瀬戸内市邑久町北島に門を構える天台宗寺院「上寺山・餘慶寺(よけいじ)」。三十三年に一度開帳されるという秘仏「千手観世音菩薩」を本尊とします。また、中国三十三観音霊場第二番札所、山陽花の寺二十四か寺第十六番、百八観音霊場第三番としても知られます。
天平勝宝元年(749)に『報恩大師』により開基。当初は日待山日輪寺と称され、報恩大師建立の備前四十八ヶ寺の一つとして栄えたと伝えられます。
国指定重要文化財の「本堂」は永禄13年(1570)の建立。室町時代の特色をよくあらわした入母屋造・本瓦葺の木造建築。
また、文化12年(1815)に建立された「三重塔」は、岡山県の重要文化財に指定。
瀬戸内市指定文化財の「薬師堂」は、本堂と同じ大きさの五間堂で、享保19年(1734)に再建した際の棟札が現存。その建築様式から中世の仏堂の形式を残しており、古い薬師堂の形式を継承した可能性が高いとされます。
屋根の東西に軒唐破風を持つ「鐘楼」は、嘉永3年(1850)の再建とされ、「薬師堂」と同じく市重要文化財に指定。
屋根の話題が出たところで、重要文化財の本堂にはとてもユニークな顔立ちの鬼が参拝者を出迎えてくれます。どちらも甲乙つけ難いのですが、強いて言えば「鳥衾(とりぶすま)」を頭に載せた鬼の「投げやり感」が何とも良い味。
薬師堂の向かって左隣には鎮守社として「日吉社(山王権現)」。さらに「愛宕社」が鎮座されています。それぞれに鳥居が建立されているのも、神仏習合の形態が残されている寺社らしい佇まいです。
1989年に再建された「地蔵堂」。かっては「十王堂」と称しましたが、本尊に地蔵菩薩を祀ることから地蔵堂と改名。十王は地蔵菩薩の化身とされており、地獄において亡者の審判を行う10尊を言います。
弁天池に鎮座されるのは「弁財天」。この季節、水が少ないのか酷く寒々しく見えます。
御詠歌【倹約に 身を慎みて 驕りなく たゞ良きことを すれば餘慶寺】
上寺山の一画に、上寺山児島高徳公史跡保存会供養塔建設委員によって昭和45年に建立された「児島高徳公・和田範長一族・供養塔」があり、傍らには建立の由来書が立てられています。
要約すれば「この地に居を構えていた和田範長一族によって『児島高徳』が7歳の頃から育てられ、25歳の出陣まで住んでいた。」という事で、詳細は「上寺山 児島高徳公 和田範長一族 供養塔建立の由来」で検索して頂ければ、全文が読めます。
また『児島高徳』って誰?という方には「児島高徳 後醍醐天皇」で検索してみて下さい。備前の国に生まれた私にとって、『児島高徳』は馴染みの深い武将の一人です。
参拝日:2012年4月25日