大洲市大洲神楽山に鎮座される「大洲神社」。御祭神は『大国主命・事代主命』。巨大な昭和燈がそびえ立つ長い石段が表参道となります。
臥龍山荘を訪ねた際にお見かけした神社。私たちは裏参道から参拝させて頂きました。タイミングと時間が合う時に出会える神様の領域は、きっと何かの縁の故。画像が少ないのは後に気が付いた事ですが、本当に気持ちのよい境内でした。
由緒「宇都宮家譜によると、元弘元年(1331)・鎌倉時代、宇都宮豊房が大洲城を築きしとき、場内総鎮守神として下野國二荒山(ふたらやま)神社より勸請し、太郎宮として斎祭される。 戸田・藤堂・脇坂を經、元和3年加藤貞秦城主となり、先例によって祈願所と定めて崇敬し、以下歴代の藩主の尊崇厚く境内池、社殿の造営・修復、祭器具等の寄進がたびたびされ、『旧縣社』に列せされる。」公式HPより
表参道石段途中より神域を守護されるのは、明治17年(1884)9月3日建立の浪速タイプの狛犬さん。眉が太く鼻の大きな阿形さんの顔立ち、どこかで見かけた「おっちゃん顔」😄。
拝殿前より神域を守護されるのは、文政10年(1827)10月建立の玉乗り狛犬さん。真面目くさった顔の吽形さん。高らかに笑う阿形さんは、本当に楽しそう。
ゆかしい造りの「祓殿(はらえどの)」。祭事において禊(みそぎ)が行なわれる場所です。
貫禄も威厳も、十分すぎる程蓄えた鬼
今にも高い空を目指して飛び立ちそうに、大きく口を開き、頭上を見上げる向拝の龍。
天井には、波間より登る太陽を中心に十二支の板絵。外からではその一部しか捉えられないのがもの凄く残念。
「祓殿」の左前には、まだ新しい「梟・大黒様・波・鯉」のモニュメントが奉納。はてさて、何の判じ物でしょうか? 大黒様がいれば、恵比寿様も当然おいでになる訳ですが、こちらは少し離れた場所に竹の釣竿と立派な鯛を抱えて据わっておられます。
拝殿に奉納されていた「算学」絵馬。17世紀中頃、武士や庶民の間で流行ったと言ういわば高等数学の問題と解が記されたものですが・・理数系に疎い私には・・・😔
境内に聳えるご神木は、大洲藩主:加藤泰秋公の植樹と伝えられる「木豇豆(きささげ)」。高木で水気を好むため避雷針がわりに利用されることも多く、雷除けの木といわれています。
狛犬撮影のために表参道の石段を降りていたご亭主殿の前に突然現れた「タヌキさん」。デジカメを構えるご亭主殿を見上げ、写真を撮り終わるまでその場に居てくれたそうです。
大洲神社の裏参道に奉られていた「七十九番・高照院の石仏」。さらにずっと古い年代と思われる石仏さん。仲良く寄り添うように建立されています。
参拝日:2011年6月13日