古来、三州街道の足助宿として栄えた足助町。ここには今も往時を偲ぶ町並みが残されており「香蘭渓谷」と共に多くの観光客を魅了しています。
中仙道の脇往還であった足助の街道は、三河湾で作られた塩を信州に運ぶ手段として活躍した「中馬」が往来したことから「中馬街道」とも、また塩を運ぶ事から「塩の道」とも呼ばれ、天保年間(1830~43)には14軒もの塩問屋が軒を連ねていたと云います。
宮町の足助八幡宮から西町へと向かう途中に、かって警察署として使用されていた「足助商工会」が見えてきました。
建物の佇まいも素敵ですが、屋根に施された瓦も趣があって、中々に興味深い形です。大屋根の先端部分は、龍の細工と尖塔で成り立ち、土台部分には「日本」の文字。
車寄せの屋根から往来を見下ろす留め蓋の獅子たちも、中々にユニークで愛嬌のある顔立ちですね。
防火を意図して漆喰で軒先まで塗り固めた塗籠造りの町家が建ち並ぶ、西町から新町の町並み。中でも新町にある「マンリン書店」は白漆喰の建物に、重厚な看板が一際目を引き、町歩きの名所的存在としても有名です。
書店の右側に続く通路は「マンリン小路」と呼ばれ、足助の町並みのなかでも、最も美しい小路として観光パンフレットなどに紹介されています。奥行きは50メートルほどですが、連なった4棟の蔵の黒い板壁と白漆喰の、なんとも美しい事。
ここを見る為だけに若い女性たちが訪れるというのも、あながち頷けそうな気がします。
ちなみに私、この小路の名称を、ずっと「マリリン書店の横のマリリン小路」だと思っていました(-"-) 「マンリン」と「マリリン」・・一字違いで大違い、似て非なるものです(笑)
本町にひっそりと建つ地蔵堂。堂内には「抱き地蔵」が安置されており、文字通り抱くことが出来ます。傍らの案内には「出兵した息子が無事に帰る事を祈願して、母親がこの地蔵を抱きしめたところ、ひょいっと持ち上がった事から、抱き地蔵を抱いて願いをすると、願い事が叶うと言われます」と・・
二人かわりばんこに、まるで乳飲み子を抱くようにして何を願ったのか・・・お互いに何も言いませんが、多分・・似たような事だろうと思います。
足助の老舗和菓子店「加東家」は、昔懐かしい感じがそのまま残った和菓子屋さん。派手なショーウィンドウや、きらびやかな明りは有りませんが、お味は超一流。超が付く偏食家の私が保証します(笑)
壁の郵便マークと赤い丸ポストがさり気なく所属を主張している建物は、重伝建の足助地区にあわせた意匠の郵便局、こうした試みの一つ一つが歴史ある街並みを更に美しく見せています。
街道沿いに建つ妻入りの商家には祭り提灯が下げられ、紺と白で染められた幔幕がお祭り気分をより一層盛り上げています。毎年10月の第2土曜、日曜の二日間に渡って執り行われる足助八幡宮の秋の例大祭。大切に受け継がれた建物と、古くよりの伝統を伝える祭りの装いは殊更に似合って、しばしば私たちの足を停めさせます。
世話役の方の許可を頂いて、祭り提灯とのツー(?)ショット。
街歩きの拠点としても活躍する「足助中馬館」は、大正元年(1912)に竣工した「旧稲橋銀行足助支店」。建物の画像はありませんが、お金に縁が有りますようにと、昭和29年(1954)に増築された鉄筋コンクリート造の金庫とツーショット。
田町に鎮座される「お釜稲荷」の朱の鳥居。隣のビルが時代を感じさせて良い雰囲気です。本当は「お釜稲荷」へも参拝しようと思ったのですが、お祭りが気になって、気になって(笑)
ご亭主殿の「祭りが気になる!!」がどうやら私にも伝染したようで、元来た道を引き返すことに。
足助川にせり出すように建てられた床は、宿場当時の建築様式を伝えた佇まい。本来ならもっと時間をかけて歩く筈の「重伝建地区・足助の町歩き」、何とも潔く切り上げました。あそこもここも・・・・古い宿場につきものの碑や石仏も、何もかも中途半端感が否めませんが、祭りのざわめきには勝てません。
それでも町歩きの帰路で唯一見つけた屋根の鍾馗様を見逃さないあたり、さすが鍾馗様ハンターの御亭主殿・・と、褒めるべきなのかしら(笑)
訪問日:2013年10月13日
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