとやまじょう)登山道案内図。

町章は2005年元旦の制定で、「飯南町の頭文字である「i」(人間)をモチーフに、赤来と頓原のふたつのまちがしっかりと腕を組み、和と団結を図ると共に、自然と人間味の溢れるみずみずしい「いのち彩る里」を作っていこうとする姿勢を表しています」HPより

飯南町マスコットキャラクター『い~にゃん』は、飯南町の森に暮らすメタボ気味の猫君。ナ行の発音が苦手なせいで、話す時に「~にゃ」を多用する為、特に猫好きから愛されているそうです(笑)

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旧飯石郡赤来町(あかぎちょう)は島根県の中南部、山間部に位置した町です。町域には、島根県一の栽培面積を誇る「赤名観光ぼたん園」があり、季節には多くの観光客で賑わいます。

明治22年(1889)、町村制の施行により飯石郡赤名村・来島村が発足。

1934年、赤名村が町制を施行、飯石郡赤名町が発足。

1957年、飯石郡赤名町、来島村が合併、飯石郡赤来町が発足。

2005年、飯石郡頓原町と合併、飯石郡飯南町となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:ボタン」が描かれています。

昭和34年5月制定の町章は「頭文字の片仮名「ア」を図案化したもの」です。

撮影日:2015年4月22日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧瑞穂町(邑南町)

2018年08月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧邑智郡瑞穂町(みずほちょう)は島根県の中部に位置し、全域が豪雪地帯に指定された町です。町域には「オオサンショウウオ」が今も生息しており、上亀谷地区の「ハンザケ(オオサンショウウオ)観察舎」で、その生態が観察できます。「町の木:桜」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、邑智郡出羽村(いずわむら)高原村・田所村が発足。

1955年、邑智郡出羽村と高原村、田所村が合併、改めて邑智郡出羽村が発足。

1957年、出羽村が町制を施行・改称して邑智郡瑞穂町となる。

2004年、邑智郡羽須美村・石見町と合併、邑智郡邑南町となりました。

マンホールには「町章と稲穂」、「町の花・サツキ」が描かれています。(邑南町立 瑞穂小学校近くの歩道に設置。)

昭和39年8月19日制定の町章は「中心の「円」に「稲束」で生産性を表しています。」

撮影日:2015年4月18日

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旧邑智郡羽須美村(はすみむら)は、JR西日本三江線沿いに位置した村です。 村名は、合併した二つの村名からそれぞれ一文字を取り、「美」を加えました。

明治22年(1889)、町村制の施行により邑智郡口羽村・阿須那村が発足。

1957年、邑智郡口羽村、阿須那村が合併、邑智郡羽須美村が発足。

2004年10月1日 - 邑智郡瑞穂町・石見町と合併、邑南町となりました。

(※)旧邑智郡羽須美村は未訪問の為、マンホール画像はありません。

 

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ご当地マンホールin島根県邑南町・旧石見町

2018年08月17日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

邑智郡邑南町(おおなんちょう)は島根県の中部、広島県との境に位置する町です。県内で最も面積が広い町ですが、全域が豪雪地帯に指定されています。2004年10月1日、邑智郡石見町・瑞穂町・羽須美村が合併して発足しました。「町の木:赤松」「町の花:桜」を制定。

キャッチフレーズは「夢響きあう 元気の郷づくり」

2004年10月1日制定の町章は、「邑南町の漢字の『邑』をモチーフに、町づくりのテーマ「和」から輪がふれあい、大きな輪を創っていくことをイメージしたデザインです。」HPより

邑南町マスコットキャラクター『オオナン・ショウ』。邑南町だけの固有種「オオナンショウウオ」の男の子。「久喜・大林銀山」で発掘された銀の王冠と、邑南町の刀工「出羽直綱」が作った刀を持って、町のPRに励んでいます。で・・・・これがどうしても某有名キャラ「な○こ」に見えてしまう事は、内緒です(笑)

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旧邑智郡石見町(いわみちょう)は島根県の中部に位置した町です。江川水系県立自然公園の「断魚渓(だんぎょけい)」に代表される豊富な自然に恵まれており、江津市桜江町とに跨った「千丈渓(せんじょうけい)」は国の名勝にも指定されています。「町の木:赤松」「町の花:菊」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により邑智郡井原村・中野村・矢上町・日貫村・日和村が発足。

1955年、邑智郡井原村、中野村、矢上町、日貫村、日和村が合併、邑智郡石見町が発足。

1958年、瑞穂町大字上田所高水地区を編入。

2004年、邑智郡羽須美村・瑞穂町と合併、邑智郡邑南町が発足しました。

マンホールには町章を中心に、「町の木:赤松」「町の花:菊」、周囲には江の川がデザインされています。

昭和32年7月26日制定の町章は「頭文字の「い」を図案化したもの」です。

撮影日:2015年4月18日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧邑智町(美郷町)

2018年08月16日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧邑智郡邑智町(おおちちょう)は島根県の中央部、中国山地を北流する江の川が大きく湾曲し、西流する地点に位置した町です。石見ワイナリー株式会社が運営する複合施設「ゴールデンユートピアおおち」や、亀村にあるアウトドア体験施設「カヌーの里おおち」などが知られていました。「町の木:カシ」「町の花:シャクナゲ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、邑智郡粕淵村・吾郷村・君谷村・沢谷村・浜原村が発足。

1947年、粕淵村が町制を施行、邑智郡粕淵町が発足。

1955年、粕淵町、吾郷村、君谷村、沢谷村、浜原村が合併、邑智郡邑智町が発足。

2004年、邑智郡大和村と合併、邑智郡美郷町となりました。

マンホールには「江の川のカヌー」と「ゴールデンユートピアおおち」が描かれています。(ゴールデンユートピアおおち付近に設置)

舗道タイル「ゴールデンユートピアおおち」

舗道タイル「江の川カヌー」

昭和33年10月制定の町章は「「邑」を図案化し、周囲の円は融和と発展を表したもの」です。

舗道タイル「町の花:シャクナゲ」

舗道タイル「江の川とカワセミ」

撮影日:2015年4月20日

 

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ご当地マンホール in 島根県美郷町&旧大和村

2018年08月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

邑智郡美郷町(みさとちょう)は島根県の中央部に位置する町です。町の中心地である粕渕は中国山地を北流する江の川が大きく湾曲し、西流する地点にあって、江の川舟運の要地として栄えてきました。2004年10月1日、邑智郡邑智町と大和村が合併して発足。町名は、自然豊かな美しい故郷をいつまでも残しておきたいとの願いから決められました。「町の木:梅」「町の花:シャクナゲ」を制定。

キャッチフレーズは「水と緑 いきいき輝く 夢あふれる協働のまち」

2004年10月1日制定の町章は「みさとの「み」の文字をモチーフに、いきいき輝く人とまちの姿を、両翼を広げ力強く飛ぶ鳥の姿で表現したもの。青と緑で水と緑の「豊かな自然」を、赤い円は夢あふれる「希望」を象徴している。」公式HPより

美郷町マスコットキャラクター『みさ坊』は、永遠の生後2カ月のイノシシの子ども(うり坊)。特産品の「山くじら(イノシシ)」をモチーフに誕生しました。「山くじら」にちなんで鯨の吊りズボンを履き、帽子には、町を流れる「江の川」と「信喜橋」がデザインされています。

訪問日:2015年4月20日

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旧邑智郡大和村(だいわむら)は江の川と、今は廃線となった三江線沿いに開けた町でした。「町の木:梅」「町の花:藤」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、邑智郡都賀村・都賀行村・布施村が発足。

1957年、邑智郡都賀村、都賀行村、布施村大字村之郷・宮内・比敷が合併、邑智郡大和村が発足。

2004年、邑智郡邑智町と合併、邑智郡美郷町となりました。

(※)旧大和村は未訪問の為、マンホール等の画像は未確認です。

 

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ご当地マンホール in 島根県川本町

2018年08月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

邑智郡川本町(かわもとまち)は島根県中部の山間部に位置し、面積の約72%が山林という中山間地域です。町の中心を中国地方一の大河「江の川」が流れており、その水運により古くから栄えてきました。「町の木:モミジ」「町の花:サツキ」を制定。

旧町役場は昭和年39年4月に旧島根県合同庁舎として竣工されたもので、昭和60年8月から川本町役場庁舎として使用。2016年1月1日に旧保健所を改築した建物に移転しました。

旧町役場前にあった「邑智裁縫女学校之跡」「邑智郡役所之跡」の碑、四年後の訪問でこのように・・・植え込みの一画と共に残されました。

町内の島根県立川本高等学校が全日本吹奏楽コンクールで優勝、金賞を飾ったことから「音楽の町」を宣言。画像は1000人を収容できる大ホール「悠邑ふるさと会館」。キャッチフレーズは「緑にこだます音楽の里」

1889年、町村制の施行により、川本村・因原村の区域をもって邑智郡川本村が発足。

1927年、川本村が町制施行して、邑智郡川本町となります。

1955年、邑智郡川下村・三原村・三谷村・邇摩郡大代村と合併し、改めて邑智郡川本町が発足しました。

マンホールには音楽の町らしく「音楽の里」「五線譜と音符」、「町の花:サツキ」がデザインされています。

昭和40年4月8日制定の町章は「川本町は江の川を中心として発展しています。この風光明媚をもって知られる江の川をおいては、川本町の歴史はもとより、将来の発展も得られません。「川」と「水」をかたどって中央におき、周囲は「円満」「団結」「平和」を意味しています。」公式HPより

江の川を中心として発展してきた川本町:江の川マスコットキャラクター『サン太郎』。 改めて説明するまでもなく「オオサンショウウオ」がモデル(*^^*)

撮影日:2015年4月20日&2019年4月20日

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「道の駅:インフォメーションセンターかわもと」では、因原交流神楽大会の為に二度、車中泊をさせて頂きました。朝一で並ぶためにはどうしても前日に現地に来る必要があったのですが、おかげ様で楽しい時間を過ごす事が出来ました。お礼も兼ねて購入した「玉櫻酒造の魁」。御亭主殿いたくお気に召したそうです。車で旅をする私たちにとってこのような施設は本当に有難く大切な場所です。改めて、その節は本当に有難うございました。

 

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ご当地マンホール in 島根県旧横田町(奥出雲町)

2018年08月13日 10時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧仁多郡横田町(よこたちょう)は日本で唯一、「玉鋼(たまはがね)」を製造する「日刀保たたら」を擁した町です。1992年に開通した三井野原と坂根の間を結ぶ「三井野原道路」にある「奥出雲おろちループ」は、ちょっとした観光名所として知られています。「町の木:キャラボク」「町の花:シャクヤク」を制定。 画像は横田の中心地区にある「登録有形文化財:横田相愛教会」、すっきりと美しい建物でした。

明治22年(1889)、町村制の施行により仁多郡横田村・鳥上村・馬木村・八川村が発足。

1941年、横田村が町制を施行、仁多郡横田町となります。

1957年、仁多郡鳥上村、馬木村・、八川村と合併、仁多郡斐上町が発足。

1958年、仁多郡斐上町が改称、再び仁多郡横田町となります。

2005年、仁多郡仁多町と合併、仁多郡奥出雲町が発足しました。

マンホールには「船通山」「斐伊川」と、ここで退治されたと云う「八岐大蛇」がデザインされています。

農業集落排水のマンホールには「雲州そろばん」と「町の花:シャクヤク」が描かれています。横田町は「現代日本そろばん発祥地」だそうで、雲州そろばんの生産額は全国シェアの70%を占めています。

昭和34年7月制定の町章は「「よ」を鳩の形に図案化したもの」です。

撮影日:2011年5月16日

 

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ご当地マンホール in 島根県奥出雲町&旧仁多町

2018年08月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

仁多郡奥出雲町(おくいずもちょう)は島根県の東南端に位置し、中国山地の嶺を境に鳥取県と広島県に接する町です。2005年3月31日、仁多郡仁多町と横田町が合併して発足しました。山間に位置しながらのどかな田園地帯が広がる山里の風景。それはこの一帯でたたら製鉄に必要不可欠の良質な砂鉄がとれた事に起因します。砂鉄を得るため山を削った採取跡地は棚田として活用され、「仁多米」というブランド米を生み出しました。「町の木:もみじ」「町の花:しゃくなげ」を制定。

キャッチフレーズは「心豊かで潤いと活力のあるまちづくり ようこそ奥出雲町へ! 神話とロマンの里」

2005年11月21日制定の町章は「 4つの輪は、「人・自然・伝統・未来」の融合をイメージし、集まってくる輪は、「人の和」と「自然の力」を表現しています。ここに住む人が和となって協力し、わき 立つ雲のごとく豊かな自然と歴史ある奥出雲町が、未来に向かって伸びゆく町で あるようにとの願いが込められています。」公式HPより

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旧仁多郡仁多町(にたちょう)は島根県の東南端、斐伊川(ひいかわ)の源流部近くに位置した町です。幻の黒毛和牛「仁多牛の里」として知られ、全国最良の肉用牛「第七糸桜号」が誕生したことでも知られています。「町の木:ケヤキ」「町の花:シャクナゲ」を制定。

旧キャッチフレーズは「神話とロマンの里 仁多町」

明治22年(1889)、町村制の施行により仁多郡三成町・阿井村・亀嵩村・三沢村・布勢村が発足。

1955年、仁多郡三成町、阿井村、亀嵩村、三沢村、布勢村が合併、仁多郡仁多町が発足。

2005年、仁多郡横田町と合併、仁多郡奥出雲町が発足しました。

マンホールには、国天然記念物の「鬼の舌震」と「町の花:石楠花」が描かれています。

昭和30年制定の町章は「「仁」を円形と三角形にして図案化したもの」です。

斐伊川の上流、大馬木川の2kmにわたる大峡谷「鬼の舌震(したぶるい)」は、出雲国風土記の一文にある「和仁の慕(した)ぶる」が転訛したものといわれています。美しい『玉日女命』を慕い日本海から斐伊川を遡って夜な夜な通って来た「和仁(鮫)」。ワニがどのような経緯でオニになったのか・・ちょっと気になりますね。

撮影日:2011年5月16日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧掛合町(雲南市)

2018年08月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧飯石郡掛合町(かけやまち)は島根県の内陸部、中国山脈の北側で、飯石郡のほぼ中央に位置した町です。南北に細長ぅ、東側を斐伊川水系三刀屋川が流れ南部には神戸川水系波多川が流れ、県立自然公園「龍頭八重滝」を擁する自然豊かな町です。

「町の木:ケヤキ」「町の花:サツキ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、掛合村・懸合町の区域をもって飯石郡掛合村が発足。

1951年、掛合村が多根村・松笠村と合併し、改めて飯石郡掛合村が発足。

1951年、掛合村が町制施行して、飯石郡掛合町となります。

1955年、飯石郡波多村と合併し、改めて掛合町が発足。

2004年、飯石郡三刀屋町・吉田村・大原郡大東町・木次町・加茂町と合併、雲南市が発足しました。

マンホールには県立自然公園の「龍頭が滝」と町章、周囲に「町の花:サツキ」がデザインされています。

大正2年制定の町章は「(×)は乗で掛を、(+)は加で合を意味し、掛合の町名を表しています。加乗ともに、物の増加に通じ、発展を象徴するものです。」旧公式HPより

撮影日:2015年4月22日

 

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ご当地マンホール in 島根県旧吉田村(雲南市)

2018年08月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・島根県

旧飯石郡吉田村(よしだむら)は島根県東部、中国山脈の北側に位置した村です。面積のほとんどが山林で、19世紀の後半に西洋から近代製鉄技術が導入されるまでは、たたら製鉄による日本の和鉄生産の中心地として栄えてきました。鉄とともに歩んできた風土と歴史、そして文化遺産を正しく保存し公開するため、昭和61年には「鉄の歴史村」宣言が行なわれました。「町の木:松」「町の花:ツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により飯石郡吉田村・田井村が発足。

1954年、飯石郡田井村と合併、改めて吉田村が発足。

2004年、飯石郡三刀屋町・掛合町・大原郡大東町・加茂町・木次町と合併、雲南市が発足しました。

マンホールには重要有形民俗文化財「菅谷高殿」と「村の花:ツツジ」がデザインされています。

明治22年4月1日制定の村章は「「吉田」を図案化したもので、中心の四方剣尖は発展、雄飛を表し、それを囲む4つの「吉」の図案が村民を丸く、 円満に擁し、繁栄、融和、団結を表したもの」旧公式HPより

撮影日:2015年4月22日

 

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