車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 長野県旧明科町(安曇野市)

2022年07月09日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・長野県

旧東筑摩郡明科町(あかしなまち)は長野県のほぼ中央、松本平の北端に位置した町です。松本市、穂高町、豊科町、本城村、生坂村、池田町に隣接。北アルプスの槍ヶ岳で分かれた水が梓川と高瀬川となり、明科で再び一つに結ばれ犀川となり町の中央部を北流。千曲川・信濃川となって日本海に注いでいます。江戸時代に形成された15の村々は、松本城主の統治下におかれ、享保10年(1725)以後、川手筋は幕府の天領となりました。川沿いは平坦部、その周辺は標高 500〜900mの山間部の地形で構成。町域の約6割は森林地帯で占められており、その多くは広葉樹林となっています。「町の木:カシワ」「町の花:アヤメ」を制定。

旧キャッチフレーズは「澄んだ心と水のふるさと、あやめの町-明科-」

また「水産あかしな」の名を挙げたニジマスは、昭和13年に設けられた長野県水産指導所(現在の水産試験場)が作出。1987年にはここで養殖された「信濃雪鱒(シナノユキマス)」が長野県内の湖に放流されました。

明治22年(1889)、町村制の施行により、東筑摩郡中川手村・東川手村、北安曇郡七貴村・陸郷村が発足。

1955年、中川手村が上川手村光の中条・北村・白牧・矢の沢地区を編入。その後、中川手村・東川手村が合併、東筑摩郡明科町が発足。

1956年、北安曇郡七貴村と合併、改めて東筑摩郡明科町が発足。

1957年、明科町中之郷・鵜山が北安曇郡池田町に編入。

1957年、明科町が、北安曇郡陸郷村の中・小泉、寺の一部を編入。

2005年、南安曇郡豊科町・穂高町・堀金村・三郷村と合併、安曇野市明科となりました。

マンホールには「犀川」に泳ぐ2匹の「ニジマス」、「町の花:アヤメ」がデザインされています。(明科駅前付近に設置)

同デザインで、用途部分が「はいすい」と記されています。

昭和39年(1964)9月21日制定の町章は明科町の「ア」をデザインしたもので、明科町の躍進を表現しています。」旧公式ホームページより

「町の花:アヤメ」がデザインされた側溝蓋

龍門渕公園では、アヤメの見ごろの6月下旬に「アヤメフェスティバル」が開催されます。

撮影日:2010年10月16日&2016年4月17日


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