北塩原村檜原剣ケ峯、磐梯山の山裾に広がる広大な「桧原湖(ひばらこ)」。小野川湖・秋元湖とともに裏磐梯三湖の一つとされ、磐梯朝日国立公園に属します。
明治21年(1888)7月15日、磐梯山の噴火とともに山体崩壊が発生。これによる岩屑なだれが谷を埋め、南北約18km、東西約1km、最大水深31m、湖岸周37㎞の堰止湖「桧原湖」が生まれました。山体崩壊により477人が犠牲になり、会津・米沢街道の桧原宿を含む桧原村は、水深約15メートルの湖底に沈みました。
磐梯山の火山活動の開始は、西に隣接する猫魔火山の終息後の約90万年前頃と推定されています。何度も噴火を繰り返すため、「病悩山(やもうさん)」などと呼ばれ恐れられていましたが、また一方では、磐梯とは「天にかかる磐(岩)の梯子」を意味し、信仰の山として畏敬されても来たのです。
磐梯山噴火記念館は、磐梯山周辺の自然をより多くの人々に知らせ、また地震火山に対する啓蒙、自然災害による人命の保護、並びに自然環境の保護に寄与することを目的とし、磐梯山噴火百年を記念して1998年4月15日に開館しました。
世界には、1500あまりの火山があり、その中の約7%にあたる110火山が、地球の陸地面積の0.25%しかない日本に存在します。更にこの中の47火山は、常時観測火山に指定。福島県内の「磐梯山・吾妻山・安達太良山」も含まれます。
磐梯山の火山活動をカメラで監視している、火山望遠観測装置用の発電機と、通信用衛星アンテナ。
「水車式発電機」、現地説明を残さなかった為、仔細不明。
被災者供養のために建立された地蔵堂。左に「宮森太左衛門翁紀功碑」。右に「磐梯噴火の湯供養碑」
深い青の桧原湖、白鳥型の足漕ぎボートが並び、桟橋には乗客を待つ遊覧船。その水底に沈んだ集落を知っている人はどれほどいるのだろう。深い青の水底深くに眠るかっての宿場の賑わいが、楽し気な観光客の声と重なって、ほんの少しセンチな気分になりました。
荒々しい地肌をむき出しにした裏磐梯を背景に「磐梯山3Dワールド」。こちらの施設では、1888年の磐梯山大噴火のすさまじい再現光景を立体映像で見る事が出来るそうです。
訪問日:2015年6月20日
車泊で「ご当地マンホール」
貴方のブログは、マンホールを中心として各地の神社仏閣、名所、旧跡など、様々な場所へ読者を誘います。
磐梯山の大噴火と、犠牲になった住民の方々、噴火がつくった湖に沈んだ村、
その湖の美しさが観光地となり、ボートが浮かび、人々が楽しんでいます。賑わいを見ながら、少し感傷的な気持になる貴方・・
貴方のブログには、「恨みと憎しみ」がないことを今になって気がつきました。それが読む人を惹きつけている秘密なのかもしれないと、そんな気がしています。
「ねこ庭」も読書とメディアの情報をもとにして、日本の過去を旅していますが、「恨みと憎しみ」が長く捨てられなかったところが、貴方との違いですね。
磐梯山と桧原湖の美しい写真を見ながら、そんなことを考えています。
今頃そんなことに気がついたのかと、tononeko殿に笑われそうですね。
これからもよろしくお願いいたします。
行く先々で・・・様々な思いを抱かせます。
作り物でないありのままの自然が生み出してきた景観
そこには実に様々な人の生活が存在し
あるものは途切れ
あるものは存在し続け・・・
喜び、感動、驚嘆・・そして深い悲哀
そのどれもが間違いなくそこに存在し
途切れることなく今に繋がっている事
その事実が、私たちの足をさらに先に進めさせるように思えます。
いつも心に響く優しいコメント、有難うございます🙏
綺麗な青空ですねエ。
行ってみたいけど
なかなか今は行けないのが
残念です。
いつもコメントありがとうございます。
北海道から会津はやっぱり遠いですよね
何といっても津軽海峡が横たわっていますから。
我が家からも、往復の為だけに二日を要します。
もう二度と行けないだろうな・・行きたいけど