邑久町上笠加に鎮座される「王持(おうじ)八幡宮」。御祭神は『神功皇后・応神天皇・仲哀天皇』
社伝によると「延文5年(1360)4月、播磨龍野城主、脇坂久左衛門尉源忠典が神託によって豊前国から八幡宮を勧請して社殿を創建。当社は仲哀天皇の皇子応神天皇を首座に祀ってあるので皇子八幡宮と言っていたが、文録元年(1592)4月、豊臣秀吉朝鮮征討の時に、其の武将、森忠政がこの宮山に来て「本社は三韓を降伏せし大神なれば」とて暫く滞在し、戦勝祈願をして峨城山と変えた。その時、藤井神主に、永代、森忠政「王を保ち守護すべき様」下命して、以来皇子を王持八幡宮とした。」神社庁HPより
同行してくれた義姉は、足に難のある私を気遣って車に乗ったまま、西参道よりの参拝となりました。
西参道の鳥居を潜って直ぐの坂道途中より神域を守護されるのは、見目の良い備前宮獅子一対。阿形さんの体の白い部分は丁寧に修復された跡で、大切にされているのが伺えます。
冒頭の二の鳥居の近くで車を置き、まずは氷の張った手水舎で手を清め(凍ってる!!)、随身門へ。
随身門の内より神域を守護されるのは、何と左右三体ずつの随身さん。大きさや形式も異なった随身さんですが、もしかして歴代の方々?それにしても、何という中途半端な画像💦
ぴんと張り詰めたような冬の空気の中、参道に影を落とす木々の数を目で追いながら進みます。
突き当たりの石段の先、社殿を取り囲むように、白壁の門が見えてきました。
拝殿入り口の左右より神域を守護されるのは備前宮獅子さん一対。建立年は不明ですが、作者である『森良明造之』の名が刻まれています。
拝殿の屋根の上、留蓋に腰をおろしてくつろぐ「神猿さん」の手に握られているのは邪気を払うという「桃」。
摂社「宇賀神社(宇賀魂神)・大仙神社(御神体山)」。摂社群の中では最も大きく格式のある建築となっています。
瓦屋根の社殿。留蓋の上では元気に逆立ちする阿吽の獅子。その顔のユニークさに思わず寒さでこわばった顔もほぐれそうです。
稲荷神社・天鈿女神社・沼名前(ぬなくま)神社・五柱神社・天神社・・まだ他にも四社ありましたが、流石に画像には残していませんでした。
境内にあった「樫原神宮」と刻まれた碑・・・これも一応境内社なんでしょうか?
金色に塗られた天頂の造詣は、神武東征の際に遣わされた「八咫烏」であろうと、勝手に解釈しました😅
参拝日:2012年1月25日