車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホールとマンホールカード in 岡山県倉敷市

2021年09月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岡山県

倉敷市(くらしきし)は岡山県の南中央部に位置する市です。2005年、倉敷市が浅口郡船穂町、吉備郡真備町を編入。岡山市、玉野市、総社市、浅口市、小田郡矢掛町、都窪郡早島町に。また海を挟み、香川県坂出市、丸亀市に隣接。県下第2位(中国地方では第3位)の人口を擁し、岡山都市圏を形成。市の中心部、倉敷川沿いの一帯は江戸時代に幕府直轄領として繁栄し、白壁の町並みは県内有数の観光の街として知られています。

また瀬戸内工業地域の中核都市として、石油コンビナートなどを含む水島臨海工業地帯を形成。西日本を代表する工業都市の一つで、工業出荷額は岡山県内の約45%、全国の市町村で第6位を占めています。市の中西部を高梁川が北から南に流れ瀬戸内海に注ぎ、平野の多くは干拓地や沖積平野で占められており、児島地域を除き比較的平坦。市内には児島、亀島山、玉島、連島など「島」の付く地名が多く、それらの地域は文字通り「島」であり、干拓により陸続きになって今の市域が形成されました。「市の木:クスノキ」「市の花:フジ」「市の鳥:カワセミ」を制定。

キャッチフレーズは「新しい文化が華ひらく」「ひと、輝くまち 倉敷」

明治22年(1889)、町村制の施行により、窪屋郡倉敷村・葦高村・大市村・万寿村・児島郡藤戸村が発足。(旧玉島市・旧児島市は別項目で)

1891年、窪屋郡倉敷村が町制を施行、(初代)倉敷町となる。

1900年、郡制の施行により窪屋郡と都宇郡が合併、都窪郡となる。

1901年、都窪郡葦高村、大市村が合併、都窪郡大高村が発足。

1915年、藤戸村が町制を施行、児島郡藤戸町が発足。

1927年、都窪郡倉敷町、万寿村、大高村が合併し(二代目)倉敷町が発足。

1928年、都窪郡倉敷町が市制を施行、倉敷市(初代)が発足。

1954年、倉敷市が児島郡藤戸町を編入。

1967年、倉敷市、玉島市、児島市が対等合併、(三代目)倉敷市が発足。

1971年、倉敷市が都窪郡庄村を編入。

1972年、倉敷市が都窪郡茶屋町を編入。

2005年、倉敷市が浅口郡船穂町、吉備郡真備町を編入。現在に至ります。

倉敷美観地区、倉敷駅周辺に設置のマンホールには「市の花:藤」が、美しくデザインされています。

「児島湖流域下水道浄化センター:展示蓋

倉敷マンホールサミット会場:展示蓋

イメージキャクター「くらモニちゃん」も、マンホールになりました。

倉敷商工会議所所属の『くらモニちゃん』。倉敷駅前で開催される朝市「倉敷三斎市」から誕生しました。帽子とパンツは白壁、髪飾りとシッポは倉敷市花の藤です。得意のダンスで、街に元気と幸せを運びます。

撮影日:2010年8月10日&2013年7月26日

撮影日:2016年8月17日&2017年4月3日

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2016年4月1日、第1弾として全国28自治体で30種類の マンホールカードの配布が 開始されました。「倉敷市A」のマンホールカードは、「倉敷美観地区倉敷館」でいただけます。


2016年に設置開始されたマンホールには「阿知の藤」がデザインされています。

「倉敷美観地区北側の鶴形山にある阿智神社本殿の裏手に「阿知の藤」と呼ばれる藤の名木があります。この木は、推定年齢が300年とも500年とも言われる、幹回り約1.5mの日本一のアケボノフジとして県の天然記念物に指定されています。5月になると、藤棚全面に淡紅色の花房を付け、倉敷市の市花として多くの市民に愛されています。倉敷駅から美観地区一帯は1955年頃より下水道整備を開始し、1985年頃からマンホール蓋にこの藤の花をデザインしています。市内には藤の花をデザインしたマンホール蓋がこの他にも何種類かありますので探してみてください。」

倉敷市マンホールサミットにて配布されたコースター・缶バッジ

訪問日:2017年4月3日

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