瀬戸内市邑久町北島に鎮座される「豊原北島(とよはらきたじま)神社」。主祭神は『応神天皇、神功皇后、媛大神』。餘慶寺の東に隣接し、神仏習合の形態を今に留めています。
「舒明天皇6年(634)豊前国宇佐より勧請、神社東の鎮座石の上にわらをとき敷いて奉祀したことから、「ときわら」が荘名の「とよはら」となったと社伝にいう。北島は往古この地が島であったことを示し、豊原荘北島に座す神社で延喜式外の古社、従五位上豊原北嶋明神・上八幡大菩薩・正八幡宮ともいわれ、平安時代には近衛天皇の勅願所・白河・後鳥羽院領の鎮守神でもあった。明治3年、豊原北嶋神社と社名を改める」神社庁HPより
表参道鳥居の左右より神域を守護されるのは、安政7年(1860)庚申6月吉日建立の狛犬さん一対。岡山県内の社寺では比較的良く目にする浪速タイプですが、天狗の葉うちわのように形よく開いた尾と、平ったい頭が特徴的な一対です。
現社殿は鎮座1300年を記念して、本殿を大正8年(1919)、他の社殿を昭和14年に、往時の様式によって改築。しかし、2002年に本殿以外を失火により焼亡。2006年に拝殿・幣殿・釣殿が再建されました。
境内社「気比(けひ)神社」。御祭神は『足仲彦(たらしなかつひこ)命、 仲哀天皇』。食物の神とされています。
お社の左右より神域を守護されるのは、扁平頭と葉団扇尾っぽの狛犬さん一対。下半身のふっくらさが親近感を抱かせます
境内社「正一位稲荷大明神」。「御祭神は倉稲魂神京都の伏見のおいなりさまをお招きしたと古記にあります。もとは倉にある稲の神霊を祀ったことからはじまったといわれ、生産、商業、家内安全などの神様です。昔このところには老松がしげり狐火がよくみられて「お稲荷様のおつかい」といっていました。」案内版より
神明鳥居の奥に鎮座されるのは、境内社「天神社」。『天津(あまつ)神、 菅原道真公 大富幸範(おおどみゆきのり)公』を奉ります。
児島高徳の一族、射越(いこし)・和田・今木・大富・三宅氏などにゆかりの社とされ、社殿は慶応3年(1867)の改築。もとは岡山市西大寺射越に鎮座されていました。
「東遥拝所」「昔、神社創起のとき、この山上の大岩の上にわらをとき広げて神座として神霊を奉祀したと古い社記にあります。その鎮座の石は今東の社家の邸内にうつしています。この山は古くは日待山といい日の出を拝み、太陽神の遥拝(ようはい)所でもありました。神社名ともなっています豊原という荘名は豊かな美田にという願いと神座のときわらにかかわる名だとの説もあります。」案内版より
最後は、豊原北島神社の祠官(しかん)で、国学者・歌人でもあった『業合大枝(なりあいおおえ)翁』歌碑
【まよひきの むかつ嶋根も 霞む也 常世をかけて 春や立らむ】
(眉(まゆ)を引いたように見える向うの島々も、立春の今日は霞の中に浮かんで、この世のものとも思えない眺めだ。この世だけでなく、遠い異国(常世の国)のはてまでも、春はやって来ているのだろう。)
参拝日:2012年4月25日