川之石雨井、内之浦公会堂から少し距離を置いた場所に「菊池庸夫邸」「西のおやけ」と呼ばれる屋敷があります。
かつて、宇和島藩きっての海運の町であった雨井地区。天保年間の頃より海運業で栄え、「おやけ(菊池家)」等の大きな廻船問屋は、千石船を使って地域特産の木蝋や魚を運び、九州方面からの米・材木等を大阪方面に輸送して財を成してきました。
建物の随所に施された装飾などに当時の財力の凄さが現れており、それは建物の外観だけからでも十二分に伺い知ることが出来ます。細い路地には背伸びしても届かないフランス積み煉瓦塀。端には見事な卯建があげられています。
そこから見上げる屋敷のそこかしこに隙間見える建築装飾の数々。漆喰持ち送りの鏝絵は、趣向を変えた「波に千鳥」。
煉瓦塀に沿って更に奥に進めば、黒板塀と漆喰壁にしっかりと守られるように洋館風の建物があり、明治時代の物と言われる避雷針アースが目を引きます。
細い路地の奥で「すごいね~」と話し合う声もいつしか「ヒソヒソ・・」とささやき声😅 。なんでもないような場所に「!!」と驚く趣向の数々・・かってこの辺りがどれほど栄えてきたのか、想像力が掻き立てられる空間でした。
海沿いの道から再び市街地に向かい、次に訪ねたのは「旧・白石和太郎邸」。鉱山経営等で財をなした『白石和太郎』によって明治30年代に建てられた和洋折衷の擬洋館です。
玄関上部の小屋根には三角ぺディメント。一階の窓は半円アーチで、直線と曲線の組み合わせは視覚的にも面白く、そのいずれにも唐草模様の華やかなレリーフが施されています。
洋館と言うと「白」と言うイメージが先行しますが、黒漆喰の建物は変に悪目立ちする事無く、海辺の町にしっとりと溶け込み・・、それでいてハッと振り向かせる存在感を放っています。
旧・白石邸は、昭和25年(1950)から1989年まで「川之石ドレスメーカー女学院」として使用されており、今も玄関には「杉野学園・ドレスメーカー女学院認鐙校」の看板が掛けられています。
旧白石邸の隣、むくりと呼ばれる独特の曲線を描いた屋根のお宅は「旧宇都宮壮十郎邸」。他人様のお宅なので遠目からの画像。玄関入口にある持送りなどに細工を凝らした和洋折衷の建物だそうで、明治34年に完成したといわれています。
明治の時代に建てられたいわゆる擬洋風建築は、特に私の趣味にぴったりとあっており、これまでにも旅の行く先々で見学させていただきました。その度ごとに「日本の職人さんの発想力とか技術って、本当に凄いな」と、心のそこから感動させられます。
時刻は既に6時近く・・開館は4時までと言う事で、当然内部を見ることは出来ません。こんな場面に遭遇した時いつも思うのは、何故、時間に間に合うように周れないのか!😔😔!
確かに高速を使って遠くまで来て、来たからにはあれもこれも、あそこもここも見たいのは、自分でも承知して・・承知している筈なのに、その時になっていつだって同じ後悔をするのです。
訪問日:2011年6月14日