本芳我家に隣接するのは、本芳我家の筆頭分家「上芳我家(かみはがけ)」。文久元年(1861)、内子木蠟生産の最盛期に建てられた主屋や附属屋など全部で10棟の建物が現存しており、いずれも重要文化財に指定されています。
残念なことに一帯が修理中という事でその外観も釜場などの施設も見学は出来ませんでしたが、「木蠟資料館」の方は見学可能だったので早速入館。
資料館では、木蠟生産の過程が模型や映像を使ってわかりやすく紹介されています。
命綱一本で小枝の絡まる高い木に登って櫨(はぜ)の実を採る。そうして集められた櫨の実は幾つかの過程を経て「木蝋」となります。
何の因果で はぜとりなろた 離れ小枝がおそろしい
はなれ小枝はしぼりもなるが 縄が切れたら命まで
鳥の中でも食われぬとりは ろうとりはぜとり油とり
資料館の壁に展示されていた「はぜとり節」の歌詞。危険で辛い作業であっても、生きる糧を得る為の重要な収入源であった作業。そんな状況の中で歌う一節は決して自嘲などではなく、自らを鼓舞していたと・・思いたいのです。
木蝋の生産がもたらした往時の繁栄ぶりを再現した様子が、マネキンを使って再現されています。紋付袴姿の主の服装から見て、接待されているのは商社の役人でしょうか?
当時日本の木蝋は世界的にも優れたものとして海外にも多く輸出されていたといいます。中でも内子の木蝋は、「ホワイトワックス」の名で、複数の万国博覧会において表彰されるという栄誉を受けました。
ガラスケースに蛍光灯が反射しており、決して上等とはいえない画像ですが、これを目にした時の私達の気持ちは、正直に「日本人って凄い!」😊
工事中で無ければもっと多くの資料を見ることも出来たのでしょうが、そればかりは仕方の無いこと・・・叶うならばわたしたちがまだ元気でいられるうちにもう一度・・・
訪問日:2011年6月13日